有限会社安アカノ オートクチュールデザイナー
赤野 安 さん
1932 年 兵庫県生まれ。舞台衣装やファッションのデザイナーを経た後、離婚を機に日本古来の着物地を活かしたオリジナルファッションの教室を開く。現在では、教室 や作品展を全国各地で開催。近年では海外にも進出し、その評価も高まっている。
- 目次 -
女性が自立しない社会はつまらない
あこがれの着物だからこそ、長く着るために再生していくという発想は、安さんが始めた当時はまだな かった。切り刻まない、布に無理をさせないというのも、着物に対する愛情の表れに他ならない。古いものを大切にするという、ともすれば一時代前の発想が、 逆に新しいものを作り出しているというのは興味深い。
「欧州から入ってきた、いわゆる“洋服”は、bodyに合わせて曲 線を多く使っています。でも着物は、ほどけば幅が均一。ほら、ちょうどアフリカの人が布を巻いているような。だから加工しやすい。それをほどいて、柄・模 様を切り刻まないようにしていったら、独自の型紙が自然とできてくる。しかも、手作りだから同じものは一つもない。古布のデザインと言っても、難しくはあ りません。雑巾さえ縫えれば誰でもできるというのは、そういうことなんです」
今は、着物を扱う仕事を通して「例え小さな ことでも、日本の伝統文化を守るお手伝いをしているのかな」という自負も湧いてきたという。そして、これからも「もっと、日本の眠っている伝統文化を海外 へ拡めたい」と、意欲満々。すでに、海外でも作品展を開催し、サンフランシスコやフランス、中国などで、高い評価を受けている。
「古布の再生というのは、ともするとマイナーな作業になってしまいます。だから私は、いつも生徒さんたちに『社会的意義のあることをやっているのよ』と言 うんです。自分は社会に少しでも貢献しているんだという意識を持つと、みなさん、夫のことなんて忘れて、生き生きと作業されるようになるんです(笑)」
安さんの教室は、単なる習いごとの域を超え、女性の自立の手助けになっているのかもしれない。現に、多くの生徒さんたちが安さんから元気をもらい、今まさ に輝きを放っている。
「ある知り合いの方が、旦那さんに先立たれた後、家に閉じこもっていたんです。だから、こう言って あげたんです。『教室に出てきてみたら?仏壇ばかり眺めていてはだめ』って。そしたら、その女性は、今では講座を4つも持つほど活発になりました。女性は 自立しないと。女性が輝いていない社会なんて、つまらないと思うんです」
「気や すい」「着せてあげやすい」着物を追求していきたい
そんな安さんに、これからの夢を聞いてみると、「これからというより、私の場合『作 品の完成』『イベントの成功』『人からいただいた話に乗せていただき、全力投球したとき』など、一つひとつが無事終わるたびに夢が叶ったと思うんです」 と、いたって謙虚。そして、「生徒さんたちには人を育てて欲しい。教える立場になることは、自身を磨くことになります。そしたら、もっと輝けるようになるでしょ」
しかし、着物のこととなると話は別のよう だ。「これは夢と言えるかどうか分かりませんが、今の着物は、普段着としては普及していない。もっと『着やすく』『着せてあげやすく』していければ、と 思っています。特に、老人や障害者にやさしいものを作りたい。ほら、着物を着るときに『巻く』『結ぶ』『羽織る』という言葉を使うでしょ。そんな、気軽に 着ることができる着物にしていきたいですね」
自分が必要とされ ることをやれば、何かが変わる
ご自身がバイタリティあふれるシニアとして活躍し、今や多くの女性たちに勇気を 与える存在となっているが、その力はどこから来るのだろうか。
「それは、『生きる』『生かす』『生かされる』そして『生 き切る』という言葉に尽きます。これは『人』も『古い袖』でも同じ。人は『生かし、生かされ』ながら人生を『生き切る』し、古布も再び命を吹き込むことで 『生かされる』。とにかく命ある限りは、生きていかなならん」と、たくましいばかりだ。
そして、特に女性には「私がそうだったからという わけではないけど、男に頼ったらだめ。頼ってばかりいると愚痴ばかりになってしまうし、第一、顔の表情が暗くなる。喜びながら楽しみながら自分が必要とさ れることをやれば、何かが変わると思います。だから、自分が必要とされることを探せばいい。女性には、いつも輝いていて欲しいですからね」
安さんの言葉からは、経験に裏打ちされた重みが感じられてくる。