第46回 株式会社 エス・エム・エス 諸藤周平

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

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第46回
株式会社 エス・エム・エス 代表取締役社長
諸藤 周平 Shuhei Morofuji

1977年、福岡県生まれ。九州大学経済学部経済工学科卒業。小学6年生から、中学3年までは父の仕事の関係で東京へ。大学卒業の頃は、就職氷河期ど真ん 中。大企業の倒産や衰退を目の当たりにしたこと、また、介護保険法が施行により事業の成功可能性を想像し、会社員を続けるのではなく、いつか起業しようと 思い始める。まずは社会を見るため、卒業後、(株)キーエンスに入社し、営業職に従事。1年半の勤務後、小さくてより勢いのある企業で働いておこう と、(株)ゴールドクレストに転職。営業、管理部門に従事。ここで出会った同僚と意気投合し、最初の起業。2002年8月、合資会社エス・エム・エスを設 立。翌年の2003年4月に株式会社エス・エム・エスを設立し、代表取締役に就任する。設立4年目の2007年度には売上約15億円を達成。現在も、「介 護」「医療」「アクティブシニア」の3領域を狙い、高齢社会に適した情報インフラを構築し続けている。

ライフスタイル

好きな食べ物

好き嫌いはいっさいありません。
好き嫌いなく、何でも美味しく食べています。外食は安い居酒屋でも何でもOK。やっぱり魚料理が好きですね。特に挙げろといわれれば、鮨ですかね。お酒もけっこう飲みますよ。ビールとか。でも甘いものも大丈夫。

趣味

海釣りですね。 
海釣りですね。休日に車で妻とドライブしながら海に行って、堤防で浮き釣りを。月に1回くらいは行きますよ。あんまり釣れなくてもいいんです。そのシチュ エーションが好きだから。でも、2カ月前に兄が住む長崎に行って、急遽500円の竿を買って釣りしたら、大きなイシモチが釣れたんです。過去一番の大物 じゃないですかね。

休日

ドライブしたり、映画を観たり。
社内のルールでもありますし、私も確実に休日を取っています。映画が好きなので、映画館に行ったり、ドライブして道の駅を巡って地場の産品を買ったり。けっこう地味に過ごしてます。最近観た映画は「オーシャンズ13」。面白かったですよ。

行ってみたい場所

訪れた経験がない外国はすべて。
過去、海外旅行をしている時に、いいアイデアが生まれてるんです。だから、訪れたことがない外国はすべて行ってみたいですね。そうそう、社員にもどんどん 海外を見てもらいたくて、GWは9連休にして10万円のGW手当てを支給していますが、社員から「その金額でGWに海外へって無理ですよ!」って文句言わ れてしまいました(苦笑)。

介護、医療、アクティブシニア領域で、高齢社会に適した情報インフラを構築中!

 2035年に、日本国民の3人に1人が65歳になるといわれている。今さらいうまでもないが、日本は高齢社会に向かってまっしぐら。このマーケットにチャ ンスを見出して、事業展開している企業は星の数。エス・エム・エスの代表を務める諸藤周平氏は、大学時代に介護保険法が施行されることを知り、起業を考え 始めた。そして2社の会社勤務を経験し、起業。事業領域は、「介護」「医療」「アクティブシニア」。これら3つのマーケットで事業展開する組織と、同マー ケットで働く人たちのマッチングが現在の主力事業である。設立5年目の現在、インターネットを活用した13のメディアがすでに稼働中。これからもさまざまな新 規事業がラインナップされていく計画だという。同社が目指しているのが、高齢社会に適した情報インフラ構築。ベンチャーらしいスピード感を保ちつつ、事業 の永続性を考えながら慎重に歩みを進めている。今回は、そんな諸藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで 大いに語っていただいた。

<諸藤周平をつくったルーツ1>
小学生までは勉強のできない少年だった。父が家庭教師となり中学から成績アップ!

 生まれたのは福岡県です。出版社に勤務する会社員の父、母に、2歳上の兄、2歳下の弟。そして私の5人家族。みんなとても仲が良くて、今思い返して も幸せな家庭環境でしたね。小学校の頃のトピックスですか? あまりないんですよ。普通すぎたことがトピックスなくらいです(笑)。野球、町内のソフト ボールチームには所属していました。高学年からはサッカーに転向しましたけど。でも、ませた子どもだった気がします。小学校って6年間も続くのか。イヤだ なって思っていましたから。早く車の免許とって運転したいなあ、とか。この頃は勉強が全くできなかったんです。兄も弟も成績が良かったんですけど、僕だ け。父は教育学部を出た人で、私が小6の頃から心配して、勉強を教えてくれたんですよ。それも中学校の勉強を。もう小学校の勉強しても手遅れだからって (笑)。それが良かったんですね。中学ではどんどん成績が上がっていきました。

 父が東京に転勤することになりまして、小6から中3までは福岡を離れて東京で過ごしました。ここでも普通ですよ。部活動はテニス部。はまったものもあま り思い浮かびません。周囲ではテレビゲームがはやっていましたが、クラスの中で自分ひとりだけファミコン持っていませんでしたし。なんとなくですが、福岡 に比べて東京は冷たい街だなって感じていました。父もそう思っていたのか、やはり九州に帰りたかったんでしょう。まずは子どもを九州に帰して、自分が福岡 に帰るための既成事実をつくろうと(笑)。でも私は九州に帰れることがとても嬉しかった。実際に帰省してみたら、九州の人たちの温かさが身に染みました。

 高校は佐賀県にある全寮制の私立高校に進学します。1学年200人くらいの男子校で、私の代で東大に30人弱合格したような進学校。授業が夕方6 時まであって、その後7時から11時までまた勉強するんですよ。休日も勉強時間がありますし、まだ家族は東京に住んでいましたので、福岡に帰る場所もな い。だからずっと寮に居て、本当に勉強ばかりの毎日。正直、あまり楽しくなかった(笑)。まあ、それだけ勉強をした甲斐あって、私は現役で九州大学経済学 部経済工学科に合格。九州以外の大学に進学する気はいっさいなかったです。

 

<諸藤周平をつくったルーツ2>
会社員はキツクてつらそうという理由から。起業の道へのきっかけを探し始める

 大学時代は、家庭教師やカラオケボックスのバイトに励みました。稼いだ資金を持ってパチンコに行ったり。サークルにも所属せず、仲の良い友人たちと すごしていることが多かったですね。というわけで、授業にはあまり出ていませんでした(笑)。父は会社員でしたが、祖父はパッケージメーカーを経営していたんです。卒業後の将来を考えた時、会社員は自分にはあっていないな、経営者として自己責任の中で生きていくほうがいいなと漠然と考えるように。父の世代のような終身雇用、年功序列制度の終焉も実感していましたし。そのうえ、私が大学を卒業した頃は就職氷河期でしたから。

 会社経営に興味がわき、いろんな社長の本を読み漁りましたね。松下幸之助さんなどの大物経営者の話よりは、トラックの運転手が苦労して事業を立ち 上げたような小粒な社長の話が好きでした。自分にとって、身近な存在に感じられましたから。あと、10万円くらいの小額ですが、株式投資もやっていまし た。儲けたいというよりも、ただ単に楽しかったからです。大学4年になった頃、介護保険法が制定され、「これを何か事業に結び付けられないだろうか」と、 おぼろげながら考えていたんです。少子高齢化は確実に進んでいきますから、きっとマーケットも大きくなるだろうと予測して。そうはいっても、すぐに事業を 立ち上げられるわけじゃない。まずは就職して社会を見てみようと。株式投資で使っていた会社四季報をめくって、自分に合いそうな会社を探し始めたのです。

 業績が伸びていて、給料が高くて、仕事がキツイ会社。この3つの観点で会社を探しました。キツイ会社を条件に入れたのは、のほほんと学生時代をす ごしてきた自分を、将来の起業に備えて鍛えておきたいと思ったから(笑)。いろいろな会社を調べた中で、キーエンスという会社を発見。業績は抜群。給料が 高くて、営業に強いということもわかりました。すべての条件が満たされている。ここなら自分を鍛えられそうだ。そして大学卒業後の2000年4月、私は キーエンスに就職することになるのです。

<キーエンスからゴールドクレストへ>
2社目の会社で出会った同僚と意気投合。合資会社を立ち上げ、事業スタート

  キーエンスはもちろんとてもしっかりした会社で、居心地もよく、多くのことを学ばせていただけた職場でした。給料も非常に高かったですね。ここで私 は営業職に就きました。しかし、60人の事業部に、部長とマネジャーがひとりずつというとてもフラットな組織。確実な階段が用意されていますし、頑張れば 少しずつ上を目指せることもわかります。ただ、ここでは10年以上たたないとマネジメントの立場に就けそうもないですし、一生ここで働き続けるのは自分に とってどうなのかと悩み始めました。結果的には、もう少し違った会社を見てみようと転職をするのです。

 1年半勤務したキーエンスを退社して、次に私がお世話になったのは不動産販売会社のゴールドクレスト。キーエンスに比べると当時はまだ小さな組織 で、現在もそうですがとても勢いがありました。その勢いの源泉はいったいどこにあるのか。それを自分の目で確かめたかった。実はゴールドクレストのことも 学生時代に会社四季報で調べていたんですよ。面白そうな会社だなって。そして、無事転職を果たした私は最初に営業を担当し、その後、管理部門の仕事を任せ てもらいました。

 入社してすぐに、その後一緒にエス・エム・エスを立ち上げることになる田口(現当社顧問)と出会ったのです。彼とは自然と意気投合し て、介護業界にまつわる情報インフラ構築事業の夢を語り合ううちに、大学時代から考えていた起業への思いがふくらんでいきました。20代で転職を何度も行 うのはさすがにまずいと思いましたし、もうこのタイミングで起業しようと決意。そして2002年8月、ゴールドクレストを退職し、合資会社エス・エム・エ スを設立しました。田口という同志ができたことは、本当に心強かったですね。 そして、独立した私たちは、介護福祉関連事業を展開している会社に電話でマーケティングリサーチを兼ねた営業を始めます。その時に、介護施設運営会社の経 営者から、ある依頼を受けることになるのです。

<起業後に再びゼロスタート>
株式会社を立ち上げた4カ月後に、資金ショートの危機が訪れた……

 その経営者から依頼されたのは、神奈川県の小田原に建設された有料老人ホームの販売代理事業。喜んでその仕事をお引き受けした私たちは、施設1棟丸 ごとの販売代理を任され、頑張って完売まで持っていきました。ただ、その経営者はまだ若い私たちのやる気に共感し、仕事を振ってやろうと思われたのでしょ う。マーケット状況から鑑みても、確実に売れる物件だったのです。その経営者が、「ぜひ今後も協力してほしい。一緒にやっていかないか」と。しかし、それ では不動産販売会社と同じです。また、小田原のように条件の良い物件を売るのはまだしも、あまり条件が良くないとわかっている物件を売るための苦労をする のもどうかと。私たちは、介護業界にまつわる情報インフラ構築事業を立ち上げるために起業したはず……。悩んだ結果、そのお申し出は丁寧にお断りし、 2004年4月、新たに株式会社エス・エム・エスを設立。もう一度初心に戻ろうと。そして、再びゼロから情報インフラサービスの構築を模索し始めます。 小田原から東京町田市の一軒家に引っ越し、私と田口を含めたメンバー6人で来る日も来る日も、何を手がけるか、どうやって事業をスタートさせるべきか ディスカッションする毎日。それはとても楽しい生活でした。そして、そんな中から生まれたアイデアが、介護従事者と介護事業者のベストマッチングを図るた めの人材紹介サイト「ケア人材バンク」。やることが決まれば一気です。5月にサイトが立ち上がり、7月に紹介業免許を取得。しかし、資本金として用意した 1000万円はどんどん減っていきます。このままでは、8月には資金ショートしてしまう……。焦りが募りました。

 立ち上げ当初はサイトに掲載するコンテンツを集めるために、新聞や雑誌を使って求人を募集している介護事業者に片っ端から電話をかけて、「無料 で掲載しますから」とお願いしました。そうやって求人情報をどんどんストックしていきながら、片方で、介護従事者にサイトを認知してもらうため、チラシを つくって配布。ケアマネージャーが集まる勉強会や資格試験の会場前などに行って、みんなで手分けして配るわけです。そのうちに、求人情報を掲載してくれた 介護事業者から人材紹介の依頼が少しずつ入るようになり、なんとか8月の資金ショートを回避することができました。 

 

2035年、日本国民の3人に1人が65歳に!
シニアが安心して暮らせる仕組みを整備し続ける

<最初の事業を軌道に乗せ、スピードアップ!>
「介護」「医療」「アクティブシニア」領域で、必要な人から必要とされるサービスを!

 「高齢社会に適したインフラを構築することで、価値を創造し社会に貢献し続ける」。この企業理念を実現するため、現在、主にインターネットを活用し て行っている当社の事業領域は、「介護」「医療」「アクティブシニア」の3つです。まず私たちが手がけた事業が、ケアマネージャー、理学療法士、作業療法 士などの人材紹介サイト「ケア人材バンク」の運営。ここから始まって現在では、介護業界専門の転職サイト「カイゴジョブ」、介護福祉学生のための就職サイ ト「ケアガク」など、介護従事者と介護事業者双方のベストマッチングを幅広くお手伝いできる体制を構築しています。

 そのほか、介護・福祉・医療関連の資格取得情報、スクール情報などを網羅した情報サイト「シカトル」、ケアマネジャー約15000人が参加してい るコミュニティサイト「ケアマネドットコム」なども運営中。また、「カイポケビズ」という会員制サイトでは、介護事業者に対して介護報酬請求業務のASP など、事業運営に役立つさまざまなサービスを提供しています。ちなみに介護関連事業は、すべて私たちが独自で立ち上げたもの。現在では、月間約90万人のユ ニークユーザーにご利用いただいています。創業から2年間は、この領域に特化した情報インフラ構築に集中してきました。

 そして2005年より、介護領域で培ったノウハウを生かして医療分野に進出。看護人材紹介サイト「ナース人材バンク」、看護人材の転職サイト「カ ンゴジョブ」、医師限定の人材紹介サイト「ドクターキャリアエージェント」、薬剤師人材紹介サイト「ファーマ人材バンク」の運営をスタート。そして今年度 からは、「介護の家探し」という、有料老人ホーム、介護施設検索サイトをリニューアルし(旧サイト名:「らるろーご」)、アクティブシニアマーケットの開 拓を本格的に着手。また、医療領域はソネット・エムスリーさんと、アクティブシニア領域はシニアコミュニケーションさんと資本業務提携を締結。お互いの強 みを生かしながら、両事業とも順調に推移しています。

 

<エス・エム・エスに人が集まる理由>
社員が安心して社業にいそしみ、成長できる環境づくりを一所懸命

 スタッフ全員がやりがいのある仕事をし、また私生活においても満ち足りた人生が送れることを願い、いくつかのユニークなバックアップ施策を用意して います。仕事面では、たとえば、「新規事業提案制度」。毎月1回の全社員が新規事業を考えるイノベーションタイムに全スタッフが取り組んでいます。その時 間を使って考え出された新規事業案を誰でも会社に提案することができ、認められたアイデアは東京・麹町にある新規事業専門のオフィス「イノベーションオ フィス」でマーケティングが進められます。その事業が、事業として育つのりしろがあり、高齢社会に貢献できるインフラ構築事業であれば、新規事業提案をし て手を上げたスタッフ自身がその事業の責任者として事業運営を行うことが可能です。

 また、年間の業績優秀社員を年間BMP(Best Matching Person)として表彰し、MBA留学またはアントレプレナー職への昇格を選択できる制度を導入しています。MBA留学では、半年から1年程度の語学研 修と2年間のMBA留学の学費と3年分の給与を会社から支給するというものです。また、アントレプレナー職を選択すれば、1年間の海外視察を含めたリサー チ・試験運用を実施後、新規事業の創出・運営に携わることができます。

 待遇面では、会社利益の約30%を全社員へ還元する「利 益還元制度」があります。また給与も、新卒の初任給400万円(年俸)、入社2年目には500万円(年俸)に昇給する高待遇を実現しました。だからといっ て、仕事時間が長いわけではありません。残業したとしても20時45分までに必ず退社する、振り替え休日を取らない休日出勤は減俸というルールがあるくら いですから(笑)。そして、役職、年齢に関係なく全員を「さん」付けで呼び、高圧的な態度や言動はいっさい禁止です。だから、社風はとてもアットホームで すよ。

<未来へ~エス・エム・エスが目指すもの>
ベンチャー企業らしくスピード感を保ち、永続的な成長を目標に邁進していく

 私はエス・エム・エスを、50年後、100年後、私を含め現在の従業員が全員定年退職し、全員が入れ替わったとしても、継続して成長し続ける会社と して育てていきたいのです。そのために、まずはこれから10年間、継続的に2桁成長できている状態を目指さなければと考えています。「介護」「医療」「ア クティブシニア」の3つに絞って事業を展開していますが、どこかにぶれが生じていないかどうか、3カ月毎に経営ボードでチェック。それにより過去に2度、 事業の撤退を決めました。そのうちのひとつが、シンクタンク事業だったのですが、最近再びその必要性を感じてきており、復活させる予定です。当然、企業理 念、事業領域にマッチした将来性ある新規事業には果敢にチャレンジしていきます。現在、時間と金銭的な余裕を持つシニア層を中心に、海外での長期滞在の情 報を集めたポータルサイト「Second Gate」が進行中。これも楽しみですね。

 そして当社の手がける事業領域の拡大スピードにともない、東京、大阪、名古屋、横浜、大宮、札幌、広島、千葉、福岡、札幌へと一気に広がり、今 年、港区三田の住友不動産三田ツインビル西館に本社を移転。スタッフも年々増加しており、現在も約150名の陣容で情報インフラサービスの構築事業を進め ています。創業期は、私や田口の学生時代、前職での知人・友人を口説いたり、入社した人がさらに他の知人・友人を紹介してくれるかたちでの中途採用がほと んどでした。ですが、第2期から新卒採用活動を開始し、実際に第4期の4月からは新卒入社社員が当社で活躍中です。今後も当然、新卒採用は継続していく予 定。もちろん中途採用も積極的に行っていきます。 たくさんの人を雇用できる会社になれたことは、経営者としてとても嬉しいことですね。

 2035年には、日本国民の3人に1人が65歳になると予測されています。しかし、高齢者向けのサポートや、より幸せなシニアライフを提供するための情 報インフラサービスはまだまだ未成熟な状態です。ですから私たちの仕事は多くの方々から待ち望まれているはず。そんなマーケットで勝負を続けているエス・ エム・エスは、まだ設立5期目の若い会社ですが、売上高は第1期の5800万円に始まって、第2期3億8300万円、第3期8億3500万円、そして第4 期15億4500万円。今期も大幅な増加を見込んでおり、ベンチャー企業らしくスピード感のある成長を継続中です。今後も安定的かつ継続的な成長を目標に 邁進していきます。 

 

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
まずは起業の志と経済のつなげ方を考える。小さな目標をひとつ立て、クリアしてみよう

 私の座右の銘というか、好きな言葉として、「やるも人生やらぬも人生どうせやるならとことん楽しく」というものがあります。注釈があって、初めは自 分のために生きればよくて、その後社会のために生きていけばいい。どんな小さな目標でもクリアできれば必ず次の目標が現れる。社会のルールに沿ってその循 環を繰り返していけば、自分も社会も良い方向に進んでいく。確かそんな内容でした。私に置き換えてみても、経営者になりたいとか、ハッピーリタイアしたい とか、最初は自分なりに小さな目標を立ててやっていったら、少しずつ大きな目標を与えていただくようになった。なので、最初は自分のために、最後は社会の ために、そうすることでつながるものなのだなあと実感しています。

 でも、私が仲間と起業した 時、理念の中に「永続」という言葉を入れようとしたんですが、仲間たちは「何言ってんだ。俺たちの志はそんなものなのか!」ってものすごく詰められてしま いました。でも、いろんな会社の経営理念を調べてみると、「永続」を使っている会社って多いんですよ。結局、それは創業時の仲間たちと私との温度差と、言 葉としての問題だったのですが。「志を同じくした仲間が、継続なんて言葉に共感するか。そんなんじゃ、誰も集まらない」って。まあ、理念に正解はないんだ なと。それと、一対多のコミュニケーションって難しいなと反省しましたね。

 というように、起業を目指される方で、最初から社会貢献や壮大な志を語る人ってけっこう多いですよね。批判するわけではないことを前提にして言い ますと、そこをあまり深く考えすぎると経済的にうまくつながらないのではないかと。志や計画は壮大でもいい、それをどんどん具体化していって、一人称の自 分を主語に、ならばこの1年間で自分は何をする?って考えてみればいいと思います。繰り返しになってしまいますが、最初は小さくてもいいんです、わかりや すい目標を立てて、クリアしていけば。そうすれば次の目標が下りてきます。そして、その繰り返しがいつかきっと社会貢献につながるのですから。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:刑部友康

※このインタビューは2007年10月に取材・撮影を行ったものです。

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