株式会社寺田屋 代表取締役社長
寺田美昭さん
1946年大阪府 生まれ。「ダイヤモンドにたずさわって30年余り。待ちに待った60歳を迎え、成熟した真のジュエラーたるべくさらなる人生を歩みだそうと、ジュエリー販 売からメーカー業への転身を図る。2006年8月8日、自らプロデュースするジュエリーの製造販売会社として、株式会社寺田屋を設立。
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定年だってしょぼくれていないで、もっと人生を楽しもう
「還暦記念で起業したんです」という 寺田さん。60歳の誕生日である2006年2月15日に還暦パーティを開催し、招待客の前で起業を宣言。そして、その場では「GOLDEN 60’S」と 題した自作の詩も披露したという。
「GOLDEN 60’S」
老人よ夢をもとう
老人よもっと 働こう
老人よもっと楽しもう
若い人よ一緒に遊ぼう
若い人よ一緒に語ろう
若い人よ一緒に汗をかこう
いつもやさしく
もっといろっぽく
ときには無邪気に
たまにはスタイリッシュに
強い意志、健全な肉体
気ば らずにゆっくりと黄金の60代
ロマンティックに火をつけて
黄金の60代
「口下手ですからね、詩にし たほうが気持ちを分かってもらえるかと思いまして。団塊の世代の人たちに、定年だってしょぼくれていないで、もっと人生を楽しもう。もっと働いて、ちょっ とでも世のなかに影響を与えられるような人生を送ろうじゃないか、という気持ちを込めたんです」
真のジュエラーたるべく、独立起業の人生を選ぶ
30年間に渡り、大阪・岸和田の地で、宝石や時計の販売小売業を営んできた寺田さんが、60歳を迎えて踏み出したのは、「ジュエラー」への道。「ジュエ ラーとは、宝石のプロということです。私の定義になりますが、自ら石を買い付け、デザインし、カタチにして、販売し、アフターフォローに至るまで、ダイヤ モンドという宝石に関することならば、あらゆる疑問に答えられるプロになる。そのために、独立起業という道を選んだのです」つまり、川の流れに例えられる 流通のしくみのなかで、販売小売という川下だけでなく、その川上に至るまで、すべての工程にかかわろうということだ。
その思いは、60 歳になっていきなり思いついたことではないという。58歳ころから、真のジュエラーへの道を目指し、着実に準備を進めていたのである。前述のパーティは、 その一つの成果のお披露目の意味も込められていたのだ。
パーティの招待客に配られたのは、「Y style」と題された一冊の豪華本。そこには、寺田さんが自らプロデュースした1点もののジュエリーが100点以上も掲載されている。真のジュエラーと して「限りない夢と愛」を込めたコレクションの数々は、どれも5カラット以上のダイヤモンドを使って、後世に伝えられていくことを目的にプロデュースされ たものばかりだ。
日本の宝石業界に一石を投じたい
「つく られたジュエリーを売る」のではなく、「自らプロデュースしたジュエリーを売る」ことに第二の人生を見い出した寺田さん。そこには、海外ブランドばかりが もてはやされる日本の宝石業界に一石を投じたいという思いもあったという。
「日本と海外、そのブランドの差は歴然としています。カルティ エにしても、ティファニーにしても、扱われるジュエリーにはストーリーがあります。お客さんは、ジュエリーそのものに加えて、そのストーリーやブランドの イメージにお金を払っているのです。
しかし、日本の宝石業界には、そんなストーリーは見当たりません。仲介業者も多いため、つくった人が 宝石に込めたストーリーは伝わらず、ただ値段だけが上がっていく。そして、最後は安売りに走る形になるのです」
しかも、その現状に甘んじ ている業者が多いというのが現実なのだという。「まじめにやっていれば、そこそこもうかりますからね。海外ブランドと肩を並べて張り合おうという気概のあ る業者はほとんどいない。だから、私がやろうと。爆弾を仕掛けることは無理でも、ほんのちょっとでも、海外ブランドに小石をぶつけられる存在になりたいの です」