Vol.2 スパリゾートハワイアンズの誕生秘話~苦難を乗り越え再起~

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局
2006年9月公 開の映画「フラガール」は、福島県いわき市の温泉テーマパーク「スパリゾートハワイアンズ」が1966年1月、「常磐ハワイアンセンター」として誕生した 当時の物語を、実話に基づいて描いている。今回は、この物語を参考に地域おこしを考えてみます。

 2006年9月公開の映画「フラガール」は、福島県いわき市の温泉テーマパーク「スパリゾートハワイアンズ」が1966 年1月、「常磐ハワイアンセンター」として誕生した当時の物語を、実話に基づいて描いている。今回は、この物語を参考に地域おこしを考えてみます。

 

常磐ハワイアンセンター誕生と石炭産業の斜陽化による影響

 この物語は、苦難と笑いの連続で描かれていますが、実際にも苦難と笑いの連続でした。これらの偉業を達成した立役者が、常磐興産株式会社元社長の 故・中村 豊氏です。
 1960年代は、民間企業による大型の遊園地開発のブームがありました。そのブームの先駆けを作ったのが、1955年に作 られた「後楽園ゆうえんち」でした。その後、「後楽園ゆうえんち」の成功を受けて、1960年代に入ると、東京近郊では、「富士急ハイランド」や「横浜ド リームランド」、「東京サマーランド」などが相次いで開業するなか、常磐ハワイアンセンター(福島県いわき市)が開設されました。

 常磐ハ ワイアンセンターの場合、こうした1960年代の遊園地開業ブームとは別に、日本のエネルギー構造の変化、とりわけ石炭産業の斜陽化が、その背景にあった ことは言うまでもありません。また、その後の健康ランドやクアハウスなどに大きな影響を与えたと考えられます。

  「石炭」は「黒いダイヤ」と呼ばれ、常磐炭礦株式会社(常磐興産の前身)も、現在の福島県いわき市常磐地区の経済を大きく支え、東京に負けない繁栄をして いました。しかし、昭和30年代後半、エネルギーの主役は石炭から石油に移り、状況は大きく変化しました。そのため、石炭産業は低迷し、同時に石炭に依存 していた地域経済にも極めて大きな影響を及ぼしました。

 会社が弱まっていく中で、炭鉱労働者の団結と意志の強さは、むしろ強まり ました。そしてそのため、1964年に常磐湯本温泉観光会社を設立し、最後の生き残りにかけました。

 

ハワイアンズ_フィナーレ 物語のなかでは、ハワイアン・ダンスの教師と、たった4人の訓練生でダンスの練習が始まりました。この時代、 人前で肌をだし、へそを見せることは恥ずかしいことです。特に福島など地方ではその傾向が強くありました。そのなかで、将来の不安と、家族のために少女達 は腰蓑まとい肌も露わに、当時誰も見たことがなかったフラダンスのプロへ短期間(3カ月)で成長しました。

 この物語でもう一つ感動した話 は、空調設備の不調で「やし」の木が寒さで枯れそうになったときのことです。元炭鉱夫の従業員が裏切り者と言われながらも、炭住(炭鉱夫が住む社宅)から 頭を下げて、ストーブを集め、それで暖とって「やし」の木が寒さで枯れるのを防ぎ、どうにか切り抜けたことです。
 この物語は、華やかな「フラ ガール」を中心にしていますが、常磐ハワイアンセンターの受付係、接客係、バンドマンなどは、すべて従業員は元炭鉱夫で構成されており、彼らは「フラガー ル」と同様に、猛特訓を行い、開園時には、「フラガール」と同じようにプロとしての動作を行えるようになりました。
 

ポイントは強い意思(熱意、情熱)

 今回の「常磐ハワイアンセンター」の例は、参加の熱意が成功のポイントと思われます。この話には描かれていませんが、当然裏ではリーダーシップ(中村社 長や吉本部長ら)や企画力があったことは言うまでもありません。
 しかし、「このままでは炭鉱がなくなる」と言う危機感からくる熱意が、困難を乗 り越えて、「常磐ハワイアンセンター」を継続させ、他の施設が衰退するなか、さらに発展させたのだと思います。
 
 

参考資料

スパリゾートハワイアンズ
Tel: 0246-43-3191(代表)
http://www.hawaiians.co.jp/

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