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「チロルチョコ」に歴史あり
福岡県田川市の松尾製菓株式会社が、「チロルチョコ」を発売したのは1962年のこと。同社の二代目社長である松尾喜宣氏が考案した商品で、「チロル」の名は、チョコレートをつくるにあたって訪れたオーストリアのチロル地方から採られたといいます。同社は、その時代まだまだ貧しかった日本の子どもたちにも、お菓子をたくさん食べさせたいという思いからキャラメルのバラ売りを始め、大ヒットしました。そして、これを足がかりに、当時は高級品だったチョコレートも子どもたちが買える値段で販売することを考え始めたのです。そのコンセプトから、商品価格を「10円」と決めていたそうですが、チョコレートの原料費が15円以上もかかるため、チョコの中に「ヌガー」(ソフトキャンディの一種)を入れることでコストを下げ、10円で販売できる「チロルチョコ」を完成させました。
その狙いはみごとに当たり、主に西日本の駄菓子屋から「チロルチョコ」はブレイク。やはり「10円」にしたのがミソでした(*^^)v。「単位」としても最適だったため、当時の子どもたちの間で、なんと「チロルチョコ」は「通貨」の代わりとして流通し始めたのです。「掃除当番代わってやるから、3チロルな」「宿題見せたら、10チロルよ」といった具合です。ひとつのお菓子がここまで子どもたちの生活に浸透したのは、面白く、珍しい現象でした。
時代に合った販売チャネルを嗅ぎ分けよ
しかし、70年代後半から80年代にかけて、駄菓子屋が衰退し始めます。それに連れ、「チロルチョコ」の売り上げも落ち込みを見せ始めました。そこで同社が、新たな販売チャネルとして目を付けたのが「コンビニエンスストア」です。その陰には、やがて来る少子高齢化社会を意識した戦略がありました。これからは、「チロルチョコ」を子どもだけでなく、“大人にも買ってもらおう”と考えたのですが、実はコンビニ販売には大きな問題がありました。
ネックになったのは、「チロルチョコ」の大きさです。ご存じのように、コンビニでの販売では「バーコード」が欠かせないわけですが、当時のチロルチョコには、それを印刷できるスペースがなかったのです(――;)。
そこで、同社はどうしたか!? なんと、工場の設備を改造し、従来の2.5センチ四方から3センチ四方に商品サイズを変更し、コンビニで販売することを決めたのです。その結果は見事成功! そこからは、「チロルチョコ」のさらなる快進撃が始まります。03年の「きなこもち味」の驚異的なヒットは記憶に新しいところです。この「きなこもち味」は、セブン-イレブンのバイヤーが注目し、当初単品で扱ったところ、約5ヵ月で3億4千万円の売り上げを記録しました。以後毎年秋になると季節商品として扱うようにしたところ、3年後にはその売り上げが20億円を超えたという、まさに“お化け”商品に成長したのです(@_@;)。
味も売り方も常に新しく! このパワーがロングセラーを生む
こうしたコンビニ戦略を積極的に進めたのは、91年に社長に就任した三代目の松尾利彦氏ですが、04年には同社の企画・販売部門をチロルチョコ株式会社として分離し、東京都千代田区神田に新会社を設立しました。以後、年間20~30アイテムの新作を出し続けているのです。メンバー10名からなる開発室では、食べ歩きで見つけたおいしいお菓子をヒントにしたり、営業マンから聞くお客様の声を参考にしたりしつつ、多い日には1日に10種類もの試作をするそうです。
中には、「うなぎのかばやき味」や「豚骨ラーメン味」など、“悪ノリ”がすぎて失敗することもあったようですが、常に新しいものを生み出そうとするパワーこそが、ロングセラーのキーを握っていのでしょう。
また、「売り方」にも常にチャレンジを続けていて、『DECO(デコ)チョコ』というオリジナル包装のチロルチョコをつくれるサービスを、文具・雑貨の販売会社「MACスタイル」から提供しています。デジカメや携帯で撮った好きな写真を、チョコの包装紙に印刷してくれるこのサービスは、その面白さも手伝って、幅広い層に受け入れられています。保険屋さんの営業ツールなどはもとより、引っ越しのお餞別代りに、クラスメイトに自分の写真入りの「チロルチョコ」を配る小学生や、ペットの写真を使って毎月のようにつくるヘビーユーザーなど、確実に「チロルチョコ」の顧客の幅を広げているのです。このあたりのセンスも、ぜひ見習いたいところです。いずれにしても、ロングセラーにはロングセラーなりの“発想”と“戦略“があるものです。ぜひ、参考にしてください(@^^)/~~~。