第76回 株式会社エムグラントフードサービス 井戸 実

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執筆者: ドリームゲート事務局

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第76回
株式会社エムグラントフードサービス 代表取締役
井戸 実 Minoru Ido

1978年、神奈川県川崎市生まれ。小学生時代の夢は、プロ野球選手かすし職人。中学で自身の野球のレベルを痛感し、自然と夢のベクトルはすし職人へと傾いた。地元の工業高校卒業後、できるだけ早くカウンターに立てる店を探し、「築地すし好」に入社。約3年間勤務した後、店舗開発のノウハウを学ぶため「牛角」を展開するレインズインターナショナルへ転職。その後、業態開発、飲食店経営者支援会社など2社を経て、2006年、雇われ社長として“株式会社まいど”の代表取締役就任。26歳で、「ステーキ&ハンバーグ いわたき」など6店舗の経営を任される。同年、自身で株式会社エムグラントフードサービスを設立。株式会社まいどから、飲食店計8店舗の経営権を買い取るかたちで、郊外ロードサイド型居抜き専門飲食店経営をスタート。現在、設立3年目にして、7業態、35店舗の飲食店を経営している。

ライフスタイル

10年後、板前に。
10年後の40歳に会社を後進に任せ、銀座ですし屋をやりたいんです。看板のない8坪くらいの店を買い取って、カウンターのみの8席。毎晩、これまで世話になった人だけを招いて、僕が板前となって、無料で飲み食いしてもらうという。 そのため

趣味

やっぱ飲食です。
ほぼ毎日、最低週に5日は外食しています。お酒もけっこういけますね。いろんなお店でゴハン食べて、「こんな盛り付けいいね」とか、「このサービスいただき」とか、デジカメで撮影しながら。結局仕事しているようなものですが(苦笑)。最近は赤ワインに凝っていて、フレンチに行くことが多いです。あ、もちろん、すし屋にもよく行きます。

最近感動したこと

スタッフからのプレゼント。
エムグラントの設立1周年パーティで、スタッフから万年筆をプレゼントされました。あれは嬉しかったですね。失くし物の多い僕ですが、今でも大切に使っています。年末は会食の機会が多く、名刺入れやDSとかどんどん失くしちゃうんです(苦笑)。そんな時は、自分のブログでおねだり。先日、名刺入れを失くしたことを書き込んだら、ブログを読んだ知り合いがプレゼントしてくれました(笑)。

ほっとする瞬間

銀行の融資が下りた時。
キャッシュフローはまったく問題ないのですが、やはり出店時の融資は常にドキドキです。銀行と折衝してOKが出た時、心からホッとしますね。以前、某公的融資に打診して800万円の融資を断られたことがあります。でも、ある民間の飲料メーカーが販売支援金の名目で1500万円くれたんです。その時は、本当に助けられました。

ロードサイドのハイエナが、いまや期待のエンジェルに。
時代を先読みした飲食店経営手法で快進撃を続けます!

 2007年から、大手ファミリーレストランチェーンの撤退が相次いでいる。リストラクチャリングを進めるチェーンもただでは事業をやめられない。原状回復など、多額の撤退費用がかかるのだから。そのマーケットの中で、多くの撤退企業から注目を浴びている企業がある。郊外ロードサイドの居抜き物件を中心として新店舗の出店を展開する“エムグラントフードサービス”がそれだ。同社の若き経営者である井戸実氏は、なんとまだ30歳。撤退店舗を安く買い上げ、再生する経営手法は当初“ロードサイドのハイエナ”と呼ばれたが、いまや多くのチェーンが頼りにする“ロードサイドのエンジェル”に昇格。時代を先読みした井戸氏の戦略は今のところ大当たりしている。「不透明な時代ですが、これからも必ず必要とされるビジネスモデルであることは間違いないでしょう」と語る。今回は、そんな井戸氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<井戸 実をつくったルーツ.1>
常に明確な目標を探すリアリストな子ども。小学生時代の夢は、プロ野球選手かすし職人

 父は川崎市役所の交通局に勤務する公務員で、今も元気に働いています。母は普通の専業主婦。そんな両親のもと、男ばかり3人兄弟の末っ子として、川崎市の多摩区で生まれ育ちました。末っ子だから両親からかわいがられたか? いえ、完全に放置されていました(笑)。でも、5つ上と3つ兄がいたので、自然と年上の人からかわいがられる方法はわかっていたように思います。小学校時代の通知表には必ず、落ち着きがないとか、せっかちとか書かれていました。そんなこと言われても、落ち着いた小学生なんかいたら逆に気持ち悪いですよねえ(笑)。

 勉強は大嫌い。やる意味を見出せませんでした。はまったのは野球です。地元の野球チームに入って毎日練習に明け暮れていました。もちろんこの頃の夢はプロ野球選手ですよ。将来の道のりとして、帝京高校に行って、ドラフト1位、契約金1億円でスカウトされる。そんなことを真剣に考えていました。リアルでしょう。なんだかイヤな小学生ですね(笑)。誰に教えられたわけではありませんが、いつも達成可能な夢を探していた気がします。そして、言葉にすることで夢はかなうと信じていました。ちなみに僕は小学校の6年間、無遅刻・無欠席を達成しています。これも達成できる目標だと自ら決めて、口に出して宣言して、実現したんですよ。

 裕福ではなかったですが、実家の食卓はすごかったですよ。バリバリ成長期の男3人がいるわけですからね。母に聞いたら、米を毎月80キロくらい使っていたそうです。夕食は味噌汁と毎日おかずが1品のみ。月曜日が鶏のから揚げ、火曜日がハンバーグ、水曜日がお好み焼きとか決まっていて、月に1度のすき焼きがご馳走。から揚げなんて1度に2キロくらいがどんとテーブルに乗る。それを兄弟でいっきに平らげるという。だから、我が家のエンゲル係数は相当なものだったと思います。

 ど根性ガエルの梅さんっているでしょう。僕はあのキャラクターが大好きだったんですよ。配達中のバイクを転倒させて、いつも主人公のひろしにすしを食われちゃうおっちょこちょいなんだけど、情に厚くて、空手が強くて、男として粋に感じてた。食べることも好きでしたから、将来はすし屋の板前ってものいいなあと。小学校の卒業文集には、「すし屋の板前になりたい」って書いていましたね。まだプロ野球選手になる夢は捨ててはいませんでしたが。

 

<井戸 実をつくったルーツ.2>
母の貴重なアドバイスを受け入れ、モラトリアムな高校3年間を過ごす

 中学では野球部に入部しました。ポジションはピッチャーです。もちろん頑張ったんですが、県大会には出られなかった。多摩区の地区大会で優勝できないんですよ。他チームと戦うことで、自分たちのレベルってイヤでもわかるでしょう。そんなこともあって中学2年の頃には、プロ野球選手になるという夢は断念していました。なんでも一番になれないなら意味がないと思っていたんです。運動会の種目でも短距離とか一番になれる種目を選んでいましたね。ケンカもよくしましたが、負けるケンカはしない主義でしたし(笑)。プロ野球選手になるという夢のベクトルは、自然とすし屋の板前に方向転換していきました。

 忘れもしないあれも中学2年。よみうりランド駅前の某大手居酒屋チェーンに友人たちと飲みに行ったんです(笑)。一所懸命、大人に見えるように変装して。やればやるほど未成年に見えちゃうんですが(笑)。でも、居酒屋って、たくさんのメニューがあって楽しいですよね。で、その時に“いくら丼”をオーダーして食べたんです。この時、生まれて初めて世の中にこんなに美味いものが存在していることを知りました。食べ物で感動させる仕事ってやっぱりいいなあと。中学を出たらすぐに丁稚奉公に出ようと決めたんです。

 そう決めたことは決めたのですが、中3の進路を決める時期に母から言われました。「まだまだこれからの人生は長いのだからそんなに焦らなくてもいい。高校の3年間、ゆっくり遊んでから考えればいいじゃない」と。そんなこという母親も珍しいと思いますが、まあそれもそうかと。ただ、まったく勉強してこなかったですから、さてどうしようかと。で、結局、つるんでいた友人に誘われて、川崎市の中でも最高に偏差値の低い工業高校を受験することになるんです。当然、合格しました(笑)。でも今思えば、母のアドバイスを聞いておいて本当に良かったと思っています。

<銀座ですし職人の修業開始>
できるだけ早くカウンターに立てる店を探し、高校卒業後「築地すし好」に入社する

  高校時代は母のアドバイスどおり、思い切り遊んで過ごしました。すし屋や飲食店でバイトして、バイクにもはまったし、幅広い人脈もできた。そんな楽しいこともたくさんありましたが、反面、大きなケンカも経験したし、先輩にパーティチケット100枚売って来いとすごまれたり、けっこう怖い思いもしています。そうやって遊んでばかりの3年間でしたが、自分たちがイヤだと感じたことは後輩にはするまいとか、人として生きていくうえで大切となるいろんな勉強ができた時間と思っています。だからやはり、母には感謝です。

 すし屋の板前になるという決意はいっさい揺るがず、30歳までには自分の店を持つという夢も掲げていました。で、就職先を探すわけなんですが、できるだけ早くカウンターに立てる店で働くために、バイト先のすし職人にヒアリングした結果、「築地すし好」がいいだろうと。それで高校卒業後、そのアドバイスどおり「築地すし好」に入社するんです。銀座6丁目の店舗に配属され、必死で修業して、2年目になる前にはカウンターですしを握っていました。これは噂どおり本当でした。12人の板前が早番・遅番で目まぐるしく働き、当時、20坪の店で月の売り上げ3000万円くらい。めちゃくちゃはやっている店でしたね。ただ、職人として働くうちに分かったことがあります。このままの状態では、30歳で店を持つ夢なんて無理だってことが。

 本部が仕入れ値を教えてくれないので、まず、いくらで仕入れていくらで売ればいいか、すし商売の基本ともいえる仕入れと売値の関係がまったく把握できませんでした。でも、これに関しては、毎日、築地市場に通い、自分である程度の仕入れ値を理解するように務めました。そうするとただ握って出すよりも、いつもの仕事が商売として楽しくなってくるんですよ。教えてくれないなら自分で取りにいくという行動が習慣化されたのはこの頃からです。あと、30歳過ぎの尊敬できる職人さんがいたんです。その人の給料が額面で30万円そこそこだという。彼に聞いてみました。「いつか自分のお店を出すんですよね?」。彼曰く、「貯金もできないし、無理だろうな」と。このままでは夢はかなわない……。僕はすぐに夢実現のため、戦略を変更することにしたんです。

<店舗開発と業態開発>
レインズ、小林事務所で働くことで、飲食店経営成功のセオリーを学ぶ

 炭火焼き肉店の「牛角」を展開するレインズインターナショナルが店舗開発の中途採用を実施していましてね。通常ありえないのですが、未経験でもOKだと。当時の「牛角」は、年間約300店舗ほどの大量出店をしているイケイケで、こりゃあ面白そうだと。即応募して、20人の中途採用枠にもぐり込むことができたんです。東京都内の地下鉄沿線エリアを任されて、駅周辺の不動産屋へのあいさつ回りから始め、あとは毎日ひたすら歩いて、飛び込みしながらビルオーナーへのテナント誘致営業。焼き肉店は臭いも煙もあって、なかなか貸してくれないんです。でも、「牛角は日本一収益性の高いFCパッケージ。自分の親に出資させても絶対に大丈夫」という思いを持って、日々、情熱のプレゼンテーションを繰り返しました。

 結局、レインズには2年弱お世話になりましたが、18軒の新店舗開発に成功。同期中途入社20名のうち、最年少ながらトップの成績を収めています。ここでは、さまざまな不動産契約のノウハウを習得でき、飲食店の多店舗化成功の8割は立地と家賃で決まるという鉄則も学ぶことができました。店舗開発にそろそろ飽きてきた頃(笑)、次は業態開発を学ぼうと考え、あるセミナーでお会いした“マネーの虎”のおひとりでもある小林敦社長が経営する小林事務所へ転職。1年間、小林社長のかばん持ちをしながら、新店のコンセプトづくり、メニュー開発、仕入れノウハウなど、業態開発のいろはを叩き込んでいただきました。で、そろそろ自分の店を持ちたいという思いが大きくふくらんでくるんですよ。それで、飲食店を開業したい人と物件オーナーを結び付ける事業を行っていた、店舗流通ネットへ再び転職。入社して3カ月後、目黒区にあるレインズの店舗が売りに出されているという情報をキャッチしました。買い取り費用は1200万円。が、僕の貯蓄はたったの150万円(苦笑)。

 でも、このチャンスを逃したくないと親族から借金して、2年間で返済する計画を立て、念願の自分の店を手に入れたんです。で、「感菜(かんさい)」という屋号の創作居酒屋にリニューアルし、運営は小林事務所時代の仲間に任せました。ただしスタート当初、計画の売り上げになかなか届かず、店舗流通ネットの給料はすべて借金の返済に消えていく……。当時は妻の収入でなんとか糊口をしのいでいました。僕は26歳で、サラリーマンをやりながらの店舗オーナー。いわゆる副業だったんです。でも、30歳で店を持つという夢は、4年早く達成できたことになります。この時に学んだ教訓は、「貯蓄はできなくても、返済はできる」。借金して自分を追い込めば、自然と思いはかたちになるということです。もちろん、今では「感菜」の経営は軌道に乗り、いい感じで運営できています。

“できなくなった”なら“できるやり方”で!
鬼のいぬ間に、首都圏ロードサイドを我が物に

<ロードサイドにチャンスあり!>
ロードサイド型店舗6店舗の経営権を取得。偶然のきっかけを大きなチャンスと捉える!

 というわけで、店舗流通ネットでは、給料もらいながら、自分の店探しをするという、不純な動機で働かせてもらっていたことになります。もちろん、入社前にその条件をお話したうえでのことです。そして入社して1年後の2005年、上司がMBOして立ち上げたワイズフードシステムに取締役として参加。ここである案件が持ち込まれました。20年以上、郊外のロードサイドで運営されていた「ステーキ&ハンバーグ いわたき」6店舗の経営権をスタッフ付きで買わないかという。ちなみに、買い取り価格は総額1億2千万円ぐらいでした。いろいろ画策するうちに、ワイズと取引のあった肉の卸問屋が「肉を仕入れてくれるならシナジーがあるので応援してもいい」と。そこで肉の卸問屋の出資を受け、翌年に新会社の“株式会社まいど”を立ち上げて、僕が雇われ社長になることになったんです。

 原価も売り上げも把握できましたから、利益を挙げる算段は見えていました。経営は順調に進み、同じ年の5月、五反田に「博多水炊き ふくのかみ」を、7月、南柏に「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」をオープン。まいどの店舗数が8店になったタイミングで、全店の経営権を僕自身が買い取り“株式会社エムグラントフードサービス”を設立。本格的に飲食店の多店舗化事業に進出したというわけです。ちなみに“エムグラント”という社名は、僕の名前、みのるの“M”と、かなえるという意味の“GRANT”を掛け合わせた造語です。実は、不動産企業エスグラントコーポレーションの代表であり、同郷で同い年と言う事で憧れていた杉本宏之さんを意識して付けた社名でもあります。設立当時、Yahoo!で“エムグラントフードサービス”と検索すると、「もしかしてエスグラントでは?」と表示されずっこけましたが、今ではきちんとトップに表示されるようになりました(笑)。

 そして当社エムグラントは、郊外ロードサイドの居抜き物件を中心として、新店舗の出店を展開しています。設立した2006年は、まだまだ都内の賃料は高騰しており、たとえば30坪の店舗物件の賃料が月60万円、保証金は物件にもよりますが10~20カ月。1000万円の保証金を請求される物件も数多くありました。保証金は確かに戻ってくる資金ではありますが、1000万円を借り入れて寝かしている間、出て行く金利分はただの負担でしかありません。ならばうちは郊外に出ようと。郊外のロードサイド物件であれば、保証金ではなく、敷金2、3カ月分で済みます。さらに、「物件引渡し時ではなく、オープン日からの家賃でいいよ」という、人情肌の土地持ちオーナーが多いんです。そして徐々にエムグラントは、“ロードサイドのハイエナ”と噂されるようになっていくんですね。

<大手の撤退店情報が月間100軒以上>
高コスト体質の大型店撤退を好機とし、低コスト運営で店舗再生に挑戦し続ける

 これまで僕たちのような小資本企業は、ロードサイドの大型店など持つことなどできませんでした。みなさんご存じのように、郊外の幹線道路を車で走ると、「デニーズ」「すかいらーく」などなど、誰もが知っている大資本飲食チェーンの看板ばかりが並んでいるでしょう。過去、大手ファミリーレストランチェーンが東京近郊で1店舗を出店する場合、家賃150万円、保証金や物件建設費など合計で1億円前後の出店費用をかけていました。それでも毎月1500万円とか2000万円の売り上げが挙がっていたから、その高コスト体質の経営でも維持できたわけです。それが、デフレ化の波、食料価格の高騰など、さまざまなマイナス要因の波により、立ち行かなくなってきた。

 2007年から2009年にかけて、郊外ファミリーレストランの撤退は過去最大軒数という報告がなされています。ロードサイドの居抜き物件専門で店舗を出店している企業は、僕が知る限りおそらく当社のみですから、今、どんどん引き合いが増えています。数値にすると、月間100~200案件ほど。その中から十分検討したうえでイケルと踏んだ物件に、当社の業態を投下していくというスタイルです。そもそも大手チェーンはエリアマーケティングをしっかりしてくれていますから、それほど難しい調査をする必要もないんです。採算は取れるのか? 十分に取れますよ。当社が最初に出店したロードサイド型居抜き物件は、40坪の某パスタチェーンでしたが、開業当初、店舗開発費用に8000万円投下していたそうです。そこを当社はわずか1500万円の資本投下で営業できるんですから。これほど美味しい話はありません。

 最初の居抜き店舗に1500万円をかけていますが、今なら600万円くらいでいける計算です。ランニングコストが劇的に下がるわけでしょう。あとは、それに見合った原価を計算して、顧客が求めるサービスを愚直に提供していくだけでいいんです。ちなみに「ステーキ&ハンバーグ いわたき」や「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」では、ハンバーグやステーキの価格が1000円前後で、新鮮野菜のサラダバー、カレー、ライス、スープが食べ放題。ロードサイドのありていのチェーンに飽きているお客さまたちには当店の看板が珍しく移るのでしょうか、老若男女問わず多くのお客さまにご来店いただいています。

<未来へ~エムグラントフードサービスが目指すもの>
8年後の2016年に100店舗を展開し、100人の業務委託オーナーを育てたい

 大手ファミリーレストランチェーンが撤退する場合、取り壊し費用など多額の資金が必要となります。そこへ当社が居抜きで出店すれば当該企業側も無償で撤退できるわけですから、双方にとってメリットがあるビジネスモデルといえますね。さらにお客さまにとっても店舗運営原価が下がることによって、低価格で高付加価値の料理を楽しむことができる。僕は飲食業がお皿の上に多額の減価償却費を乗せるのはどうかと思うんです。だから、店舗のデザインはそれほど重視していません。居抜きの場合、現状はほぼそのままで、看板を代え、サラダバーを設置するくらいですから。そういった意味でこの事業は、関わるすべてのステイクホルダーを幸せにできると信じています。そのとおり、当社の呼び名が“ロードサイドのハイエナ”から、“ロードサイドのエンジェル”に変わりつつあるようですよ(笑)。

 おかげさまで設立3年目にして、今後出店が予定されている茨城県を含め、7業態、1都4県で35店舗を展開するまでになりました。また今月(2009年1月)、五反田で人気お笑い芸人ペナルティのヒデさんのしゃぶしゃぶ店をプロデュースすることも決まっています。今後の経営状態に関しては、正直明確な予想がしづらいですね。1年前、誰もこのような原油価格や円ドルの乱高下など予測できなかったでしょう。でも最近、燃料コストが徐々に下がり、仕入れコストも下がってきています。好不況関係なく、ロードサイドの撤退は存在するでしょうから、恒常的に当社のビジネスモデル自体の社会的必要性はなくならないと思っています。ちなみに新規大型のショッピングモールからも出店依頼があるのですが、「どここが撤退したらお声かけください」とお断りしています(笑)。

 「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」を主軸として、8年後の100店舗を目指しています。そして、どんどんのれん分け的にスタッフに店舗運営を業務委託して、個人オーナーを増やしていきたい。現在、すでに4名の業務委託オーナーがいますが、そのうちのひとりは半期のP/Lで利益が1800万円もあるんですよ。このままだと彼の年収は3000万円を超えてしまいます(笑)。やはり責任感からなのでしょう。お客さまのほうをしっかり向いて、これまで以上に真剣勝負するようになるんです。経費管理や労務管理も任せることができますから、当社本部の負担も軽減できる。最終的には業務委託オーナーを100人育て、本社スタッフは3名。そんな経営スタイルでエムグラントを経営できていればいいですね。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
「貯金するよりも、借金してしまえ」と言いたい。自分を追い込むことで大きな志に近づこう!

 人間の意志ってそれほど強くないと思うんです。コツコツやるのもいいですが、やっぱり明確な締め切りを設定することなく地道に努力を継続するって難しいですよね。だから、「貯金するよりも、借金してしまえ」と言いたい(笑)。僕の場合もそうでしたが、貯金できなくても、借金を返済することはできました。お金や人を集めて始めれば、どうしても責任感が生まれますからね。安全な起業なんてそもそもないですし、コツコツ、小さくやろうとすると、やっぱり小さくまとまってしまう。自然と守りに入っちゃうんですね。だから、どうせやるなら大きな目標を持って、起業にチャレンジしてほしいと思っています。

 もちろんひとりでできる商売もあるでしょう。それを否定しませんが、僕自身はできるだけ多くの雇用を創出することが起業家の本分だと考えています。ひとりでは無理でも、たとえば雇用した仲間と一緒に10億円の売り上げを挙げ、2億円の利益を残せば、1億円の法人税を納めることができるでしょう。もちろん、たくさんのお客さまに店舗で飲食を楽しむ時間を提供し、頑張るスタッフに給料を支払ったうえで。そしてスタッフたちも給料から、住民税や所得税を納めることになる。これこそが起業家として一番大切な社会貢献なのだと思うのです。

 エコだなんだと社会貢献を論じる前に、大きな志を持って成功を目指し、たくさんの雇用を生むビジネスを立ち上げほしい。ちなみに居酒屋ビジネスであれば、そこそこ儲けが出ている3店舗程度を運営しているオーナーが一番儲かるんじゃないですか。店長が独立するなど、スタッフの管理とかメンテナンスは大変ですが。ただ、へたすれば上場企業の社長と同等か、それ以上の年収を得ることができるでしょう。でも、それに満足してしまうと僕が考える大きな志は達成できません。先日、当社の女性スタッフに「今ある35店舗のうち、売り上げ上位3店舗だけを残してオーナーになれば、軽く年収1億とれるな」と冗談を言ったら、「社長、それは低俗な欲求ですね」とたしなめられました(笑)。もちろんこれからも現状に満足することなく、大きな志を忘れずに頑張ります!

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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