証券業界に強烈な新風を吹き込む / 松井証券

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

自由競争の凄まじい波にもまれ、コスト意識に目覚める

009外国に行って活躍したいという欲求が強かった松井は、一橋大学卒業後、日本郵船に入社する。当時の就職先として人気があったのは商社だったが、100%海外業務を望めるのは海運会社、との判断からである。

それともうひとつの理由は「社長になるつもりでいたから」。

数少ない同期の中の一人と、数百人の同期の中の一人。どっちが社長になる確率が高いかは歴然としていた。

「大企業だ、ブランドだとか言っても、会社と個人は別でしょ。なんでみんな、個人ベースでものを考えないのか、不思議だった」

この76年当時は、外航海運会社が、護送船団方式の保護政策下におかれていた最後の時代だった。運賃はどの会社もまったく同一。

「荷主は何で海運会社を選ぶかと言うと、それは営業担当者の“誠意”。その誠意とは、要するにコンテナがピカピカであるとか、そんなことですよ」

ところが、80年代に入ってアメリカの海運業界の同盟が崩壊。一夜にして自由化と競争の時代が訪れる。その波はあまりに強烈で、日本の海運中核6社のうち半分が倒産したほどである。

「もう荷主は、コンテナが錆びていようが、船員が全員外国人だろうが、何でもいい。とにかく運賃が一番安いところに発注するようになった。すべては、いかにコストを下げるか」

運賃相場は毎日変わるから、世界中の海運会社と連合したり、ケンカしたり、ありとあらゆることをグローバルでやらなければならなかった。この自由化への凄まじい変化を体験したことで、松井は大いなることを学んだ。

「この時、体で学んだんです。これまでいかに、顧客が求めてもいないものにコストをかけて儲けてきたかを。競争なき業界の“誠意”とは、顧客に負担させる無駄なコストのことだったんですよ」

継ぐ気はなかったものの、ひとたび走り出すと強い信念を貫く

駆け抜けるように過ぎていった20代。仕事に明け暮れ、気がつくと「33歳の課長代理のオジサンが独身寮にいた (笑) 」と松井。その頃に縁あって結婚した女性の父親は、大正時代から続く松井証券のオーナーであった。

「最初、そう聞いても『ああ、株屋か』ってくらいのもので、継ぐ気はなかった。でも、義父は高齢だし、後継ぎがいないから、いつかは会社は人手に渡る。ところがね、義父は継いでくれとは一言も言わない。もし頼まれていたら、僕はヘソ曲がりだから、絶対に継がなかったね」

結局は、松井のほうから「継がせてください」と申し出た。さぞ喜んでくれるだろうと思っていたら、義父の返事は「やりたいならおやりなさい。でも、つまんないよ」だった。

87 年、松井証券に入社した松井は、たちまちその意味を悟った。証券業界は大蔵省の完全な保護下にあり、売買手数料も商品も横一線。にもかかわらず、バブル序 盤期で、どこも儲かっている。松井証券もしかり。リテール営業が主力の小さな会社だったが、経常利益が20億、30億円もあった。一体、どんな営業をして いるのか?

営業社員の答えは“誠意”だった。

「また誠意か、と。ドブ板営業がセールスの極意だと思っている。そんな営業ならやめてしまえと、電話での通信取引を始めた。当初はあまりかんばしくなかったんですが、しだいに成果が上がり始め、ついには、外交セールスを一切廃止するまでに至りました」

“外様”である松井の、しかも、従来ならあり得ないような策に、ベテラン社員たちがいい顔をするはずがない。自分の客を持って、次々と辞めていった。が、去る者は追わず。松井は信念を貫いた。

早くネット株取引に着手、ネット証券会社のトップに

松井は、遠からず起きるであろう証券・金融自由化に備えるべく、動いていたのである。

「結 局、注文は増え続けて、顧客数は5倍に。価格も商品も差別化できていない業界で、セールスせずにお客さんが増えたんです。これは、取りも直さず、営業の プッシュするセールスが嫌がられていた証です。しかも我々にしてみれば、営業社員の給与という、証券会社のコストの大半を占める部分をカットできたわけで す」

そして予想どおり、日本版ビッグバンはやってきた。松井は、外交セールスや店舗を全廃して業界を驚かせたのを始め、97年には、横並びだった株式の保護預かり料を無料化したりと、旧態依然とした商習慣に次々と風穴を開けてきた。

インターネット取引にもいち早く着手、98年のことだった。

「イ ノベーションというのは常に革命の発火点で、インターネットはまさにそれだと思いました。松井証券が目指すナンバーワンの分野は、株のブローキングです ね。顧客が求めるすべてのニーズに応えることなどできないんです。何か一つ、ナンバーワンの分野を持って、そこで選ばれる存在にならないと」

これは、松井がよく言葉にする「地動説」にもとづく発想である。

角度を変えて言えば「顧客中心主義」。あくまでも顧客が中心に位置し、企業はその周りを回っているセクターの一つであって、選ばれる存在にしかすぎないと。

「ま すます消費者中心の時代に向かっているわけで、選ばれない商品やサービスは簡単に捨てられるでしょう。企業がいつまでも従来のかたちで何十年も生きていく なんてことは、あり得ない。これから、天動説で経営を考える人間と、地動説で経営を考える人間とでは、明らかに差が出てくると思いますよ」

松井の強い信念、スピーディな実行力、歯に衣を着せぬ言葉は、この時代にあって、実に痛快である。

【松井 道夫氏 プロフィール】

長野県に生まれる。一橋大学経済学部を卒業後、日本郵船にて勤務。
86年、松井証券の社長の一人娘と結婚。翌年、務台姓から松井姓となり、後継ぎとし て松井証券に入社。
社長就任は95年。
業界の自由化を想定した、外交セールスの否定・店舗廃止・インターネット取引専業への転化など、数々の業務改革を推 し進めてきた。
98年に国内初の本格的ネット株取引「ネットストック」サービスを開始し、現在、信用取引売買高で大手証券会社を圧倒、ネット証券の第一人 者として快走する。
01年8月に東証1部に上場。

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