第84回 株式会社ピースマインド 荻原 国啓

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

- 目次 -

第84回
株式会社ピースマインド 代表取締役社長 
荻原国啓 Kunihiro Ogiwara

1977年、イギリス・ロンドン生まれ。双子の兄は英人氏。高校までは兄弟同じ学校ですごすが、大学は別々に進学する。慶應義塾大学経済学部に在籍してい た3年次、国際基督教大学国際関係学科に進学した英人氏とともに、人材紹介ビジネスを立ち上げる。その後、MLB(メジャーリーグベースボール)選手会公 認エージェントの佐藤隆俊(現・取締役)との出会いがきっかけとなり、メンタルヘルスマネジメントの重要性を強く認識。1998年、個人、組織にまつわる “心の問題”を解決するため、株式会社ピースマインドを創業。代表取締役社長に就任。英人氏は副社長に。日本初のインターネットを介した1対1のオンライ ンカウンセリングサービスを開始し、現在、業界のパイオニアとして、約300社・対象者130万人に企業、組織のEAP(従業員支援プログラム)サービス を提供している。自身も、精神保健福祉士、産業カウンセラー資格を取得している。

ライフスタイル

好きな食べ物

居酒屋メニュー。
好き嫌いはほとんどないですが、ネギだけは苦手です(笑)。和食系が好みで、居酒屋メニューが好きです。生春巻きって和食系ですよね(笑)。お酒はワイン、焼酎、梅酒と何でも飲みます。でも、ビールだけはなぜか苦手です(笑)。

趣 味

映画です。
先日、チェ・ゲバラを題材にした映画、「チェ 28歳の革命」と「チェ 39歳 別れの手紙」をはしごして観てきました。起業家魂を感じさせてくれる内容でしたが、知っていたとはいえ悲しい結末に少しブルーになりました。しかも、ひとりでしたし(笑)。

ほっと する瞬間

伊勢神宮です。
伊勢神宮に一度も行ったことがないんです。やはり、神道の本丸でしょう。初心に戻れたり、心が洗われたり、今、そんな経験を欲しているんですよ。神聖なものに触れてみたいというか。でも、自分の心が汚れているわけではないですよ(笑)。

最近感動したこと

イチロー選手のコメントです。
WBCでイチロー選手が、最後の最後に魅せてくれたでしょう。「苦しいところから始まって苦しさが辛さになり、心に痛みが来て、最終的に全員で笑顔になれた。ファンの人たちに笑顔を届けられて最高です」。あの試合後のコメントに感動しました。

ベンチャー界の荻原兄弟が“心の問題”を解決。
メンタルヘルスサービスを日本のインフラに!

 現代の日本にはさまざまな原因から生じるストレスが蔓延し、世界先進国の中でももっとも自殺者の多い国となってしまった。自殺率で見ると、なんとアメリカの2.5 倍。年間の国内自殺者が3万人を超えたのは1998年から。ちょうどこの年に、メンタルヘルス予防のインフラを提供するパイオニアとして産声を上げたのが株式会社ピースマインドである。以来、オンラインによるカウンセリングサービス、ホテル、百貨店などでのカウンセリングルームの直営展開、世界最大手EAP(従業員支援プログラム)企業との業務提携などを積極的に行い、日本におけるメンタルヘルスサービスの新しい概念、価値を生み出し続けている。「予防を前提としたメンタルヘルスが浸透し、個人、組織が正しい認識を持ち、適切な制度が行き渡れば、個人、家族、企業、そして社会全体が本当の意味で豊かになると信じています」と語ってくれた荻原国啓氏。今回は、同社の社長国啓氏と、双子の兄であり副社長を務める英人氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<荻原国啓をつくったルーツ1>
双子として両親から平等に育てられるが、性格も考え方もまったく異なる兄弟に

 父は総合商社に勤める会社員、母はプロのイラストレーター。父は入社2、3年後くらいにイギリスのロンドンに駐在となって、赴任中に母と結婚しました。その時に、僕と双子の兄、英人が生まれたんです。自宅にはずっと、母が仕事の参考資料として使っていた各種の図鑑や百科事典、写真集がたくさんありました。僕も英人も、それらの参考資料をよく眺めて遊んでいたことを覚えています。でも、ロンドンでの生活は僕たちが生まれてから約1年後に終わるんですよ。まだ物心もついていませんから、残念ながら帰国子女にはなれませんでした(笑)。日本に帰国してからは、東京の武蔵野市で暮らすことになります。近くには、豊かな自然が残る井の頭公園があって、環境的にも恵まれた場所でした。

 両親は、ふたりにまったく差をつけることなく、平等に育てたかったようです。だから、服はほとんどが色違いの同じもの、与えられるおもちゃも同じだから2倍ありました(笑)。また、小学校から僕たちふたりとも私立に通っていたので、ほかの家庭と比べると学費が同時期に2倍必要なわけです。両親にとっては相当な負担だったでしょうね。荻原家の兄弟は僕たちふたりだけ。外に出れば、同じ顔、同じ背格好の男の子が、同じ服とランドセル背負って歩いている。周囲の人からはよく好奇の目で見られましたが、僕たちはまったく気にしていませんでした。なぜなら、この状態が普通だと思っていましたから。でも、僕と英人でずっと一緒に時間をすごしたことが、その後のアイデンティティの醸成というか、人生に多大な影響をもたらしていることは間違いないです。

 僕は平気で親にものをねだるなど、自己主張が強く社交的なタイプ。英人は寡黙で、心の中でいつも何かを考えているタイプ。そして、問題を起こすのはいつも英人でした。たとえば、住んでいたマンションの共同トイレの内側からカギをかけて出られなくなったり。駅のホームにある非常ボタンを押して電車を止めてしまったり。僕自身、英人から昆虫標本キットの殺虫注射を腕に打たれて大変な目に遭ったことも(苦笑)。「『押すな』とか『禁止』とか書かれていると、逆にやってみたくなる。シャボン玉も吹かずに吸っちゃってたくらいですから(笑)。生来のあまのじゃくなんですよ。僕は」(英人氏)。

<荻原国啓をつくったルーツ2>
それぞれの判断で別々の大学に進学したが、会社員になりたくないという思いは共通していた

 英人は小学生の頃からバスケを始めていて、中学に上がってからは、僕もジョイン。ふたりでバスケ部に所属して、一所懸命練習に励みました。僕らはゆ とり教育の前の世代でしたし、1年生の時はモップかけと球拾いだけ。かなりのスパルタ指導でしたよ。当時のふたりの夢は、NBA(全米プロバスケットボール協会)所属のプロ選手になること。マイケル・ジョーダン選手の大ファンで、彼のプレーを収めたビデオをテープが擦り切れるくらい何度も何度も見返して、朝練でそのプレーを試していました。ポジションは、僕がポイントガードで、英人はシューティングガード。「試合中に熱くなって、コート上で兄弟ゲンカしたことが何度もあります。NBAへの夢ですか? 背がこれ以上伸びないとわかった瞬間、すぐに消え去りました(笑)」(英人氏)。

 あと、はまったのは音楽ですね。バスケットの母国はアメリカですし、NBAには黒人選手も多かったでしょう。それで、ヒップホップとかソウルミュージックに傾倒していきました。ちなみに勉強は、ふたりとも数学や物理など理数系が苦手。文系科目の中でも、お互い得意科目に微妙な違いがありましたね。僕は社会学系の科目が好きでしたけど、英人は国語や英語などの語学系の科目が好き。で、高校2年くらいまでにふたりともバスケ部を退部し、その後は受験モードに突入します。ずっと同じ学校に通っていましたが、それぞれ自分の判断で別々の大学に進むことにしました。僕の場合、何をするにも経済や産業に関する勉強はしておいたほうがいいだろうと考え、慶應義塾大学の経済学部へ進学しています。

 かたや兄の英人はやはり王道を行くのが嫌なようで、「俺は、早稲田、慶應のようなメジャーな大学には行きたくない」と。そして彼が進学したのは、国際基督教大学の教養学部国際関係学科でした。僕と英人は、性格も考え方も言ってみれば陽と陰で真逆。でも、会社員にはなりたくないという思いは昔から共通していました。総合商社に勤める父は激務を厭わない典型的な日本の企業戦士。海外への長期出張も日常茶飯事。また、家に会社の話を持ち込まない人だったので、その大変さだけが伝わって来て、子どもには仕事の意義がよくわからない。そんな父の後ろ姿を見るにつけ、雇われる生き方ではないほうがいいなと。イラストを描いている母の仕事のほうが、断然イメージしやすかったですから。

<もうひとりのパートナーとの出会い>
大学3年で人材紹介サービス事業を立ち上げる。
その後、異業種交流会で出会った大切なパートナー

 正直、僕たちが父の仕事を理解して、尊敬できるようになったのはハタチを過ぎてからです。僕も英人も小学生の頃から偉人伝をよく読んでいて、いつか大志を成し遂げられる人になりたいと考えていました。そして大学の入学式の前日に、「雇われないで生きていこう」「卒業までにテーマを見つけて事業を起こそう」と決意したんです。 でも、大学生になったらなったで誘惑が多いでじゃないですか(笑)。2年まではほとんど授業を受けることなく、ふたりで音楽イベントやクラブイベントを企画して、小金を稼いで遊んでいました。最初は楽しかったのですが、この活動も徐々にだらけてきて、2年の終わりくらいに焦りだした。何か本気になれることを始めなければと。

 ふたりとも違う大学に通っていたこともあって、友人や仲間がたくさんできていました。当時1998年は、前年に山一証券や北海道拓殖銀行が倒産するなど、金融ビッグバンが起きており、超がつくくらいの就職氷河期。大学3年になると、みんないっせいに就職活動を開始します。そんな状況を見ながら、英人と一緒にファミレスで会議を重ね、生まれたアイデアが就職情報を集めたメルマガの発行です。ちょうど新卒学生の紹介事業が解禁された時期でもあり、さまざまな人材紹介会社や大手企業の人事部に営業して、メルマガ会員を斡旋する事業をスタートさせました。「時代背景もあってメルマガ会員はすぐに1万人くらいに増え、その人材ビジネスだけで生活できる、とまではいきませんでしたが、そこそこの収益を挙げられるようになりました」(英人氏)。

 その頃、勉強のためにさまざまな異業種交流会に参加していて、現在、当社の取締役でもある佐藤隆俊と出会うのです。彼は僕たちよりもひと回りほど年上で、MLB(メジャーリーグベースボール)の選手会公認エージェントとして、野茂英雄投手や、マック鈴木投手の代理人・マネジャーを務めていました。そんな彼と僕たちは、地元が東京・三鷹という共通点もあってすぐに意気投合。「日本にとって必要不可欠で高い価値のある事業を一緒に始めよう」「どうせチャレンジするならパイオニアになれるようなビジネスを立ち上げよう」。そんな共通の思いを胸に、何度もミーティングを重ねるようになりました。場所は、相変わらずファミレスでしたけど(笑)。

<今の日本に足りないもの>
物質的な豊かさよりも心の豊かさづくりを優先。
1998年、成し遂げたい明確な志が生まれた

 ミーティングの中で佐藤から、こんな話を聞きました。「自分がかかわったチームにふたりのピッチャーがいた。ふたりとも160キロ近い剛速球を投げる。片方の選手は、毎年メジャーのローテーションピッチャー。もうひとりは、毎年メジャーとマイナーを行ったり来たり。ふたりの差を知りたくて、関係者に聞いてみた。すると、“メンタルの差だよ”と一言。前者は専門の心理カウンセラーを付けているおかげで本番でも精神的な安定性を維持している。後者は観客の野次にカッとしたり、ヘッドコーチとの人間関係がうまくいかないなど、精神的に不安定。長いシーズンを乗り切るためには、フィジカルの鍛錬以上に、メンタルの調整が大切なんだ」と。だいたいこんな内容でした。

 この話を聞いて、ピンときたんです。確かに、自分の周りにもストレスが原因で不登校になった友人や、それによりさらに大きなストレスを抱えている親がいる。また、当時の日本企業は大きなかじ取りの変換期を迎えていました。企業の業績不振による、リストラ、早期退職者の増加。そこに欧米流の成果主義が導入され始めた。国内の年間自殺者が3万人を超えたのもこの年からです。大手神話が崩れて、企業も変わろうとしているけど、企業組織を支えている人の心の問題がまったく考えられていない。目に見えない人間のメンタルヘルスを支えるインフラが、どこにもないことに気づいたのです。

 僕は日本の社会政策や仕組みに興味があり、できることなら国を支える一助となるような事業を手がけたいと考えていました。日本の経済状況はそうはいっても豊かで、物質的な豊かさを演出するビジネスはもう出尽くしたのではないか。それよりも心の豊かさを提案するビジネスのほうが、今の日本には重要なのではないかと。そして、メンタルヘルスマネジメントは、スポーツ選手だけではなく、あらゆる個人、あらゆる会社組織に必要でありながら、日本が軽視してきた分野だと強く感じるようになりました。今から11年前、佐藤の話を聞いたことで生まれたこの直感が、ピースマインドというビジネス発想の原点であり、成し遂げたい明確な志が生まれるきっかけとなったのです。

ピースマインドの軌跡は、日本社会の改善の軌跡。
社会全体の調和と永続的な発展を目指し続ける

<ニーズありきの前提でスタート>
2000年に発表された厚生労働省の指針が後押し。
企業のメンタルヘルスへの関心が高まっていく

 さて、どこから手をつけようかと考えた結果、問題の事後処理ではなく、メンタル問題を事前に解決するための予防インフラづくりを僕たちが手がけるべき事業ドメインと定めました。しかし、ご存じのとおりメンタルな悩みは非常にデリケートで、さまざまな偏見も多く、スムーズに利用してもらうのは容易ではありません。では、どうすれば良いか? この事業アイデアが生まれた1998年は、ちょうどインターネットの黎明期。きっとネットは10年も経たないうちに生活に不可欠なコミュニケーションインフラになると確信。そして大学3年の9月に、ピースマインドを創業し、国内初の1対1オンラインカウンセリングサービスを開始することになるのです。必ず受け入れられるというニーズありきの前提で突っ走ったという感じです。

 そうはいっても資金もノウハウもほとんどなく、事業稼働に向けての準備段階はまさに暗中模索、徒手空拳の状態でした。「最初の登録カウンセラーは、佐藤経由で紹介してもらった、横浜で開業したばかりの方。その後、全国の臨床心理士、精神保健福祉士、産業カウンセラーなどをリサーチしながら、協力の打診をしていきました。ちなみに、スタート時の登録カウンセラーは10人弱でした」(英人氏)。Webサイトの作成に当たっては、大学生の就職支援のビジネスをしていたでしょう。そこで、サイトづくりができそうな学生に片っ端から声をかけて、「売り上げが挙がったらバッチリ支払うから、プロフィットシェアでよろしく頼む」なんて言って、つくってもらったんですよね(笑)。

 そしてまず、個人を対象としたカウンセリングサービスをスタート。なかなか利用者が集まりませんでしたが、プレスリリースを打ったり、無料のセミナーを開催するなどして、徐々に問い合わせを増やしていきました。当初は「医療機関などでカウンセリングを受けているが、問題の解決がなされない」といった、利用施設に対する不満が多かったですね。そうやって僕たちで利用希望者からの電話問い合わせを受けながら、必要とされている問題解決ノウハウを蓄積し、独自のサービスに転化していったのです。そして2000年、厚生労働省が「事業場内における労働者の心の健康づくりのための指針」を発表。メンタルヘルスケアの必要性に懐疑的だった企業も、社員の心の問題解決に関心を向けざるを得なくなった。これにより法人顧客が増えていくことになります。

<手の行き届いたサービス体制>
インターネット、電話、直接面談などあらゆる手法で、
カウンセリングサービスを提供できる体制を確立

 2000年には、アメリカで従業員の生産性に多大な影響を与えるプログラムとして広く認知されている、EAP(従業員支援プログラム)サービスの提供を法人向けに開始しています。そして、最大の転機となったのは2001年、JR東日本グループのビジネスホテル内に対面型のカウンセリングルームを設置できたことでしょう。大手企業との提携は、僕たちのようなベンチャー企業にとって大きな信頼につながりますからね。「実は、僕たちもちょうどこの頃、自前で投資してでも対面型のカウンセリングルームをつくりたいと考えていましたから。JRさんから声をかけていただいたのはまさに渡りに船。絶好のタイミングだったのです」(英人氏)。

 その後も、百貨店やほかホテルチェーンなどとの提携が進み、現在までに、ターミナル駅からすぐにアクセスできる対面型カウンセリングルーム「こころのマッサージPEACEMIND」が、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡と、全国8カ所で稼働しています。もちろん、24時間、365日、インターネット、電話などで行うカウンセリングサービスも提供し続けています。創業以来、「個人」および「組織」のメンタルヘルスに関する問題解決を支援するさまざまな事業を展開していますが、中でも法人向けのEAPサービスが好調です。年間契約で、経営者から、一人ひとりの社員、その家族までを対象とし、病気になる前のストレス発見、メンタルヘルスケアの手法を電話、インターネット、個別面談形式で提供。また、企業側には、相談件数、内容に応じた利用傾向リポートを4半期ごとに提出します。個人や部署ごとのストレス指数を集計し、それに適した個別カウンセリング、管理者トレーニングの提案といったコンサルティングも行っています。

 対象者1000~2000人規模の企業の場合、年間ひとり当たりのコストは数千円という料金設定です。おかげさまで「社内に専門家を置くよりも低コストで質の高いサービスを得ることができる」と好評をいただいています。現在のクライアントは大手企業を中心に約300社。年間1万数千件を超えるカウンセリングサービスを実施しており、この件数は民間では最大でしょう。ちなみに、東京都との契約により都内各所に勤務する約12万人の職員も当社のユーザーであり、公立学校教員へのカウンセリングサービス件数は当社が国内最多です。これからもサービスの拡充にまい進し、当社と契約いただいている約200名のカウンセラーのレベルアップに寄与しながら、ひとりでも多くの方々に「心の豊かさ」を提供していきます。

<未来へ~ピースマインドが目指すもの>
心の問題を抱えている人をひとりでも多く救うため、
メンタルヘルス予防の仕組みをブラッシュアップ!

 個人ユーザーから大手企業までをクライアントとし、Webでのストレス診断、インターネット、電話、面談でのカウンセリング、企業・組織へのメンタルヘルス予防のコンサルティングなど、ここまですべてワンストップで直接提供できる民間企業は当社以外にないでしょうね。日本の企業に一定割合でメンタルヘルスマネジメントの重要性を理解いただき、波及させることができたと思ってはいますが、まだまだ氷山の一角でしかありません。でも、エンドユーザーから「ピースマインドのおかげで復職することができました」「あの時、ピースマインドのカウンセリングを受けていなかったら自殺していたかもしれません」といった、感謝の声が届いています。仕事を通じて世の中に役立っている実感が得られるこのサービスを、どんどん広げていきたいと思っています。

 これから数年間は、今発生している不調者のメンタルヘルスをしっかり改善することに注力します。そのうえで事後処理ではなく、予防をするための仕組みをどんどんブラッシュアップさせていきたい。たとえばある1社との取引の中で、Bさんの心のトラブルに対応できたとしても、その後、同じようなCさん、Dさんが出てくるようでは意味がないじゃないですか。さまざまなケーススタディを把握するためにも、今まで以上にメンタルヘルスの重要性を訴えかけ、この分野に投資いただける会社を増やしていきたいのです。創業当初、企業に営業に行くと「余計なことをしないでくれ」と言われることが多かった。でも、従業員の不平・不満に蓋をすると、かえって内部告発や不正など、企業にとってのマイナスが増えるもの。本業の生産性を高めるためにも、ぜひ、メンタルヘルス予防に積極的になってほしいんです。

 「僕たちも、学術的な分析・研究を重ね学会発表の機会を増やす、研究やケーススタディを編集・出版してひとりでも多くの方々に使ってもらうなど、メンタルヘルスケアの重要性を今まで以上に啓蒙していきます」(英人氏)。創業から約10年、試行錯誤しながらここまでやってきましたが、やはりいつまでも安定的に期待されるビジネスを継続することが一番大切だと思っています。企業は生産性を重視するものです。メンタルヘルスマネジメントを導入した企業は生産性が高い。好業績を挙げている企業は従業員の心のケアをしっかり行っていた。そして、そんな優良企業の多くから「ピースマインドが存在していなかったら、こんな業績は実現できなかった」と感じていただけるようになりたい。ピースマインドが歩んできた軌跡は、日本社会の改善の軌跡と言われる存在を目指し続けます。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
将来的に国が抱えるであろう問題とは何か?
ここに大きなビジネスチャンスが隠れている

 今の社会情勢を見ると、僕たちが起業した1998年ととても似ていると思います。内定切りが出るほどの就職難、昨年のリーマンショック以降、企業の景況感も最悪です。でも、僕から言わせれば、ピンチはチャンス。まず、後ろ向きの人が多いですから、チャレンジするライバルが少ない。また、本当に必要なものであれば受け入れられるスピードも早い。僕たちは学生でしたし、失うものなんてまったくなかった。そもそも石橋を叩かずスタートしましたし(笑)。当時、僕たちの周りにいた学生の中には、「まずは社会人になって、10年後をめどに起業する」なんて言っていた人もいましたが、そういう人ほど起業していないんですよ。結局、いろんな荷物を背負ってしまい、守りに入ったんでしょう。今、背負うものが少ない、若い人ほどチャンスだと思います。

 ビジネスチャンスの探し方ですが、日本国内でチャレンジするのであれば、産業構造や人口分布などの統計資料を調べてみてはどうでしょう。僕たちが起業する前、1997年から国内の労働人口が減り始めたんです。でも、お約束としてGDPは毎年上げていかないといけない。少子高齢化が進むことも見えていましたから、どうしても労働生産性をアップさせるしかないわけです。そこにメンタルヘルスマネジメントという仕組みを当て込むと、儲かる、儲からないは別として、絶対に必要とされるサービスになると踏んでスタートしました。意外と忘れがちですが、統計資料から国が将来抱えるであろう矛盾やギャップを読み取ることができるのです。そのギャップを埋める仕組みを見つけられたのなら、ぜひ、挑戦してみてほしいと思います。

 たいていの場合、そんな矛盾やギャップに国が気づく前、僕たちのような民間企業が先に動いて、その後、後付けで法整備や規制がなされることになります。先んじて動き、手を打っておけば、自分たちが当該マーケットのパイオニアになれるのです。世の中は今、大きな転換を迫られていますから、これからも大小さまざまな問題が露呈していくでしょう。そういった意味でも、これからは起業のチャンスが広がっていくはず。また、現代はいろんな仕組みやサービス、ノウハウがそろっていますから、基本スキームをしっかり整えれば、他者の力を借りながら協業していくことも可能です。劇的に変わりゆく未来を前に、恵まれている現状を過度に幸せと思い込んで守りに入るのは危険。ぜひ、果敢に挑戦していってほしいと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

起業、経営ノウハウが詰まったツールのすべてが、
ここにあります。

無料で始める