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第18回
株式会社サイバーエージェント 代表取締役社長
藤田 晋 Susumu Fujita
1973年、福井県生まれ。バンド活動に明け暮れた高校時代、元々はミュージシャン志望だったが才能の壁を自覚し断念。将来は経営者になろうと考えるように。偏差値40台だった3年の夏から猛勉強し、青山学院大学経営学部へ入学。大学在学中に、広告代理店のアルバイトで営業を初体験。大学卒業後の97年4 月、当時32歳だった宇野康秀社長(現・USEN社長)率いるインテリジェンスに就職。新入社員ながら1年で5,000万円の粗利を挙げるなど、営業として会社の売り上げ記録を何度も更新した。98年3月に退職し、サイバーエージェントを設立。クリック保証型のバナー広告事業で急成長。「2年目に上場」の宣言どおり、2000年3月、26歳で東証マザーズ上場を果たす。その後も、さまざまなメディアや新規事業を立ち上げ、現在、連結子会社33社、グループ従業員数1,464人、連結売上高432億円の一大企業に成長させた。昨年発売された自著『渋谷ではたらく社長の告白』(アメーバブックス)がベストセラーに。
ライフスタイル
好きな食べ物
ラーメンとお酒が好き。
ラーメンが好きで、一番好きな店は、六本木にある九州ラーメンの「一蘭」です。ひとりでもよく行きます。あとはお酒。時間があれば、仕事仲間やスタッフと飲んでいます。最近はちょっと胃が弱ってきているので、和食比率が多いです。
趣味
東京湾のシーバス釣りにはまっています。
釣りです。友人に誘われて行ってからはまっています。東京湾のシーバス釣りです。週1回くらいは行っています。それもあって、最近小型船舶2級の免許を取得しました。その他には音楽、特にHip Hopが好きなので、よく聞いています。
休日の過ごし方
休める時は、できるだけのんびりとしていたい
できるだけ土日は休むようにしていますが、結婚式や講演が入ることが多いです。休める時は、できるだけのんびりとしていたい。東京を離れた山などにいって、そこでゆっくりとしたいです。あとは、リゾートですね。バリや、国内では屋久島に行きたいです。
好きなブランド
「A BATHING APE」か「マスターマインド」
服なら、「A BATHING APE」か「マスターマインド」。どちらも日本発で世界的に有名なストリート系のアパレルです。特にAPEの世界に視野を広げている姿勢には影響を受けています。
21世紀を代表する会社を創る。20歳で決めたこの信念が私の原動力です
取材前、改めて『渋谷ではたらく社長の告白』を読み返した。上場直後のネットバブル崩壊の頃から、一時会社の身売りを考えたというくだりまでは、第三者の 読者としても本当につらくなるほどだ。しかし、最年少の26歳、インターネット広告会社で初の上場と、初めてづくしを自ら背負い込んだ若き経営者藤田晋氏 は、幾多のプレッシャーに耐え続け、嵐の期間を乗り切った。当の藤田氏は「当時は本当に何もわからないことばかりでしたからね」と淡々と語るが、驚くべき 強靭な精神力の持ち主といえよう。設立当初に決めた「21世紀を代表する企業を創る」という思い。この信念を常に胸に抱き、現在も日本のインターネットビ ジネスを牽引し続けるサイバーエージェントの総帥。そして、強いマネジメント力と、的確な決断力で、同社を未来へと導くアントレプレナー藤田氏に、青春時 代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。
<藤田 晋をつくったルーツ.1>
ミュージシャン志望から一転、会社経営者を目指す
高校までは、福井の鯖江市で育ちました。小さな頃から、オセロゲームや将棋が得意でした。ある一定の決まったルールの中で、勝つための一番近いルー トを合理的に導き出す。目標に向かった時の集中力が、人より強かったのかもしれません。小学校時代には、将棋大会で鯖江市の代表に選出され、県大会で優勝 したこともあります。将棋を教えてくれた父はそんな私を「県で一番のケンイチくんだ」といって喜んでくれました。ちなみに父には一度も勝てませんでした ね、将棋では。
中学ではバンド活動にはまりました。パートはボーカルです。学園祭は一番大事な発表 の場だと思ったので、学園祭を自分達で運営できるように、生徒会長もやりました。政治力をにぎるためだけではなく、モテますしね、生徒会長は(笑)。そし て、中学まではどちらかと言えば勉強ができたほうだったので、高校は進学校に進みました。
高校では小学校時代にやっていた剣道部に入部します。そのうえ麻雀にはまって、バンド活動も継続していたので、勉強はサッパリ。授業中は寝てばか りです。バンド活動では学園祭がやはり大事なので、友人を生徒会長にして、指名制で私はまんまと副会長に。また学園祭を仕切りました。
当時私は、プロのミュージシャンになりたいと考えていたのですが、歌がへたです(苦笑)。昔から薄々気づいてはいたのですが、この頃はっきり自覚 するようになった。それで、目標を切り替えました。同じ夢を持っている才能ある友人をデビューさせるために、レコード会社をつくると宣言したのです。なら ばビジネスの中心地・東京に行って、経営者を目指さなければ。私が起業家を目指すようになった原点です。
<藤田 晋をつくったルーツ.2>
経営者を目指し東京の大学へ進学。が、怠惰な生活がたたり留年する
これは後日談なのですが、ミュージシャン志望の若者が夢をあきらめ、起業家になったわけです。起業後に、ある週刊誌に私の音楽の才能がどれほどのも のだったのか、その実際を検証するみたいな記事が掲載されたことがあります。周辺取材もしっかりされたようで、記事全体をとおして「藤田にミュージシャン の道は、ありえない」という論調だった(苦笑)。まあ、そんなこんなで、音楽の道はあきらめ、まずは東京の大学へ行こうと、高校3年の夏から猛勉強を始め ました。それまでまったく勉強してなかったので、偏差値40台からの大学受験でした。
結果、私は青山学院大学経営学部に合格。3年間かけてずるずる勉強するより、明確な目標を立ててから集中して頑張るほうが性に合っているのでしょう。ラストスパートはどの地点からかけるのか。マラソン競技の戦略と同じようなものだと思います。
東京に行けることは決まったものの、青山学院の最初の2年間は厚木校舎なわけです。最初の住まいは神奈川県の相模大野。1、2年は雀荘のバイトに はまり、怠惰な生活を続けました。結果、留年。それでも先走って東京の二子玉川に居を移した私は、バーテンダーのバイトを始めます。そんなある日、バーの 先輩スタッフから、「藤田、お前の夢はなんだ?」と質問されてハッとしました。そうだった。自分は経営者になるために東京に来たんじゃないか、と。
今思えば、なんとなく自分から質問されるように仕向けた感もありますが、夢や目標を聞かれるというか、言わされるシュチュエーションをつくるこ とって大切だと思います。その先輩に「私は会社を創りたいのです」そう宣言した私は、まずは「会社」というもので働いてみようと、すぐにアルバイト情報誌 を購入して新たなバイト先を探し始めました。
<初めての会社勤務。そして就職>
アルバイト情報誌で見つけた広告代理店で営業スタート
会社といえばスーツを着て働くところ。単純にそう考え、スーツを購入した私は、アルバイト情報誌である広告代理店の募集広告を見つけます。その広告 には「営業はスーツ着用での勤務となります」という一文が書かれていました。そして私は、オックスプランニングセンター(現オックスプランニング 以下、 オックス)という、元リクルート社員たちが中心になって立ち上げた会社で営業の仕事を始めるのです。
大手通信会社が発行するフリーペーパーに始まり、採用情報誌、スクール情報誌、タウン誌、看護士向け求人情報誌などなど、本当にさまざまな業種、業態のメ ディアの広告営業を経験させてもらった。夏の暑い日でも、飛込み営業を1日100件するなど、自分にさぼることを許さず、一所懸命仕事をしました。ミュー ジシャンへの夢は歌が下手で断念した。同じように、社長も仕事ができないとなれない。そんな焦りもあったのだと思います。結局、大学卒業までの約2年半、 この会社にお世話になりました。
大学4年になり、私をかわいがってくれていたオックスの専務から、「うちに就職してもいいけれど、ほかの会社も見ておいたほうがいいぞ」と言わ れ、就職活動を開始。大手企業に行くつもりはまったくなく、ベンチャー企業に絞って会社を探しました。その活動の中で出合ったのが、インテリジェンスで す。現在USENの代表取締役社長である、宇野康秀さんが立ち上げた会社で、新卒セミナーで宇野さんの話を聞いたのです。
私は、この頃『ビジョナリー・カンパニー』という本を読んで、「21世紀を代表する会社を創る」という将来目標を打ち立てていました。新卒セミ ナーで、宇野さんの壮大な計画性と真剣なまなざしに、私の心は動かされました。もしかしたらこの会社で自分の志を共有できるかもしれない……。正直、直感 ではあります。お世話になったオックスには申し訳ないと思いましたが、私はインテリジェンスへの就職を決断したのです。
<入社1年目にして起業を決意>
事業内容が定まらないまま、会社設立にこぎつける
インテリジェンスに入社した私は、希望とおり採用コンサルティング部門に配属されます。始発で会社に来て、始業時間が始まる頃には営業に出かけ、夜は 終電ぎりぎりまで仕事。土日などの休日も当然出社。ゴールデンウィーク、夏休みもとらず、1日も休むことなく私は働き続けました。当時のモチベーション は、毎月の自分の営業目標をどれだけ大きく超えられるかどうか。結果、1年目にして自分ひとりで稼いだ粗利益額は5,000万円です。そうやって常に自分 のパフォーマンスを意識していました。
当時、インテリジェンスでは「キャリアモザイク」という求職サイトを運営しており、私はこのサイトの営業にも携わっていました。インターネットは 個人的に大学4年生の頃から始めており、なんとなくですが将来の可能性も感じていました。後にネット事業での起業を決めたのも、この頃の営業経験が少なか らずあったのだと思います。ちなみに、「キャリアモザイク」の採用管理システムをつくっていたのが、当時、オン・ザ・エッヂの代表取締役社長だった堀江貴 文さんです。
そして入社1年目の12月、友人からの1本の電話をきっかけに、私は起業することを決意します。宇野社長をはじめ、インテリジェンスの先輩たちか らは何度も留意をされました。けれど、私は一度決めたら絶対に信念を曲げない性質。しかし、当初考えていた仲間との起業計画は頓挫します。そんなこんなで 決意してから実際の起業までの紆余曲折はありましたが、最終的に宇野社長からの出資を受け、1998年3月18日、サイバーエージェントを設立したので す。
ちなみに、会社をつくることは決めたものの、事業内容はぎりぎりまで決まりませんでした。それでもインターネットの将来的な可能性の大きさ、そし て、インターネット業界に営業がいなかったということもあり、インターネット業界の営業代行という方向性で事業を運営していくことに決めました。こうし て、1998年4月、「21世紀を代表する会社を創る」という目標に向かって、私のネクストステージが始まりました。
会社経営は終りのないマラソンのようなもの。経営者ならメンタルアスリートを目指そう!
<3人で始まったサイバーエージェント>
1週間で110時間働くと決め、自社開発商品を思いつく
サイバーエージェントのスタート時は、メンバーが私を含めて3人だけ。全員、それこそ朝から晩まで、ウェブマネーという電子マネーの取扱サイト開 拓、Webサイトの制作請負など、さまざまなインターネット関連商品・サービスの営業代行に明け暮れました。創業後しばらくして、私は1週間で110時間働く とメンバーに宣言。平日は朝9時から深夜の2時まで、土日は12時間ずつ働くわけです。創業したての頃は、意外と仕事がなくて暇でした。ですから、そう やって無理に働く時間をつくることで、自分自身に仕事させるよう仕向ける。それで毎日、社内で新規事業コンテストもやっていました。
インターネットのマルチベンダーのままでは、将来どうなるか危うい。そう考えていた私は、この頃から自社開発の強い商品・サービスを確立せねばと思ってい ました。そんな中生まれたのが、クリック保証型のバナー広告システム「サイバークリック」です。そして、バリュークリック社が展開していた「バリューク リック」との顧客獲得競争が始まります。熾烈な競争ではありましたが、私たちがクリック保証型広告事業に参入したからこそ、ネット広告の市場が広がったの だと自負しています。
「サイバークリック」のシステム開発を手がけたのが、オン・ザ・エッヂです。サイバーエージェントが新サービスを企画する、オン・ザ・エッヂがシ ステムを開発する、そして、サイバーエージェントが売る。この循環がうまく機能し始めます。その後、クリック保証型メール広告ネットワークの「クリックイ ンカム(現・melma!)」も、オン・ザ・エッヂと組んで世に出したサービスです。
そうして自社独自のサービスができ上がり、徐々に社員数も増え、売上高も増加。初年度初の決算売上高2,000万円は、翌年1999年には一気に 4億5,000万円となりました。2,000万円の赤字ではありましたが、当社設立から丸2年後に東証マザーズに上場を果たしたのです。その記念すべき日 は2000年3月24日、当時の私の年齢は26歳でした。
<上場! バッシングの日々の始まり>
株価が上場時の10分の1に。信念を抱き、耐え続ける日々
上場時の初値は1,520万円。サイバーエージェントは時価総額で約700億円の企業となり、市場からの資金調達額は225億円に上りました。上場 してから少しして、ある投資家の方からこう言われました。「225億円調達したということは、利回り10%として、22億5000万円くらいは利益をだし てほしいね」と。私は上場して初めて、ことの重大性に気づいたのです。直近の決算での売上高は4億5,000万円でした。利益で22億5000万円か!? 早く会社を拡大させなければいけない……と。
しかし、いわゆるネットバブル崩壊の影響で、株価は みるみる下がっていきます。マスコミの論調も、インターネットビジネスを否定するものが増えていきました。しかし、私は資金を調達したら、優秀な人材をそ ろえて、やりたいと構想していたインターネットビジネスをどんどんかたちにしていこうと考えていました。そもそも、東証マザーズは、直近の決算が赤字で も、本格的なベンチャー企業を育てるために創設された市場です。にもかかわらず、私とサイバーエージェントに対するバッシングは日に日に激しさを増し、そ れとともに株価は下がり続けました。
一時期は、株価が上場時の10分の1にまで落ち込み、「投資家に死んでお詫びしろ!」と言われたこともあります。そして私は、焦り始めます。自分 が社長を辞めて、会社を身売りしようとまで考えたこともありました。しかし、株価の乱高下に振り回されるのではなく、有望な事業を育て、仕事のしやすい環 境を整えることが、中長期的には株主に貢献できることだと、私は信じていました。
そんなある日、楽天の三木谷社長からアドバイスされたのです。「経営者はメンタルアスリートだ。外野の声に惑わされることなく、自分の信念を貫けばいいんだよ」と。この言葉はその時の私に響きました。三木谷社長に比べて、私はまだまだ未熟だなと。同時に、自分の周りにそんなアドバイスをいただける 経営者がいることのありがたさが身に染みました。自分の信念。それは、21世紀を代表する会社を創ることでした。ここでキレたら終わりだ。耐えしのごう。固くそう決意したのです。
<未来へ~サイバーエージェントが目指すもの>
スピード感を大切にしながら、ユーザーが喜ぶサービスを提供し続ける
そして2004年の決算では、売上高267億円を計上します。2000年の上場時直近決算売上高4億5000万円の実に約60倍です。そして、最終 利益は40億円を超えました。投資家にとがめられながらも先行投資を続けていた新規事業の花がどんどん開いていたのです。時価総額も上場時までに回復しま した。
インターネットビジネスにおいて大切なことは、やはりスピードだと思います。世の中にないも のを先んじてやるということ。もしも後からやるなら、先行している事業を凌駕できるくらいのメリットを持っていないとだめでしょう。Web2.0の流れも あり、ユーザーのパワーがどんどん大きくなっていきます。ですから、完全ではないサービスでも世に出して、改良を加えながら育てていくという考え方も重要 だと思います。
ちなみに、当社が始めたブログサービスのアメブロhttp://www.ameba.jp/は、現在ユーザー数132万人を超えています。人が集まるブログメディアを他社に先んじて始め、パワーが生まれたことで、今度はここにシナジーを持たせた、ドロップシッピングビジネスを再び他社に先駆けて開 始します。これはブログユーザーが、自分のブログ上で簡単に商品販売ができ利益を手にできるというもの。今年の10月から、「ミセつく」というサービス名 でスタートする予定です。
そうやってスピードをもって新しい事業を立ち上げながら、また、既存事業を改良しながら、中期目標として2008年に売上高1,000億円を目指しています。
1,000億円を達成すれば、次は3,000億円、その次は1兆円……。会社経営は、終りなきマラソンのようです。自分でもなぜ、ここまでムキに なって拡大を目指しているのかわからないです(笑)。あるとすれば、「21世紀を代表する会社を創る」と宣言してしまったこと。言った以上は必ずやる、経 営者としてのプライドなのかもしれません。
<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
本気で経営者を目指すなら、マネジメントスキルを身につけるべき
まず、インターネット業界のチャンスはますます増えていくでしょう。これは間違いありません。ブロードバンドが行き渡ってきましたので、オンライン ゲームや動画などのビジネスもようやく収益が見え始めました。また、ナローバンド時代に画期的だと言われた、メルマガや日記サイトなどの淘汰が始まってい ます。ここに変わる何かを考えていくと、面白いかもしれない。今で言えば、それがSNSやブログなのでしょうけれど。ビジネスチャンスを見つけるために は、まずは自分自身でインターネットサービスをどんどん使って、はまってみること。等身大でその面白さが理解できないと、新しいサービスなんて思いつきま せん。経験のない分野で、斬新な新規事業なんて生まれるわけがないと思います。
そして、経営者を目 指すなら、マネジメントスキルを身につけておくべき。正直言って、会社員であれば、現場のスキルはほっといても仕事をしっかりやっていれば身につきます。 高い視点を持つために、社長や取締役などできるだけ高いポジションの人たちが何を考えているか知るための行動をしておくといいでしょう。私自身も、オック スやインテリジェンスでも、どんどん上の方々とコミュニケーションするようにしていました。
あとはやはり、思いを言葉にして、行動すること。ですが無茶はいけません。私は起業家を目指す方々のロールモデルになることも自分の使命だと思っ ていますが、今の自分なら恐らく創業時のようなチャレンジはできないと思います。何も知らなかったからこそ、飛び出せたのだと思います(笑)。もちろん当 時、自信はありましたし、事業が失敗しても営業力で自分ひとりなら生活できると考えていました。先人の真似をすることは大切ですし、チャレンジも大事ですが、そもそも成功するのは生半可なことではない。それだけは肝に銘じていてほしいと思います。
<了>
取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓
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