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新規就農を目指すも門前払い
幼少期を都内で過ごした彼は、農業に関しての接点はまったくなかったという。10代後半の時の彼は、ミュージシャンという夢を目指し、アルバイトなどをして生活を送っていた。しかし20 代になり、「人の役に立てる仕事をしたい」と考えるようになった。そう考えた彼が目指したもの、それが農業。行動力のあった彼は、すぐに新規就農の相談窓口を訪れた。しかし、手に職のない彼は、新規就農という高い壁の前に、今の彼では実現が不可能だと感じざるを得なかった。
タイでの国際ボランティアが、新規就農への希望の道を拓く。
「新規就農には手に職が必要だ」と考えた彼は、まず、島根県にある弥栄村で18カ月の農業研修を始めた。過疎化が深刻となっていたこの村での研修で彼は、自分の"生き方"を教わったという。研修を終えた彼は25歳の時、タイでの国際ボランティアを始めることになる。タイの小数民族"ラフ族"の支援活動だ。
このタイの国際ボランティアで、彼のその後の人生を大きく左右させる日本人との出会いがあった。そこで出会ったのは千葉県東金市の農業者だった。千葉県東金市では、タイの農業振興のためにタイ人を農業研修生として受け入れており、その関連でタイへの視察会が毎年行なわれていたのだ。しかし、この出会いがすぐに新規就農に結びつくことはなかった。
タイから東京に帰った彼は、自力での新規就農の道を目指していた。最初の大きな壁は、農地と家の確保だった。新規就農センターに幾度となく相談に行くも、実現できない日々が続いた。そこで彼は、タイで出会った東金市の農業者の一人に相談を持ちかける。この"相談" という一歩が、彼の新規就農への道を切り拓いた。28歳の時、10a(※1)の田んぼを借りての米づくりからはじまった。
(※ 1)1アールは1辺が10メートル(1デカメートル)の正方形の面積。100平方メートル(m2)に等しい。
農でメシを食うなら、自営圃場だけでなく、地域農業のアルバイトが肝心。
新規就農での難しさは農地や家の確保だけではない。就農を実現させた後の一番の課題は、地域や地域農業者とのコミュニケーションだ。この課題は、Iターンによる新規就農では大きな課題となるだろう。この課題を難なくクリアしている彼に、農でメシを食うための方法を聞いた。
彼いわく、就農一年目は地元農業のアルバイトをすべきだという。これが、付近の農業者とのコミュニケーションになり、地域とのコミュニケーションも取れるようになると彼は話す。また、どんな作物が自分に向いているかを経験できる場にもなり、何かとお金のかかる新規就農を金銭面からも支えてくれるという。そんな彼の話からは、決して急ぎすぎず、できることから一歩ずつ確実に、踏み出していくことが大切だと感じた。今回の取材では、そんな彼流の新規就農術を学んだ。
室住圭一(36歳)千葉県船橋市生まれ、東京育ち。
四国での農業研修、国際ボランティアを経て、28歳の時千葉県東金市にて新規就農。
現在8年目。自社圃場水稲3ha、畑0.6ha。農薬や化学肥料を使わない栽培方法での生産を実践する。
お米は、コシヒカリ・月見もち・亀の尾・朝紫(黒米)を栽培。野菜は季節に応じて旬の野菜を栽培する。
農作物の主な販売先は、東金市内の直売所などの契約先の他、野菜セットやお米の個人宅配も行なう。
2002年より東金市「田んぼの学校」講師。
現役農大生や千葉県農業大学校に通う55歳の男性など幅広く農業研修生も受け入れている。