株式会社旬材 代表取締役社長
西川益道さん
1946年大阪府生ま れ。1972年ヤンマーディーゼル株式会社に入社。ヤンマー造船株式会社に出向後、漁船の建造に25年間携わる。ヤンマー西日本の常務職となるも55歳で 退職し、2002年5月、株式会社旬材を設立。
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プライベートブランドの開発にも 注力
旬材では流通業だけでなく、プライベートブランドの開発にも力を入れてきた。そのうちのひとつが「足摺四万十ハモ」である。「ハモ というのは、上方の食文化には欠かすことのできない素材です。しかし、その実態はというと、中国や韓国からの輸入がほとんどを占めている。でも私は、日本 のどこでハモがとれるのかを知っていました。だから“国産のハモを市場に出そう”と産地である高知県の漁業関係者に連絡を取ったのです」
しかし、高知県のハモ漁は、中国産のハモにおされ、15年前に休止に追い込まれていたのである。ハモ漁の技術を持つものは、60歳や70歳代の高齢の漁師 のみとなり、廃れゆく日本の漁業のひとつの光景がそこにはあった。そこで西川さんは、水揚げされた全量を買い付ける条件を提示し、2005年に1、2隻か らの漁の再開にこぎつけるのである。同時に、漁業組合に「足摺四万十ハモ」として商標登録をするように依頼し、高級ブランドとして売り出すことを提案。初 年度は30トンの出荷となったが、市場での評判も上々で、次年度となる2006年には漁船も18隻に増え、出荷量も80トンにまで増加。しかも、40歳代 の漁師もハモ漁に乗り出し、漁法が次代へと受け継がれていく土壌をつくることもできたのである。
「私が船をつくっていたころにはあった 漁が、いくつもなくなっているんです。そのうちのひとつでも復興させて、次の世代へと継承していくことができれば…」これこそ、西川さんが起業をしたころ からの変わらぬ思いだ。
大きな広がりを見せ始めた、旬材の新ビジネス
そして今、旬材は3つの新たなビジネスへと乗り出している。ひとつは、大正3年創業の老舗うなぎ屋の事業再構築である。「上方の食文化を残していきたい」 という思いから、時代に淘汰される運命にあったうなぎ屋を総本家 大巳事業部として引き継ぎ、その再建に取り組んでいるのだ。
もうひとつ が、創業当時のビジネスモデルであった、生産者と消費者を直接つなぐ販路の構築である。ただし、今度はインターネットではなく、IPテレビにその販路を見 出そうと考えているという。
そして最後が、消毒剤の開発。少し毛色が違うようにも思えるが、根底には「安全、安心な食を提供したい」とい う思いがある。下処理加工用の消毒剤として、ある病院の先生とともに商品化を目指しているそうだ。「ひとつひとつが大きな事業の種です。どれかひとつでも 成功したら、引退しますよ」と西川さんは笑う。
やりたいと思うことは、躊躇する ことなくやろう
最後に、団塊の世代へのメッセージをお願いした。「やりたいと思うことは、躊躇することなくやるということですね。周り に何を言われようと、3日間熟考して出た答えならば、実行に移すべきです。本当に倒れそうになったら、やめればいいんです。棺おけへ入るその瞬間に、良い 人生だったと思えるように、やれることはやりましょう」脳梗塞に倒れながらも、自らの思いに突き動かされてきた西川さんだからこその言葉ではなかろうか。