団塊世代の起業・独立 Vol.6 私が吉本興業を辞めたわけ

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局
私が吉本興業を退 社したのは、2002年の秋、56歳のときでした。なぜ辞めたのかと聞かれれば、「会社の賞味期限が切れたから」と答えています。私は昔から、会社と社員 の関係は五分五分だと思ってきました。会社にとって社員は利益を出すために必要なツールですが、社員にとっても、会社は自己実現を図るためのツールでしか ない。私が会社を辞めたのは、お互いのツールとしての賞味期限が切れたからということに他ならないのです。

 

 吉本興業という会社で、私が一番やりたかったのは、「お笑いをメジャーにする」ということでした。その目標はある程度、達成することがで きたのかなと考えています。また、当時は常務取締役になっていたのですが、「現場」の面白みを忘れられなかったというのもあります。私は、現場で世間の風 を受けているときが一番楽しい。であれば、次の現場へと向かうために、体力のある今のうちに辞めたほうがいいと考えたのです。

 

自分の名前で生きていきたい

  辞めてから気付いたこともあります。それは、タレントの世界がうらやましいという気持ちがどこかにあったのではないかというこ と。タレントというのは、個人の名前で勝負をしていますから、評価が直接的です。もちろんリスクもあるけれども、その分、認められたときの喜びも大きい。 かたやビジネスパーソンは、会社の名前や商品を通した、間接的な評価になります。私は、ビジネスパーソンとして直接評価の世界をずっと見てきました。だか らこそ、自分の名前で生きていきたいという気持ちが芽生えていたのだと思います。

 

今あるものを壊した後に、やりたいことは見えてくる

 ただ、「会社を辞める」と決めたのはいいけれど、「これをやろう」という明確なものは見えていませんでした。「次のことを考えてから辞めたほうが いい」というのが、普通でしょう。しかしそれでは、今やっている仕事の延長線上の発想しか出てきません。一度、今あるものを壊した後に、やりたいことは見 えてくるものだと私は考えています。だから、次が決まっていなくても、不安はありませんでした。これまで33年やってきた自分が認められないのなら、それ はそれで仕方がないと割り切っていたのです。

 

 そこまで楽天的でいられたのには、吉本時代から受けていた講演の仕事があったというのもあります。しかし、その講演も「吉本興業の木村」に対して のオファーでしたから、辞める時点で、それまで受けていた講演はすべてお断りしました。半分はキャンセルされることを覚悟して、「それでもいい」というと ころだけ行こうと思っていたのです。フタを開けてみれば、ありがたいことにキャンセルは1件だけでした。

 

会社名は分かりやすく「木村政雄の事務所」に

  となると、辞めて一番困るのは、連絡先が分からなくなることです。そこで必要なのは、電話。しかし、携帯電話が連絡先というのでは、なんとなく 怪しい感じが否めません。ならば固定電話をということになりますが、そうなると、今度は事務所が必要になってきます。だから、まずは事務所を探して電話を 引きました。

 

 それから考えたのは、会社名です。「~プランニング」や「なんとか企画」では、印象に残りづらい。印象に残って分かりやすいものをと考えて、会社 名は「木村政雄の事務所」に決めました。こうして吉本時代の秘書とふたりだけで始めたのが、今の事務所です。会社形態は有限会社。大きな資本が必要な業態 でもないし、そこで見栄を張ってもしょうがない。会社法が改正された今、もうつくれない有限会社という形もかっこいいのでは? と思っています。

起業、経営ノウハウが詰まったツールのすべてが、
ここにあります。

無料で始める