渋谷の駅を降りて、センター街をまっすぐに進むと、左手にマクドナルドそして、あの老舗バー「門」。そこを過ぎるとローソンがあって、どんどん怪しい雰囲気になります。その先の雑居ビルの3階が、今日の目的地です。ここかな~。看板ないし…。一階はバーかな?ここは?あれ…大丈夫かな?このビル?エレベーターのところにも案内はありません。そう言えば店の名前も聞いてなかったな~。マスターからの案内には「そのビルの奥にあるエレベーターで3Fへ。エレベーターの右手にある『完全に閉ざされた防火扉のシャッター』を勇気をだしてオープンしてみてください。」とだけあった。3階にあがってみると確かに右手には防火シャッターがあって、左にもバーみたいなお店が…。「これか、勇気をもって開ける扉は…」手前に引いてみると、もう一枚ガラス扉があって、中に人影が…。ちょっと、ホッとして、そのガラス扉を押しました。
「あ、吉田先生、わかりました?いらしゃいませ」いつもの明るい声で迎えてくれたのはこのバーのマスター神田敏晶(かんだとしあき)さんです。「わかったよ。スパイ大作戦の指令みたいな、道案内のメールのとおりに来たら、着いたよ。ここが神田さんの店なんよね。隠れ家…」(笑)
何故か神田さんは僕のことを先生と呼ぶ。なんでやろ?
彼は1995年から KNN(KandaNewsNetwork)っていう個人放送局をスタート。ビデオカメラ一台で、世界のIT企業や展示会取材に世界を飛び回るビデオジャーナリスト。自分で撮って、ナレーターして、インタビューして、編集して、インターネットで配信して…一人何役もこなすスーパーマンですが、今度はバーのマスターも…ほんま忙しい人です。イベントなんかの司会やゲストでも活躍されています。神田さんが有名になったのはあの「ドバイの悲劇」です。ワールドカップ予選で、日本がロスタイムでイラクに得点されて引き分けてワールドカップ出場を逃した、あの試合を現場からインターネット中継。これが伝説になっています(笑)。9.11の時もロスにいて空港から日本のMLに現地レポートを送ってくださいました。
その神田さんが隠れ家バーを始めたのです。「看板ぐらいだしたら…」って言ったら、「出さない約束で始めたんだよね。それに、出したら見つかるでしょ」だって。そのくせ、初めてのお客様には「わかりましたか」なんて気を使っているんですから、面白いです(笑)。今日はゲストとして呼ばれたんですが、呼ばれたイベントは「中国ビジネス研究会」。飲みながらワイガヤで中国のビジネスを研究(?)しようって趣向です。もう一人ゲストがいて、データセクション(株)の橋本大也社長。彼は11月に出張で北京を訪問。帰って来られたとこです。二人が30分ぐらいのショートプレゼンをして、後はみんなでワイワイガヤガヤ…7時半から集まって僕は9時過ぎまでお邪魔してました。
イベントも楽しかったですが、この隠れ家がとてもよかったです。神田さんはあっちこっちでこの隠れ家の話をしますが、名刺にもその場所はないし、彼のホームページにもバーの話は載ってますが、住所や所在地はありません。神田さんの営業は「来てくださいよ。DMください。道案内しますから…」それだけ。まさしく、知ってる人だけが知ってるお店です。奥にはドラムやらキーボードがあって、遅くにはライブもあるらしいです。ギターが何本か並んでいたのですが、これは神田さんの趣味らしいです。
昔、京都の北山に「Saturday」っていう土曜しか開いてない伝説のバーがあったんですが、そのSaturdayを思い出しました。
起業の心得:ゲンイチ第55回 あやしい、隠れ家…
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