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雑多な情報と「金の卵」との違い
さて、「情報」というと、とにかく手当たりしだい、なんでも吸収、となりがちだ。もちろん、情報自体にそれぞれ一定の価値はあるものだが、情報に は、雑多な情報と「金の卵」の違いがあることを知っていたほうがよい。この違いは決定的だ。雑多な情報と金の卵を見分けるためには、「情報には常に発信者 がいる」ということを知っているべきだ。発信者のレベルを量れば、「金の卵」の含有率や卵の大きさが想像つく。たとえば、週刊誌レベルの情報でも「金の 卵」はないことはない。
しかし、どれだけの週刊誌を毎週毎週読んでも、それに出合う確率は低いと言わざるを得ない。結論が見えている人 が書けば、その情報は「金の卵」になり、結論が見えていない人が書けばその情報は雑多なものになる。だから、大局観を得るための秘訣は、結論が見えている 人を探し、その著作や友人関係から知識を辿っていくことだ。
大局観があれば雑多な情報は捨てられる
逆に、政治経済のトレンドや結論が見えている人 を追うことで、大局観が身についてくることがある。勉強していると、自分にも少しは結論が見えてくるようになってくる段階だ。逆説的だが、大局観があれば 雑多な情報は間違いなく見分けられる。大局観を得た後でマスコミの記事を読むと、受け売りのうすっぺらい議論に見えてくることすらある。
こういう感覚を感じられるようになるまで、トレンドやよい発信者を追うとよい。
大局観の元は読書量に経験を足したもの
情報の取捨選択能力を磨くのが大切なのだが、こ の「能力」は、生まれつきの才能のことではない。努力で十分補えるものだ。僕も学生のときの勉強量などたかが知れていたけれど、社会人になってからの勉強 で一気に大局的なものの見方が身に着いてきた。
社会人の勉強とは、意外に思われるかもしれないが、一に読書、二に経験、である。知識と経 験があれば、一段高いところから見渡せる。だから僕は、いつも社員に「読書、読書」と言っている。社員は正直、耳タコだろうが、経営の視点を身につけるに はどうしても必要なことだから、繰り返し繰り返し言うことにしている。