ディープテックとは、差別化された高度な科学・エンジニアリング技術のことで、たとえば、ロボティクスや半導体技術、量子コンピュータ、新素材や二次電池、バイオテクノロジーなどの技術分野を指す。
過去20~25年、インターネットをはじめとするIT技術が、世の中の効率を上げることに貢献し、今では欠かせない社会インフラになったECサービスや数多くのスマホアプリが、スタートアップから中心に生み出され、非常に便利な世の中になった。
しかしながら、PCやスマートフォン、それを作るのに欠かせない、リチウムイオン電池、プロセッサやメモリ等の半導体チップ、液晶・有機ELパネル、4G/5GやWiFi、Bluetooth等の通信技術、セキュリティ技術などは、ディープテックに基づく製品であり、インターネットサービスの陰に隠れてしまいがちだが、情報化社会の実現・発展を支えてきた。
インターネットによる情報流通促進だけでは解決できない課題が、日本や世界の社会・産業界に山積している。また、よりよい社会を構築するために、更なる進化も求められており、ディープテックに求められる役割は大きい。
今回、ディープテックにフォーカスするベンチャーキャピタルであるAbies Ventures(アビエス・ベンチャーズ)株式会社マネージング・パートナーの山口冬樹氏に話を伺った。
- 目次 -
ディープテックスタートアップとは?
ディープテックスタートアップは、ディープテックを開発・活用し、革新的なサービスや製品を提供する事業を営むスタートアップである。とくに、我々の生活をさらに便利にするだけでなく、よりよい世の中を作っていく、社会・産業界の課題を解決することを目指しているスタートアップが多い。
ディープテックの実用化には、インターネットを活用したサービスに比べると、時間と資本力が必要であり、今までは大企業がその役割を担ってきた。しかしながら、とくに米国ではスタートアップがディープテックを商用化するためのプレーヤーとして大きな存在感を出してきている。たとえば、電気自動車を量産レベルで商用化しビジネスとして確立させたのは、既存の大手自動車メーカーではなくTeslaであった。
日本でもそのような兆候が見えつつある。最先端のAI技術の開発・実用化において、スパコンや大型コンピュータを開発し、数多くの情報技術系の研究者・エンジニアを有する大手総合電機メーカーら以上に、プリファードネットワークスと言ったAIスタートアップがリードしている。
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国内ディープテックスタートアップの事例
それでは、国内で注目を浴びるディープテックスタートアップを紹介する。
Synspective:自然災害の被害を抑制する小型SAR衛星の開発・運用
2018年に創業されたSynspectiveは、設立1年半で109億円の資金調達に成功し、今後数年間で小型の合成開口レーダー衛星(SAR衛星)を30機打ち上げ、昼夜や天候状況を問わず地球が観測可能なサービスを構築しようとしている。
SAR衛星は、光学衛星と違って、夜間や雨天で雲がかかった状況でも、地上をモニタリングすることが可能であること、また数ミリ単位で高低を測定することが可能である。たとえば、洪水時にどこが水没する可能性が高いか、洪水後にどこにどの程度の浸水があるのか、天候や昼夜を問わず逐次観測できるため、適切な防災・災害対応により、被害の低減、被害者を減少させられるようになる。
また、微小な地盤沈下を広範囲に測定できるため、定期的にモニタリングし、土木工事における未然の事故防止や地震時の災害を抑える対策を打てるようになる。
Synspectiveの元となる技術は、日本政府が主導するImPACT(革新的研究開発推進プログラム)の小型SAR衛星開発プログラムにおいて、JAXAや産総研、東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学などの技術を集約されて開発された。
レーダー衛星データは、加工・分析が難しく、既存ユーザーである政府機関以外の新しいユーザー層が使いこなすのは難しい。衛星データ加工を専門に行う会社もあるが、Synspectiveは、顧客ニーズに直接沿うようなソリューション製品の開発・提供まで一気通貫で行っており、衛星データの撮影枚数や精度といった衛星技術の性能で競うだけでなく、顧客ニーズに合ったサービス設計や衛星データ撮影を実現しようとしているのが特徴である。
ImPACTのプロジェクトマネージャーを務めていた慶応義塾大学教授の白坂成功教授が、成果の社会実装を目指し、日本だけでなく海外の被災地等のエネルギー、水・衛生、農業、リサイクルにおける社会課題を解決するビジネスの開発を行っていた新井元行氏にCEOを依頼し、会社が設立された。
Synspectiveの衛星は、日本だけでなくアジアを皮切りに、全世界をカバーできるようになるため、海外市場も狙って活動をしてきている。すでに外国人の社員比率も多く、シンガポールに拠点も設置し、まずは東南アジア市場の開拓を重点的に始めている。
Telexistence:遠隔操作・自動ロボットで小売りや物流などの労働力不足を解決する
Telexistence社は、東京大学名誉教授の舘暲(たち すすむ)博士によって提唱された人間の存在を拡張する技術システムを実用化・社会実装すべく、2015年に商社・金融出身の冨岡仁氏が創業したスタートアップで、人間が遠隔地に居ながらロボットが現場作業をできる、遠隔操作ロボットを開発している。
労働力不足が問題となっているコンビニエンスストア等の小売り店舗の陳列作業や、倉庫などの物流分野における物品の区分け・移動作業を、遠隔操作および自動化することで労働力不足問題の解決を目指している。現場から離れていても作業ができるため、新型コロナ禍では、感染防止対策として有効である。
複雑な作業が可能なアーム型の産業用ロボットは、自動車工場等、一部の製造業には導入されているものの、高価格であること、操作のプログラミングの複雑性などの課題があり、他の用途にはあまり広がっていないのが現実である。
Telexistenceは、コンビニエンスストア等において求められるニーズ、コストや性能を特定したロボット開発を進めており、コンビニエンスストアの飲料等の商品陳列作業から、遠隔自動ロボットで人手を代替すべく、1-2年以内に実際の一般店舗での稼働を目指している。
エー・スター・クォンタム:今日の労働力不足問題に対処する量子コンピュータソフトウェア開発
量子コンピュータは、既存のスーパーコンピュータでは非常に長い計算時間がかかる(現実的には解けない場合もある)複雑な課題を、量子物理学の現象を利用することで、非常に短時間で解くことができると期待されている技術である。
量子コンピュータのハードウェアの方式には、大きく分けて、ゲート方式と言われる幅広い問題に向いているものと、アニーリング方式と言われる組み合わせ最適化問題に適したものがある。量子アニーリングは東京工業大学教授の西森秀稔博士が提唱した理論で、カナダのD-Wave社がそのコンセプトを量子コンピュータとして開発・商用化に成功した。IBMやGoogleはゲート方式の量子コンピュータ開発で世界トップを競っている。
しかしながら、急速に性能が向上しているとは言え、今日の量子コンピュータは、複雑な実社会の課題を解くには能力が大きく不足している。数年前から世界各国で量子コンピュータのソフトウェア開発スタートアップが設立されてきているが、その大半が大企業との共同研究開発により収益をあげている。
2018年に設立されたエー・スター・クォンタムは、量子コンピュータを独自の技術により計算処理することで、産業界が課題に抱える複雑な組み合わせ最適化問題に対し、既存の業務用システムよりも圧倒的に短い時間で、優れた計算結果を導出することに成功している。
また、ターゲット視聴者に最適なテレビ広告を割り振る業務において、量子コンピュータを活用したエー・スター・クォンタムのソフトウェアの大きな有効性が実証されたため、短期間で既存システムからのリプレイスが決定され、国内大手広告代理店とシステム開発を進めている。
物流分野におけるトラックのスケジューリングの最適化への応用も進められており、すでに日本郵便との実証実験では、トラックおよびドライバーを大きく削減できる可能性を示す結果が出ている。年々増加しる輸送量に対し、労働力不足で対応しきれない状況になりつつある物流業界にとって、量子コンピュータは解決策になる可能性がある。トラック走行の減少による燃料消費量削減も期待される。
日本経済の再成長にはディープテックスタートアップの創出が鍵となる
山口冬樹氏(左)と筆者(右)
日本経済の再成長には、高付加価値サービス・製品によるデフレ脱却や輸出増加が不可欠
日本のGDPや、一人当たりGDPの世界的な地位低下が止まらない。人口減少期に入った日本の中で、そうした経済指標を上げるには、一人当たりの付加価値を上げるか、輸入を上回る輸出を増やしていく事が必要である。最近注目されているDX (デジタルトランスフォーメーション)は、生産性を高め、一人当たりの付加価値を上げることに有効であり、今後、実際の成果が期待される。
デフレからの脱却もGDP再成長には不可欠である。効率化による低価格サービス・商品の提供だけでなく、新しい付加価値をもたらすサービス・製品を市場にもたらし、その付加価値によって国民の所得水準を上げることが、デフレ脱却に重要である。
また、日本の輸出比率は90年代後半から減少が続いており、1980年半ば~1999年代半ばまで10兆円を超えていた輸出超過額は減少傾向にあり、2011年以降は輸入超過の年の方が多くなっている。米国の対日貿易政策への対応による工場の海外移転、原子力発電所の事故による原油輸入増、等の影響もあるが、半導体や電機など、国際的に競争力のあった産業の競争力が低下してきているのも大きな要因である。輸出を増やすためにも、差別化された国際競争力のある製品やサービスの創出が重要である。
高付加価値と海外市場展開の両方を実現しうる、ディープテックスタートアップ
このような課題の解決策として日本が取りうる方法として、有望なディープテックスタートアップを数多く生み出すことが、有効であると考えている。
世界市場で通用する製品・サービスを有するディープテックスタートアップは、高付加価値の製品を、国内市場のみならず、世界市場に展開しやすい。
ディープテックに基づく製品やサービスを世界市場で成功させるには、日本人・日本企業が得意な、技術スペックやコストパフォーマンスを上げると言った、言葉やカルチャーの壁がない基準で差別化できる要素が大きい。もちろん、顧客ニーズにあった製品・サービス設計やPRといったマーケティング要素も重要であるが。
日本の大手企業で世界市場を制した企業も、その多くが、高い技術力によるスペックやコストパフォーマンスが優れる製品によるモノであった。今日、スマートフォンやPCの世界トップ10位に入る日本企業はゼロだが、そうした製品に不可欠な、スペックやコストパフォーマンスが重要となる電子部品では、日本企業が大きなシェアを握る。
1990年代前半まで製造業などの不振にあえぎ、GDPで日本の猛追にあっていた米国が、GAFAを始めとするICT分野の新興企業などが世界市場を制し米国の経済成長をドライブし、この25年間、日本のGDPはほぼ横ばいだったのに対し、米国は2倍以上になった。
ICT分野のスタートアップが米国経済の再生のドライバーになったように、ディープテックスタートアップが日本経済の再生の鍵となることが期待される。
大企業の事業成長手段としてのディープテックスタートアップのM&A
米国の大手企業は、スタートアップをM&Aで取り込むことにより、新規事業を生み出し、持続的な成長を続けている。GoogleやFacebookでさえ、社内発のイノベーションだけでは限界があり、Googleが買収したYouTube等、スタートアップのM&Aにより新しい事業を構築している。最近では、Amazonが自動運転の有力スタートアップZooxを買収し、Zooxが当初から目標にしていた無人ライドシェア・サービスだけでなく、ECの配送に自動運転技術を活用しようとしている。
ECにおいてAmazonに先行されたウォルマートも、2014年創業のECのスタートアップJET.COMを2016年に買収し、JET.COMの人材は創業者のマーク・ロリー氏も含め、EC事業ウォルマート・ドット・コムの成長を率いている。時価総額も世界12位にまで戻ってきている。
日本の技術系の大手企業にとって、既存事業との親和性が高いディープテックスタートアップを積極的にM&Aすることで、スタートアップが不足する資金力や販売チャネルを活かし、新しい事業の柱を構築するという手法は、非常に有効であると思われる。
また、ディープテックスタートアップは、非技術系の大企業にとっても買収ターゲットになりうる。たとえば、前述のTelexistenceが有する技術はロボットメーカーと近いかもしれないが、事業形態はBPO(Business Process Outsourcing)業に近い。ディープテックスタートアップの中には、非技術系の大企業にとって、ユーザーとして協業する相手としてだけでなく、新規事業構築のための買収ターゲットとなりうる会社も存在する。
次回は、日本発のディープテックスタートアップの成功事例が量産されつつある流れを説明するとともに、日本発のグローバルなディープテックスタートアップを量産するための成功の鍵を探っていく。
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山口冬樹氏プロフィール
山口冬樹
Abies Ventures株式会社マネージング・パートナー
山口氏は東京大学大学院理学系研究科で物性物理の研究後、米国系経営戦略コンサルティング会社のベイン・アンド・カンパニーで、情報通信、自動車、エネルギー、医療機器、等の大企業へのコンサルティングを行う。その後、ベンチャー投資やプライベートエクイティ投資、経営コンサルティングを経て、2013年から連続起業家・投資家の孫泰蔵氏と、CIOとしてMistletoeを立ち上げると共に、シリコンバレー拠点のVCであるVisionnaire Venturesの立ち上げ、国内外のスタートアップへの投資・育成に関わる。
2017年にディープテックにフォーカスするベンチャーキャピタルAbies Venturesを創業し、京都大学発ディープテック・スタートアップであるGLMにおいて、取締役CFOとして国内外投資家からの資金調達、海外事業展開及び海外市場上場を指揮した長野草太氏と共に、2018年7月から1号ファンドを運用し、特に投資先のグローバル展開を目指して支援をおこなっている。
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