第11回 株式会社オールアバウト 代表取締役社長兼CEO 江幡哲也氏

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執筆者: ドリームゲート事務局

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第11回
株式会社オールアバウト 代表取締役社長兼CEO
江幡哲也氏 Tetsuya Ebata

1965年、神奈川県生まれ。武蔵工業大学電気電子工学科卒業後、(株)リクルートに入社。情報通信ネットワーク事業部、マーケティング・デザイン室、経 営企画室次世代事業開発グループなど、さまざまなセクションに勤務。その間、ITとマーケティングを融合させた新規事業を次々に立ち上げ成功させ、社内外から 「リクルートの立ち上げ屋」と呼ばれるように。リクルートと米国アバウト・ドットコム社とのジョイントベンチャー契約を自ら締結させたことを機に、 2000年6月、13年間務めたリクルートを35歳で退職。同年6月、(株)リクルート・アバウトドットコム・ジャパン(04年7月、(株)オールアバウ トに社名変更)を設立し、代表取締役社長兼CEOに就任する。翌年の01年2月、インターネット情報サービス「All About Japan(現・All About)」をスタート。05年9月、ジャスダックに上場した。近著に『アスピレーション経営の時代』(講談社)がある。

ライフスタイル

好きな食卓

麺類が大好きなんです
私は「麺類は人類」なので(笑)。日本蕎麦に、ラーメン、パスタ、うどん、麺類が大好きなんです。お米も好きですから、かなりの炭水化物マニアですね。健 康にはあまりよくないんですが……。中学の頃、祖父の中華料理店でバイトをしていましたので、自分で料理もします。やはり中華料理、あとイタリア料理も得 意です。

平均的な一日

家に帰るのはだいたい深夜1時くらい 
朝はだいたい6時半から7時くらいに起きて、会社に8時半か9時には出社しています。朝ごはんは食べないですね。昼間は会議か、外で人と会ったり、営業し たり。基本的に私は現場が好きなので、社長にしては外にいることが多いんじゃないですかね。夜は週のうち半分が仕事関係の方々や、社内のメンバーと会食や 飲み会。そのあと会社に戻って仕事して、家に帰るのはだいたい深夜1時くらいです。上場後、夜の会食は増えました。

趣味

図面引きです(笑)
図面引きです(笑)。この間、会社の引越しをしたのですが、オフィスのレイアウトも自分で考えて、線を引きました。昔本気で建築家になろうと 思っていた時期もあったんですよ。あと、最近はなかなか行けないのですが、ゴルフですかね。それと、さっきも言いましたが、料理。最近、小型船舶の免許を 取ったので、時間を見つけて船の運転を始めようかと思っています。

もしも一週間休みがとれたら

ぼーっとしていたいです(笑)
基本的には、ぼーっとしていたいです(笑)。でも、ネパールのタイガーロッジには一度行ってみたいと思っています。山奥のジャングルに高床式のヴィラが点 在している宿泊施設で、そこでは野生のベンガルトラを見に行くのに、象の背中に乗って出かけるんだそうです。なんでも、トラが唯一襲わない動物は象だけな んだとか。これはいつか実現したいですね。

世直しを志して立ち上げたオールアバウト。日本の消費者にどんどん賢くなって欲しい!

 「リクルートの立ち上げ屋」と呼ばれた江幡哲也氏が、インターネットの勃興前、90年代中盤に思い描いていたビジネス構想がある。それが「ひとネット構 想」。その構想は、自ら手がけた、ある米国のベンチャー企業とリクルートとのジョイントベンチャー締結によって、結実した。それが、今や各分野の専門家 (ガイド)が400人、1500万人のカスタマーが利用する総合情報サイトに成長したAll Aboutだ。同社の社長である江幡氏は言う。「これは情報の選択に迷う消費者を賢くするための世直し事業である」。そんなアスピレーション(志)を胸に 抱き、今日も「こだわり消費におけるナンバーワン企業」を目指して、新たな挑戦を続ける江幡氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え 方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<江幡哲也をつくったルーツ1>
忙しい家庭に生まれ、なんでも自分でする子どもだった

 私は1965年1月1日、元旦に生まれました。その頃にちょうど父が起業したのです。それで家庭は常に忙しく、私は小さな頃から何でも自分のことは 自分でする子どもでした。幼稚園には4歳の頃からひとり首に定期券をぶらさげてバスで通ったり、5歳で父の実家である水戸にもひとりで行かされたことを覚 えています。その後、弟と妹が誕生し、父の仕事も手伝っていた母はますます忙しくなります。それで、僕はほとんどほったらかし状態。でも、弟や妹の面倒を 見るのは嫌いじゃない。場を仕切ることが好きだったんですね。これは今でもそうですけど(笑)。

 また、父は経営者としてバリバリ稼いでいたようですが、家庭には必要最低限のお金しか入れない方針でした。ですから、お年玉くらいしか小遣いとい うものをもらった記憶がありません。でも、処世術教育というか、私の将来のための投資はケチらなかったようです。5歳で剣道を始め、これは10年間ほど毎 日続けました。英語も近所に住んでいた米軍の基地で働いていた女性の英会話レッスンに通っていましたし、ゴルフまで習っていたんです。これらは経営者とし て当時の父親が感じていた、コンプレックスだったのかもしれません。でもおかげで、剣道は2段を取得、英語はブロークンながら話せるようになりましたし、 ゴルフもまずまずの腕前になりました。

 中学でも剣道を続けようと剣道部に入る予定だったのですが、入部したのは陸上部。理由は剣道部の入部条件が坊主頭にすることだったから(苦笑)。 ちなみに高校ではバスケット部に入るつもりでした。全国大会にも出るくらい強い部だったのです。しかし、またもや入部の条件が坊主頭……。それで結局、ハ ンドボール部に入部します。なぜだか、ヘアスタイルには強いこだわりをもっていました。要はカッコつけだったと(笑)。

<江幡哲也をつくったルーツ2>
父親の方針で、ほとんど小遣いはなし。ほしいものはバイトして稼いで手に入れた

 父の方針もあり、ほしいものがあっても全く買ってもらえません。そんなわけですから、ほしいものがあれば自分で稼いで手に入れるしかないわけです。 中学の頃から休みを利用して、祖父が経営する中華料理店でバイトを始めました。出前も調理もやらせてもらった。ここがサービス精神というものを初めて私に 教えてくれた場所だったと思います。例えば、一眼レフカメラがほしいとなると、ほぼ1年計画です。オーディオがほしいと思った時なんて、半年に1個ずつ、 アンプ、スピーカー、プレーヤーと少しずつパーツを揃えていく……。いわゆるバラコン。数年かかってもやると決めたらやる。今でもいろんな人から言われる のですが、私はあきらめが悪い、いつも何とかなるだろうと思っているらしい。これは私も納得です(笑)。きっとこの頃に培われた性分なんでしょうね。

 高校3年生になり、大学への進学を父や祖父に相談しました。父からは、「浪人は許さない。落ちたらウチの会社で働け。でも合格して卒業しても、絶 対に製造業に行くな」。祖父からは、「これからの経営者は理系の感覚が必要だ」。ふたりのアドバイスを参考に、私自身、物理や数学が好きだということも あって理系コースを選択します。そこで、浪人することなく推薦で確実に理系に行ける大学を探しているうちに、武蔵工業大学が候補として挙がってきました。 調べてみると、4年間世田谷のキャンパスに通えること、就職率がすこぶるいいこと、コンピュータによる経営が学べる電気工学科があること。さらに私立では めずらしい原子力発電所を所有している点もユニークだと感じました。これらの理由から、この大学に進学することを決めたのです。

 大学に入学してから驚いたのは、年間20%前後が留年してしまうという厳しい環境だったこと。ですから、代返なんてもってのほか、授業の出席も非 常に厳しい。でも私は親に負担をかけることが嫌で、自活できるようできるだけ働きたかった。なので、時間をやりくりしてバイトに精を出しました。一番稼い だバイトは、年末年始の期間にやった甘栗の販売です。朝5時に横浜にある本社で甘栗を焼いて、デパートの担当催事スペースに運んでお客さんに売る。サービ ス精神とコミュニケーションを駆使し、新規のお客さん、リピートのお客さんと話術を買えながら売りまくりました。楽しかったですよ。このバイトでは約10 日間で40万~50万円は稼がせてもらいましたし。ちなみにこのバイト料は、ほとんど仲間とのスキー旅行に消えました(笑)。

<大学進学、そして就職先の選択>
同級生のほとんどが技術系企業へ進む中、なぜかリクルートへ入社

  大学は本当に就職には困らないところでした。ほとんどが推薦で決まるのです。でも私は大学3年の頃、ほぼリクルートに行くことを決めていました。そ の理由は、IT技術を使ってサービス業を展開している会社であること、通信自由化の波に乗り通信事業にリクルートが参加すると表明していたこと、大学の友 人がリクルートでバイトをしており、自由に仕事ができる面白い会社ということを聞いていたこと。また、父から直接言われたことはありませんが、僕が父の会 社を継ぐことになった場合、父が60歳で、私が35歳。それまでの12、13年間で、できるだけ多くの経験ができる会社に入ろうと考えていたのです。もち ろん、祖父からの「これからはIT経営者の時代」というアドバイスも念頭にありました。武蔵工業大学からは初のリクルート入社でしたし、教授からもいろい ろなカードを用意していただき翻意をされたのですが、私の決心は揺らぎませんでした。

 実はリクルートに入社して、私には多少の気後れがありました。周りの人たちがものすごく優秀なのです。しかしひとつだけ救いがあった。リクルート が通信事業に参入するのは初めてのこと。要するに、この分野では先輩も私たち新入社員も、知識や情報に差がないということです。このことに気づいてから は、「もうやるしかない!」と開き直ることができました。そして配属は「WATTS」という格安で使える企業内電話サービスを開発・販売する事業部です。 仕事内容は、営業が受注してくる「WATTS」のサービスをクライアントが使えるようにするために、交換機を全国に設置して、ネットワークを構築するとい うもの。リクルートの営業は想像以上にすさまじく、予想を超える注文を次々に取ってくるわけです。おかげで2年間、ほとんど休みもなく会社に寝泊りしなが ら働きました。本当に忙しかった。ですがこの2年間というのは、普通(?)の会社で過ごす10年くらいの密度と価値があったと思っています。

 3年目になり、技術職だった私は新規事業部の営業職に異動となりました。「FNX」というファクス一斉同報サービスの立ち上げ部隊です。同期の人 間でもリクルートで3年営業をしていれば、かなりの猛者。そこに、営業ド素人の私が行くわけですから、何らかの差別化をしなくては勝てません。そこで考え ました。技術職から営業職となったのは私ひとり。つまり、技術がもっともわかる営業職は私ということになります。その強みを生かそうと決めたのです。

 当時この「FNX」を導入したクライアントの多くは、業務連絡のために使っていました。ならばと、私はほかの営業が嫌がるいわゆる技術系の会社に アプローチしていくことに。するといろいろな問題が存在していることがわかってきた。ソフトウエア業界では、注文後の物流は問題ないが、もっと情報の流通 を促進したいと考えていたのです。そこで、私は「ファクス・マーケティング」という言葉をつくって、企画書にまとめ、これが必要であろう業界に営業をかけ まくりました。「FNX」はどんな企業、組織にも、どんな部署にも売れる商品です。私は業界や規模を問わず営業に出かけて行き、毎日毎日それぞれの分野で 働いている人たちの悩みや問題点などをどんどんヒアリングし、吸収していきました。

<リクルートの立ち上げ屋とよばれて>
新規事業を次々に提案し実現。そしてアバウト・ドットコムとの出合い

 「FNX」に異動して4年目の頃、「業界ハンドブック」というものを作成しました。ファクス・マーケティングは用途提案が命。それまで、個々の営業 スタッフしか知らなかった業界特性や新しい仕掛けなどを、メンバーを集めて収集し、一冊の冊子にまとめたのです。これは今でいうナレッジ・マネジメントで すね。また、営業スタッフ全員が開拓営業をしていたのですが、それを新規顧客開拓部隊と既存顧客フォロー部隊に分け、より戦略的なデータベース営業ができ る部隊への刷新を提案。これも受け入れられて、その後の「FNX」事業の成長に大きく貢献できたと思っています。

 これらの仕事を通して、私は「情報とマーケティングが重なるところにはビジネスチャンスがたくさん隠れている」ということを学んでいきました。そ の後、自分で勝手に「企画書100本ノック」と銘打ち、現場の不条理・不合理に気づくとすぐ、問題解決のための新規事業提案企画を書いて、上司に提出して いました。そして1994年、当時のボスにお願いして、新規事業を企画するための「マーケティング・デザイン室」を事業部の中につくってもらったのです。 そして私は、年に数回アメリカに視察に行ったり、ビジネススクールに通ったりと、活動の幅を広げることができました。

 そして1995年、私は「キーマンズネット」という新規事業を立ち上げます。これは、IT系の商品を購入する「決裁者=キーマン」10万人に向け て、彼らがほしがる情報だけを限定して届けるというサービスです。この事業は3年間でほぼ黒字になりました。まだインターネットそのものの認知度が低い時 代でしたが、私は、当初よりインターネットのウェブサービスとして「キーマンズネット」を企画していました。その為、まずはファクスでスタートしました が、後には、一人一人が「マイサイト」というホームページを持ち、その人のニーズに合わせて編集する、というインターネットでのサービスに移管しました。 これは、現在もリクルートが事業を継続しています。

 現在のオールアバウトのビジネス、つまりインターネット上で信頼できる生活情報を提供していく事業について、私は「ひとネット構想」と名づけ、 1996年頃から構想を温めていました。これはチャンスだと感じたのは99年のことです。この当時私は、リクルートの「次世代事業開発グループ」に移り、 会社の将来を担う新たな事業を考え、実現させる立場にありました。また、ジョイントベンチャーを始めとする投資ノウハウについても研究が進み、それらを活 用して「ひとネット構想」を発展させた新ビジネスへのチャレンジを始めようと考えていたのです。そして、アメリカのベンチャー企業「アバウト・ドットコム 社」と出合い強く惹きつけられた私は、同社とリクルートのジョイントベンチャー実現に向け動き始めました。

ビジネススクール、ベンチャーキャピタルともに、本気でアジア・ナンバーワンを目指しています!

<オールアバウトの船出>
161人のガイドと共に、2001年2月15日、オールアバウト始動。

 当時のリクルートは、就職、結婚、旅行、中古車などの情報誌事業が主力事業でした。簡単に説明すると、これまでよくわからなかったさまざまな相場情報を ひとつの媒体にまとめて掲載し、消費者にとって賢い情報選択の支援を行う事業です。これはある意味、「世直し」であると私は考えています。しかし、この情 報誌事業は手を広げられる領域に当然限界があるわけです。そこで、インターネットという幾多の情報があふれるメディアに対して、信頼できる専門家がサイト とユーザーの間に立って、持論や意見を発信し、また適切なサイトを紹介してくれる。そんな人的インターネットサービスができないだろうか。そう考えていた のが「ひとネット構想」なのです。

 ちなみに私はどうしても起業して社長になりたかったわけではありません。リクルートは大好きな会社でしたしね。ですが99年8月、私の構想と同じ ような事業を展開している「アバウト・ドットコム社」に出合い、ジョイントベンチャーでの新規事業立ち上げをリクルートに提案しました。すぐにOKが出た ので、同年9月、ニューヨークの本社に飛び交渉。ハードなやり取りを繰り返しましたが、翌年2000年の2月に最終締結に成功。6月にはリクルートとアバ ウト・ドットコムのジョイントベンチャーとして新会社を設立し、私が社長に就任します。この事業なら、私が考える「世直し」が存分にできる。また、これは 中途半端な立場で始めるわけにはいかない、不退転の決意で取り組もうと考え、自ら社長になることを決意しました。奇しくも「父の会社を継ぐなら35歳くら いか」と考えていた2000年に、私は新会社の社長となったのです。

 目指したのは「個人が自立するための4つのリテラシー」の提供です。まずは「情報」から、そして「健康・医療」「ファイナンス」「キャリア」とい う個人が豊かに生活を送るための基礎となる部分をサポートし、さまざまなシーンで人生を楽しむためのお手伝いをしていくということ。会社設立から約半年後の 2001年2月15日、スタッフ採用に始まって、ガイドの募集と養成、サイトの構築など怒涛の準備期間を乗り越え、ついに総合情報サイト「All About Japan(現・All About)」はスタート。161人のガイドと共に、オールアバウト流の「世直し事業」が幕を切りました。

<オールアバウト進化の軌跡>
設立5年でカスタマー数1500万人、売上高32億円のビジネスへ育て上げる

 オールアバウトの収益のほとんどはスポンサーからの広告掲載料です。もちろんバナーなどの広告も扱うのですが、当社は中でも編集型広告に最初からこ だわりました。具体的に説明しますと、まず企業が持つ商品・サービスなどの情報を、オールアバウトのカスタマー視点で記事として編集します。そしてこの情 報を最適なターゲットに届けるために、ふさわしいガイドが担当しているサイトを選択し、そのガイドの記事に関連したコンテンツとして紹介します。現在、ガ イドは約400名います。これはいわば400の専門雑誌を発行していると同じことであるといえるでしょう。

 しかし、立ち上げから2年間は売り上げが厳しかったですね。新しい事業を行なっていたので、当然、経営者としても壁にぶつかることが多くありまし た。だからスタッフも相当不安だったようです。当時からいる経営メンバーに最近聞いたのですが「あの頃は、絶対につぶれると思ってた」って言ってましたか ら(笑)。でも、私はこのビジネスを「筋が良い事業」であると考えていましたので、長丁場になるけど継続すれば絶対にうまくいくと思っていました。ガイド を徐々に増やし、コンテンツを充実させ、検索エンジンとの親和性を高め、カスタマー数が300万人を超えたあたりから、売り上げは上向き始めます。そして 3年目に単月黒字化に成功。それからは一気に業績は自然と向上していきました。

 現在、カスタマーはユニークユーザー数でカウントして1500万人を超えています。そもそもガイドが数百名いるということは、数百名の広報担当者 がいるようなものですよね。また、マスコミは常にネタを探していますから、当社のスタッフが、新聞社、テレビ局、雑誌社などのメディアの方々に、うちのガ イドを使ってくださいとご紹介するわけです。それも奏功し、昨年度でいうと、各マスコミにオールアバウトとガイドが取り上げられた件数は1200件にもな りました。今でもそういった依頼を合わせて、毎日コンスタントに問い合わせが入っているようです。そうやってオールアバウト自体の価値がどんどん高まり、 広告も自然と取れるようになったのです。

<未来へ~オールアバウトが目指すもの>
楽してこだわれる充実サービスで個人を、そして日本を元気に!

  ヤフー株式会社との提携、ジャスダックへの上場、オンラインショッピング事業「All Aboutスタイルストア」、消費者と専門家のマッチング事業「All Aboutプロファイル」の立ち上げなど、現在、やっとオールアバウトの構造整備が終わったという段階です。そしてメディアの強化はやっと一合目。まだま だ続いていきます。まずガイドはなるべく早く500名体制にしたい。オールアバウトの外にいる優秀なブロガーなどとも提携し、サブガイド的な位置づけの専 門化ネットワークも構築していきます。また、「All Aboutプロファイル」で自分を売り込みたい各分野の専門家を3000人まで増やし、3年後、合計5000名の専門化を擁するメディアに育てたいので す。

 そのうえで、メディアとしてきちんと情報を編集し、信頼感を高め、ここにくればなんとかなるという専門家の取り揃え感を拡充させていく。検索サイ トで時間をかけて問題解決するのもいいですが、オールアバウトにくれば時短ができ、なおかつ、楽してこだわれますよ。だからどう考えてもお得でしょ? そ んなイメージです。それが実現できれば、自ずとカスタマーはついてきてくれるでしょうし、広告などのビジネスも自然と広がっていくでしょう。

 今後、力を入れたいのが、「チョイコダ」。これはちょっとしたこだわりの愛称です(笑)。情報だったり、モノだったり、何かをするコトだったり、 ちょっとこだわって調べると、ちょっといい生活ができる、そんなチョイコダな消費行動をカスタマーが起こす際に助けるお手伝いをしていきたい。例えば、モ ノひとつをとってみても、流通が扱いたがらない少量多品種の素晴らしい商品は、世の中にたくさん隠れています。これがどんどん集まる仕組みをつくり、カスタマーとマッチングさせていきたいんです。そして、ネットやモバイルだけではなく、リアルな接点のサービスも展開していく予定です。例えば、家を建てたい 人が「All Aboutプロファイル」を使って建築家と出会う、また、信頼できる専門家をラインナップした学校を開くなど……。やりたいことはまだまだあります。

 ちなみに当社の企業理念は、「システムではなく、人間。」あくまでもインターネットは道具であり、人間があって初めて私たちオールアバウトの世直 し事業は回転していけるのです。専門家が増えれば増えるほど、このビジネスの影響範囲は無限に広がっていきます。そして、専門家であるガイドだけではな く、カスタマーも、広告を出したいスポンサーも、私たちオールアバウトもみんながハッピーになる。そんなハッピースクエアな関係をより強化していきます。 そんな私たちのサービスで、まず個人を元気に、そして社会を元気にしたい。私が生きている間に実現できるかどうかはわかりませんが(笑)、ぜひ期待していてください。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
常に高い意識で仕事をすること。そして起業したなら盲目的に走ろう!

 読者の皆さんが今どのような仕事をされているかわかりませんが、起業したいなら、まず自分の「できること」「やるべきこと」「やりたいこと」を整理 してみてください。その3つが重なったことで起業できればいいですよね。しかし、そもそも「できること」を増やしていかないことには、選択肢や可能性は広 がってきません。そのためには、今目の前にある仕事「やるべきこと」に真剣に取り組むことです。

 そうやって仕事に対する意識を変えるだけで、物事が変わって見えてきます。そうすると改善点がわかるようになる。問題解決の方法を考えるようにな る。そして、それを続けてみること。半年やれたら他人との差がわかるようになりますし、3年続けられたらその差はきっと天と地くらいになるでしょう。それ ができていないのに、社外の勉強会に出かけるとか、人脈をつくるとか、そんなことをやっても意味がありません。起業したいなら、まずは高い視点で物事を考 える癖付けをしてみてください。あとは、本当の自分を理解すること。自分がフルにコミットできるものってなんだろう? どんどん人に聞いてみるといいと思 います。いつか恩返ししますからって(笑)。

 そして起業は家を買うのと同じで、どうしてもこれがほしい、これがやりたいと思った時がタイミングだと思います。それが見つかったならすぐに起業 の行動を始めるべきです。その際に、これは本当に世の中の役に立つ事業なのかどうか、「筋の良い事業」なのかを考えること。「筋の良い事業」なのであれ ば、アスピレーション(志)が生まれ、ピンチになった時でも乗り越えられる力がわいてくるはずです。そして実際に起業したなら、盲目的に事業に取り組むの です。頭のいい人ほど、うまくいかない理由を考えがちですが、そんなことは最後にやればいいこと。あとは、私のようなあきらめの悪さがあれば、きっとうま くいくはずです(笑)。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:松村秀雄

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