第166回 株式会社じげん 平尾 丈

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

第166回
株式会社じげん
代表取締役社長
平尾 丈 Joe Hirao

1982年、東京都生まれ。海城中学校・高等学校から慶應義塾大学環境情報学部に進学。大学在学中、有名企業の会社員、政治家、起業家など、1万人強の著名人に会うための企画を自ら実施。また、学生起業家として2社のITベンチャーを立ち上げ、軌道に乗せた。2005年、大学を卒業し、株式会社リクルートに入社。2006年、リクルートの関連会社の立ち上げに参画し、リクルートグループの最年少取締役として同社に出向。2008年には、最年少の代表取締役に就任。2010年、MBOにより完全独立させ、社名を株式会社じげんに変更。同社の経営に専念するため、学生時代に立ち上げた会社の役員を退任。2011年、ソフトバンク株式会社・孫正義代表の後継者発掘プロジェクト「ソフトバンクアカデミア」に合格。2013年11月、東証マザーズに上場を果たした。

- 目次 -

ライフスタイル

趣味
多趣味です。

仕事以外で、やりたいことはたくさんあります。ただ、今は趣味に没頭できる時間がほとんどありません。

行ってみたい場所
宇宙です。

例えば、北極に行くか、北極星に行くか。当たり前に行ける北極ではなくて、私は誰も行ったことがない北極星に行きたい。そういった意味で、宇宙を挙げました。そもそも、バイオ、ゲノム、テクノロジーなど、人間の暮らしを進化させる学問が大好きということもありますね。

「ライフメディアプラットフォーム」を武器に、
急成長企業を牽引する新進気鋭の起業家

コーポレートビジョンは「OVER the DIMENSION!―次元を超えよ!」。創業から7期連続の増収増益を達成させ、株式会社じげんを昨年(2013年)11月、東証マザーズ上場に導いたリーダー・平尾丈氏。同社は、「Great Place to Work 」中小企業部門5位、「Deloitte Technology Fast 50 in Japan」「Deloitte Technology Fast 500 in Asia Pacific」に選出されるなど、働き甲斐のある企業としても注目を集めている。「ライフメディアプラットフォーム」を武器に、生活機会の最大化を目指す次世代ITベンチャーはどんな未来をつくるのか――。「異なるものが最先端に立った時にだけ得られる爽快感とでもいうのでしょうか。新たな構造を創造し、周りをあっと言わせたいですね」。今回はそんな平尾氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方を大いに語っていただいた。

<平尾 丈をつくったルーツ①>
起業家だった祖父が根源。
競争に勝ち続ける中で社会を理解

私が生まれ育ったのは、東京です。祖父は起業家でしたが、その会社は父が継ぐ前にあえなく倒産。私がまだ小さな頃で、姉と二人の幼子を抱え、家計は大変だったのだと思います。父はなかなか定職に就こうとせず、母が公文式の教室をフランチャイズで経営しながら平尾家の生活を支えてくれました。自宅には公文式のプリントがたくさんあって、3歳くらいからその問題を解くことが私にとっての日常でした。そのおかげか幸いなことに小学校に上がってから勉強で苦労した記憶はありません。

ちなみに、姉が先に通っていた国立大学の付属小学校を受験して、試験と面接は合格したのですが、その後の抽選で落選。なので、小学校は地元の公立小学校に通うことになりました。極度の負けず嫌いで、あきらめの悪い気質はこの頃から変わりません。人生をうまくコントロールできなかった父を反面教師として見ていたせいもあると思います。中高一貫の男子校、海城中学校・高等学校へ進学してから、その気質がより強くなりました。私と違って、海城には、裕福な家庭の子どもたちが生徒として多く在籍しています。福沢諭吉は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言い残しましたが、世の中のリアルは、どう考えても平等ではないのです。

どうやって浮上するための機会を掴んでいくのか。どうやってそんなチャンスを増やしていけばいいのか。そんなことを繰り返し頭の中で考えるようになっていきました。

<平尾 丈をつくったルーツ②>
テレビ番組で学生起業家の存在を知り、
自分を高めるため慶應義塾大学環境情報学部へ進学

中学までは成績がよくて、学年で50番以内に入っていました。ただ、海城には高校から入学してくる生徒もいるんですね。中学組は基本的に1年先の受業を終えているから、高校に上がるとすぐに高2の勉強を始めることになる。そうすると、高校からの入学組はかなりのハンデを背負うことになります。私は中学からの成績優秀な友人たちとも仲良くやっていましたが、中学時代から自分たちで部活をつくって遊んでいたこともあって、高校入学組ともすぐに仲良くなりました。

また、海城の学生は東大を目指すのが当然といった雰囲気がありましたが、私はそこに同調できませんでした。何か、目的と手段を勘違いしている気がして。数学だけは何もしなくても点が取れましたが、受験勉強だけに集中する意味が見いだせない時間が続きました。今後、自分は何をすべきなのか、もんもんとしていた高校3年の時、あるテレビ番組で、起業家という存在を知ることになります。そこで紹介されていたのは、慶應義塾大学環境情報学部(SFC)の学生で、いわゆるIT系の学生起業家だったのです。祖父が起業家だったこともあったのでしょう、彼の存在がとても眩しく感じられたことを覚えています。

まだ18歳かそこらですから、わずかな人生経験しかありませんでしたが、自分には仲間をひきつけるリーダーシップ、人を喜ばせるアイデアと商才がありそうなことが漠然とわかっていました。起業家という道で、自分の人生を輝かせてみよう。そのテレビ番組を見た時に、そう決めたんです。それからすぐに始めたのは、SFCに合格するための受験勉強でした。試験までに残された時間は1カ月ほどしかありませんでしたが、幸い結果は現役合格。そして、高校卒業後、私はSFCがある湘南藤沢キャンパスに通い始めることになります。

<慶應義塾大学へ>
自分が目指すべきロールモデルを探求するため、
社会で輝いている大人に会い、道を確立

SFCに進学して、件の起業家に会って学び、それから起業しようと思っていたんですよ。実はかなり真剣に。ただ、現実はテレビで観た際の想像と異なり、自分自身で道を開くしかないなと強く感じました。また、自宅から湘南キャンパスまでの通学は、片道2時間半もかかる、あまりに遠い道のりで、思い描いていたキャンパスライフとは異なる、異質な空間でした。海城時代の同級生は、だいたい2パターンに分かれていて、東大に合格して大学生活を楽しんでいるパターンと、浪人したけど予備校では成績優秀だからそれなりに環境を楽しんでいるパターン。自分はどっちつかずで何て中途半端なんだと……。入学してすぐ、SFCに来たことを後悔しました。

そのような状況が続くと、大学まできて愚痴っている自分に嫌気がさしてきました。そこで心機一転、これから自分が目指すべきロールモデルを改めて探すことにしたのです。そこで、輝いている大人1万人に会うという目標を決め、すぐに行動に移しました。人脈って自分と同レベルの、横の平行なつながりだけではあまり意味がありません。特に私は大人に、それもひとかどの人物に会うと決めていましたから、簡単ではなかったです。飛び込み面会、テレホンショッキング的な紹介の継続など、ありとあらゆる工夫を凝らして人に会いまくりました。

有名企業の会社員、政治家、ボクシングの世界チャンピオン、起業家でいえば、ソフトバンクの孫正義さん、サイバーエージェントの藤田晋さんなどなど……本当にいろんな方々とお会いしてお話させていただきました。これは学生の時にしかできなかったことだと思います。その活動をとおして、「やはり、自分はこれだろう」と思ったのは、世の中の社会問題を自らの力で解決している起業家の生き方でした。世に問題提起をするだけではなく、社会問題という火事を実際に自分の力で消す側で勝負してみたい。それこそが、起業家の役割だと。それからは行動あるのみです。1日に最低3つのビジネスアイデアをひねり出し、それらをどんどん蓄積していき、つなげたり、掛け算したりしながら、事業化できる可能性の高いスキームを考え続けました。そして、絵にかいた餅ではなく、その事業をかたちにすべく、学生起業家としての活動を自ら開始したのです。

<リクルートへ>
「10年に1人の逸材」と評価されリクルートに入社。
経営者としての自分を鍛えるための選択

結果的に、それから卒業までの2年の間に、実にさまざまなビジネスを立ち上げました。ビジネスに必要なもの、それは、“ヒト・モノ・カネ”ですよね。友人は多いほうでしたので、人はいくらでも集まりました。もの=ビジネスアイデアは、四苦八苦しながらも必死で考えました。あと、足りないのは資金です。これは、事業アイデアコンペティションの賞金でまかなうことにしました。その資金を使って、実践したビジネスの内、2つを法人化。それがBtoCよりの人材系、広告系のITベンチャーで、そのどちらの事業も “人・もの・金”をコントロールして、収益化に成功しています。

そのまま就職せずに起業家の道を進むという道もあったのですが、競争好きで負けず嫌いの私は、就職試験でも自分の力を試しておきたかったんです。複数の企業から内定をいただいて、その中でもリクルートが一番自分を一所懸命に誘ってくれていました。また当時、若手起業家の旗手といわれていた方々から、「若さは、失敗の機会を早く補うことができる元気さくらいの価値しかない。どちらかというと、起業家にとって、若さは弱さだと思う」といったアドバイスも。そして、リクルートは「起業家のまま入社してもらってかまわない」と掟破りの二足のわらじを認めてくれ、社長、取締役などからの引き留めフォローもしていただきました。私が経営していた会社が、リクルートの競合ともいえる事業をやっていたこともわかってくれたうえで、「君は10年に1人の逸材だと思う」というありがたい評価までいただいて(笑)。

それらの好条件を提示いただいたこともあって、ここが経営者としての自分を鍛えてくれるキャリアとしては最適だと踏み、2005年4月、私はリクルートに入社します。Webビジネスをしっかり学びたいと希望を伝えていたのですが、最初の仕事は人事部での新卒採用です。1カ月かけて1000人ほどの就活学生を集め、会い、「何で?何で?面接」を繰り返す毎日。この人事での仕事は、人材ビジネスのパイオニアであるリクルートが、どのような観点で人を見ているのか、とても勉強になりました。その後、インターネット・マーケティングの部署に異動しましたが、最初は本当に役立たずで、いかに自分が何にもできず、コストになっているかを思い知りました。そこで先輩に最速で追いつく方法を考えた結果、自分は不器用なので量をやるしかないと。

次週、「次元を超えた“発想”と“スピード”で、生活機会の最大化を実現!」の後編へ続く→

「OVER the DIMENSION! ― 次元を超えよ!」。
圧倒的に突き抜けた仕組みで世の中の常識を覆す

<チャンスを掴み独立へ>
父の急逝により、自らの死生観と向き合った結果、
三足のわらじを捨て、一つの事業に全力投球

そうやって、遮二無二働いていると、仕事における量と質の転換ポイントが訪れるんです。私の場合は、1カ月を過ぎた頃だったでしょうか。結果、配属されて3カ月目には、ブログやSNSを活用したHR事業の集客を高める仕組みの提案でMVPを獲得し、その後は、月間目標を必ずクリア、社内のあらゆる賞をほぼ総なめし、職級もいっきにグレードアップしました。当時はリクルート社内の人事考課が変わった時期で、年功序列がなくなって、すごく面白い仕事をさせていただけたと思っています。入社1年目の秋に、毎年行われる社内の新規事業プランコンテストがあり、そこに出した事業プランが2つとも表彰されたんです。その成果が認められ、今度は事業開発室に異動となり、事業開発をやらせていただくことになりました。

そして、リクルートが投資事業に本腰を入れたタイミングで、ITベンチャーとリクルートの共同出資により、2006年、当社の前身企業が発足します。この会社に私はリクルート側の要請で出向し、まずは営業活動に奔走して一人で1億円以上の売り上げ獲得に貢献。そして単月黒字になった23歳の時に、最年少の取締役に就任しました。これが、“じげん”の経営に携わることになったきっかけです。実はこの頃、父が53歳で亡くなっています。その当時、自分の死生観を改めて考えたことで、一つの決断にたどり着きました。

学生時代から経営していた会社の社長、リクルートの社員、当社の取締役という三足のわらじをはいていましたが、すべての取り組みに対してしっかりパフォーマンスを上げている自信と自負がありました。ただし、人生は誰しも一度きり、自分に与えられた時間は限られています。自分を生んでくれた父の死を転機として、分散させていた自分のすべての力を一つのビジネスに集中させ、頑張ってみようと考えたのです。そして、学生時代から継続してきた会社の代表を退き、2007年12月にリクルートを退社して、当社に転籍となり、2008年1月には代表取締役社長に就任。じげんを立ち上げた当初からの課題だった、リクルートの中では実現できないプラットフォーム事業へと、会社が進むべき方向をいっきに転換していったというわけです。

<生活機会の最大化!>
クライアントにもユーザーにも機会をもたらす、
ライフメディアプラットフォーム事業で勝負!

ちなみに、社名である「じげん」の由来は、“次元”、英語の“dimension”です。次元は、物質と時間と空間で構成されていますが、そのうちの物質は過去のメディアが媒体化することで具現化されました。しかし、時間と空間を超えたメディアは、まだ存在していない。そして、それらを超える新たなビジネスを創出するのが、当社のミッション。そんな考えのもと、生まれたのが「ライフメディアプラットフォーム」という、同業他社と競合しない独自のスキームです。転職、結婚、住宅購入、引っ越し、旅行、車選びなど、人々にとって人生の大きな転機となる生活機会があります。それらの機会との“出会い可能性”を最大化し、ユーザーの方々が、よりよい選択ができるよう支援する。そんな出会いを実現するのが、当社が運営しているメディア、「転職EX」「アルバイトEX」「婚活EX」「住宅購入EX」などとなります。

例えば、「アルバイトEX」は、全国の有力アルバイト求人サイトと提携しており、各サイトが掲載しているアルバイト求人がほぼ掲載されています。その結果、当然ですが求人掲載件数は国内最大級の規模となります。圧倒的な情報数の中からユーザーは自分に最適な選択ができるため、機会損失を減らすことができるわけです。一方、求人サイト側からは、「アルバイトEX」を介して同サイトに掲載されている情報への応募あった場合にのみ、わずかな成功報酬をいただきます。自社サイトに登録していないユーザーも、低コスト、低リスクで取り込めるというわけです。そういった意味で、求人サイトと競合するのではなく、そこへユーザーを誘導する役割をもったメディア。つまり、「プラットフォーム・オン・プラットフォーム」の形態を取っていることが、当社の事業の最大の特徴であり、強み。うちのプラットフォームを使っていただくことで、アフィリエイトやリスティング広告よりも手間なく、質のよい集客ができるのです。

このような仕組みのサイトを、先述したようなさまざまな分野を網羅しながら、領域を広げてきました。求人や住宅、引っ越しなど、ある意味、多くの企業が群雄割拠している市場を中心に事業を展開しています。これまで私たちは「ライフメディアプラットフォーム」ビジネスのパイオニアとして、各社から大切なデータべースをお預かりする代わりに、ユーザー集客の仕組みや、大量のデータを扱うサイト運営のノウハウなどを蓄積しながら、改善・進化させ続けてきました。これらのポイントが大きな先行者メリットとなっており、後発のベンチャーが当社を追い抜くのは確実に困難です。一方、大手企業にとっては参入メリットが小さい。海外を含めた「ライフメディアプラットフォーム」の横展開、また、新規事業のラインナップも目白押し。じげんの急成長は、まだまだ続いていくと確信しています。

<未来へ~じげんが目指すもの>
新たな構造を創造し、周りをあっと言わせるやり方で、
できるだけ早く世界の中で圧倒的に突き抜けた存在に

当社は創業から7期連続の増収増益を果たし、おかげさまで昨年(2013年)11月22日、東証マザーズに上場することができました。自分で考えたことを満足のいくスピードで実現できたことが、上場にたどり着いたひとつのポイントだと捉えています。また、当社の経営理念は、「OVER the DIMENSION! ― 次元を超えよ!」なのですが、結局、自分がやりたいことは利益の創出などではなくて、イノベーションなんですよね。私は、ソフトバンクの孫正義さんの後継者プログラム「ソフトバンクアカデミア」の合格メンバーでもあります。今(2014年1月24日が取材日)、ソフトバンクの時価総額が約10兆円で、じげんが約800億円。孫さんと私は25歳離れていますが、今後25年に今のじげんを100個つくれば相当価値になれる。それは必ずできるだろうと思っています。

ちなみに、2001年の国内ITメディア企業の時価総額1位がヤフージャパンで、2位が楽天でした。10年経ってもこのトップ2の順位は不動です。しかし、シリコンバレーでは、マイクロソフト、グーグル、フェイスブックやツイッターと、テクノロジー企業の主役が7年周期で変わっています。先進国における時価総額のトップ10企業のうち、TMTセクターといわれるテクノロジーの領域の企業が入っていないのは、日本だけなんですよ。楽天が2兆円、ヤフーが3兆円、その上に総合商社、自動車メーカー、銀行がいるという。この、ある意味いびつな現状を覆して、本気で世界トップを取りにいきます。

海外を見れば、アップルの時価総額は50兆円です。その額は中堅国家の実質GDPレベルで、世界に散らばるユーザー数はその国が抱える国民の数よりも多いはず。そういった見方をすると、経営者が国家規模のマネジメントをできる時代になったわけです。あくまでも商品・サービスの売り上げで企業は運営されており、ユーザーから税金は取っているわけではないですけどね。今後もじげんは、さまざまな新たな仕掛けを圧倒的なスピード感をもって、発信・進展させていき、できるだけ早く世界の中で圧倒的に突き抜けた存在になりたい。多くの起業家がソーシャルメディア、ゲームの準備を始めた頃、じげんは、真逆の広告ビジネスに走りました。そして、新たな「プラットフォーム・オン・プラットフォーム」という構造を確立しました。異なるものが最先端に立った時にだけ得られる爽快感とでもいうのでしょうか。新たな構造を創造し、周りをあっと言わせるやり方が好きですね。そして今、私たちはまったく新しいかたちのプラットフォームの構築を進めています。詳しい内容はまだお話できませんが、ぜひ、じげんの動向に注目していてください。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
今あるプラットフォームとの協調を意識して、
未来を演繹法と帰納法でしっかり考えること

なぜ、私自身がこの会社の経営者をやれているかというと、やっぱり、自分が「すごいな、いいな」と思える人たちと、同じ目線に立って物事を見たり考えてきたからだと思うのです。常に背伸びしてきた、ということです。後輩や同級生には敵がいなかったですし、負けず嫌いなので、「先輩とはいえ負けないぞ」とやってきたことがよかった。起業して成功したいなら、そんな目線の高さが大切でしょうね。あと、世の中の変化スピードって早いですよね。今はその対応が難しい。私の場合は、物事の本質を見抜くこと、簡素化、構造化が得意というか好きだったのがよかったと思います。マーケットや業界の置かれた現状と未来を、演繹法と帰納法でしっかり考えられる力がある人は、どこにいても、何をやっていても成功するのではないでしょうか。

自分がなぜ起業家になったかのというと、多くに人たちに素晴らしい機会を増やしたいというのが一番の理由だと思います。雇用もそうですし、成長機会もそう。あとは、たくさんの出会いのチャンスも。学生時代の起業であれば、「自分がやりたいから」が理由でも何とかなりました。でも、今はあらゆることにしっかりとした説明責任がついて回ります。自分の言動には大きな影響があって、すべてのステークホルダーの目線で物事を捉え、考えられなければダメなのです。ある意味、この思考も構造なんですけどね。経営に必要なさまざまな構造を、人よりも明確に早くイメージできることが自分の強みだと思っています。そう考えると、自分が大人になっていくプロセスで、リクルートの会社員として上司にマネジメントしてもらったり、ビジネスをうまく成長させていくためのノウハウを、仕事を通じて身につけられたのはラッキーでしたね。

今後、起業を目指す方々の環境は、どんどん整っていくと思います。いろんなことをショートカットできるプラットフォームが周りにいくらでもありますからね。ゼロから一人でやるよりも、彼らプラットフォームの側と協調しながら挑戦できる方向を考えてみるべき。その際に大事なのは、双方にしっかりと相乗効果が生まれるかたちを考え抜くことです。そのほうが絶対に早く成功できることは間違いありません。あとはタイミングかなと。自分が得意と思っていることは何かに簡単に代替されないか、仲間はしっかり付いてきてくれるか、近い将来に想定している市場に地殻変動は起こらないか――などなど。そのうえで、「チャンスを見極めた」と確信できるタイミングが訪れたら、やる。いずれにせよ、まずはあなたが起業する理由をとことん考え抜いてほしいと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(ハイキックス)
撮影:内海明啓

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