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期せずして、弱冠19歳で家業を継ぐことに
プラスチックの中空成形を行う下請け会社を営んでいた父親が病を患い、余命1年と聞かされたのは、大山が高校 3年になった春のこと。漠然とでも、映画監督になりたいと思っていた大山は、早くも人生の岐路に立たされることになった。
「知ってからは、半分覚悟のような気持ちができてきましたね。父親が死んだら、どうしたって自分たちで生活していかなきゃならないんだから、家族を養うためにも 工場を継ぐしかない。そんな状況でしょ、周りからは『大変でしたねぇ』とか『遊びたい盛りの年頃なのに』とか、よく言われたんですけれど、僕は根っからポ ジティブな人間で、頑張れば何とかなるわーって調子。それはそれで、また楽し。人が思う苦労も、僕にはそう感じないところがあるんですよ」
幸いだったのは、父親の先見の明。当時にしてみればニュービジネスだったプラスチックをやっていたことだ。若い業界だったからビジネスチャンスも多く、むしろ、たいした経験のない大山のような若手のほうが新技術やアイデアで勝負ができた。
「もとより、下請け工場のオヤジで一生を終わりたくないという気持ちはあったし、何としてでも川上に立ちたかった」
そ んな大山が、最初に目をつけて開発したのが水産関連のプラスチック・ブイ、いわゆる“浮き”である。自社で金型投資をし、新商品を開発した。このブイを三 重県の真珠養殖の業者に納め始めたところ、大ヒット。「良い商品をつくれば、必ずお客さんは興味を持つ」-大山のこの絶対的な信念を実証した、メーカーと しての商品第 1号となった。
「ただ、いい話は長く続かないもの。プラスチックって腐らないでしょ。1回納めると、何十年ももっちゃう(笑)。加えて、拡大路線だった真珠養殖も下火になってきたので、それで視点を変えて、今度は東北で盛んなホタテやワカメの養殖に目をつけたのです」
強い会社、将来の幸せにつながる事業の模索
72年、大山は大阪から仙台に拠点を移し、新天地で新たな創業を果たした。
しかし翌年、別の試練が訪れる。日本全国を襲ったオイルショックだ。東北市場への着眼は良かったが、これにはかなわない。市場は崩れ、大山が提供していた水産・農業関連のプラスチック産業資材も供給過多となり、一挙に瀕死の状態に追い込まれた。
「そ れまで、ひたすら顧客を喜ばすために頑張ってきたのに、市場がダメになったら、それでダメ。ここで業態転換しようと決心したんですよ。不況でも強い会社。 山の高いビジネスよりも谷のないビジネス。そのためには、オンリーワンのマーケットを自分たちで創出するしかないと思いました。同じ苦労や努力をするな ら、将来の幸せにつながる事業を探そうと」
最初に乗り出したのが園芸用品市場。当時はまだ、ものすごく小さな市場だったが、ニーズの潜在性を確信していた大山は、園芸に使われてきた従来の素焼き鉢をプラスチック製に変えて商品開発、市場に出し始める。
以降、次々とガーデニング用品を開発してきたアイリスオーヤマは市場に多大なる影響を与え、みごとに再生。
「我 々がこの市場を大きくしてきたという自負もあります。開発はリスクを伴うし、もちろん簡単な話じゃない。鉢一つをとっても、プラスチックは空気を通しませ んから、植物にとっては住みにくい素材です。ならば、それをソリューションする研究・開発をすればいい。こういうアプローチをする会社がなかったんです よ。いかに機械を動かすか、いかに安く生産するか、目先の儲けが読めるモノづくりが主体でしょ。僕らは、そこが違った」
プラスチックの成形加工はあくまでも手段であって、目的は「商品づくり」だと、大山は繰り返し語る。徹底したユーザーインの発想。
エンドユーザーに支持されなければ絶対に勝てない。これは現在も変わらない、アイリスオーヤマの生命線ともいえるポリシーだ。
「メーカー兼問屋」という新しい業態業の誕生。拡大成長期へ
企業再生に成功した大山は、以降、ペット用品、収納用品と商品カテゴリーを拡大していく。中でも「しまう収納」から「探す収納」へとソリューション型開発をして大ヒットとなったクリア収納ケースは有名だ。大げさではなく、収納文化を一変させた事例である。
「ユー ザーインの発想で商品開発を追求すると、自ずと新しい提案型の商品が誕生しますよね。ユーザーにとってはいい話なんですけど、ところが問屋にとっては、そ れが売れるかどうかわからない商品となる。問屋は何より在庫を抱えることを嫌いますし、読みの立たない新商品をリスクをかけて販売するようなことはしな い。せっかくのアイデアでこんなにいい商品をつくっているのに……と、我々にしてみればそれが障壁になるんです」
問屋経由のチャネルではなく、販売のプラットホームとしていち早くホームセンターとの直接取引を始めたのには、そんな背景がある。加えて、ホームセンター側からも、迅速な納品体制、つまりベンダー機能のサービスを求める声が上がってきた。
「僕 としても、流通段階で自分たちの商圏を自分たちでコントロールできるようにしたかった。それで試行錯誤のうえ、確立したのがメーカーとベンダー、この2つ の機能を併せ持つ新しい業態業です。これなら、業種発想は超えられる。素材を広げて自由に商品開発し、それをベンダー部門が積極的に販売していけばいい。 実際、今ではプラスチック素材は全体の5割を切ってますからね。金属、木材、繊維と広がってきて、ペットフードまでつくってるんですから。こんな業態メー カーはほかにないですよ」
アイリスオーヤマには、商品カテゴリーはあるが業種はない。消費者の生活の中にある問題を解決して、快適さを提供する。この一点の信念にもとづいて、商品づくりを無限に広げているのである。
当面の大山の狙いは、日本でヒットした商品を欧米に持ち込んで根づかせること。ひいては文化の輸出につなげることにある。
「せっかく、オンリーワンの商品を次々に開発する力と、普及させる力を携えたんです。他社にはマネのできないことをやり遂げたんですから、今後は海外に注力していくことが僕の役割でしょうね」
【大山 健太郎氏 プロフィール】
大阪府に生まれる。プラスチック加工・成形工場を営んでいた父親が病気で他界したため、高校卒業後、わずか19歳にして家業を継承。
72年、新たな マーケットを狙うべく大阪から仙台へ拠点を移すが、翌年のオイルショックで大打撃を受け、これを機に業態転換を決意。
以降、同社がこだわってきたホーム・ ソリューション(生活問題の解決)型の商品開発は、エンドユーザーの高い支持を得、急成長。
並行してメーカーベンダーとして新しい業態業を確立した。現 在、園芸、ペット、収納・インテリア、レジャー用品などといった幅広いカテゴリーで約 9,000アイテムの商品を提供。
88年より海外進出も果たし、「生活文化を輸出する」発想のもと、積極的な事業展開を続けている。