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エピソード1「富士製鋼再建」
「社を再建しようと一緒になって働いてくれる従業員に自然と親しみを覚え、そのうち300人の名前、家族構成まで全部覚えた」 (33歳)
富士製鋼の再建を任された時のエピソード。
大学を卒業し、兄の勧めで就職した浅野物産を1年足らずで退職した永野は、第一次世界大戦の終戦とともに倒産した鉄鋼会社の富士製鋼に入社した。 同社は兄の友人が経営していた澁澤貿易と取引関係にあったが、その倒産によって澁澤貿易は多大な損害を蒙っていた。その債権を生かすには再建するより手が なく、兄の友人は若くてイキのいい永野に白羽の矢を立てたのである。
川崎にある工場に行くと、ペンペン草どころか蛙のすみか。鉄鋼界での第1日目は、蛙を追い出すことから始まった。「帝大を出てまで」と後悔するこ ともあった。しかし、瓦の積み替えをして屋根を修繕すると、社員がぽつぽつ戻り始め、数カ月後には300人近くまでに。15tの平炉4基で月5000tの インゴットを生産した。
出来上がった会社に入社するのと、潰れた会社を再興するのとでは、自ずと心組みが違って、工場に愛情がわいた。それに「君を支配人にするからしっ かりやってくれ」と任せてくれた社長に対する責任もある。当時永野は25歳。もししくじれば、世間は経験のない若造に任せた社長を非難するだろう。そう思 うと、なんとしてもこの工場をモノにしようという気持ちになり、工場の前の家に下宿して朝から晩まで工場に詰めた。
「そうなると、社を再建しようと一緒になって働いてくれる従業員に自然と親しみを覚え、そのうち300人の名前はもちろん、家族構成まで全部覚えて しまった」
その後、金融恐慌による未曾有の大不況が襲う。昭和6年、銀行が「融資の返済期限が来たから約束どおり返せ」と矢の催促。「払え」「払えぬ」の押 し問答の末、いたたまれなくなった永野はついに夜逃げを決行。東京の安宿や熱海の温泉宿でそのつらさを身にしみて知らされた。しかし、いつまでも逃げおお せるわけでもない。社長や300人の従業員も困り果てているだろう。「銀行との交渉に臨むよりない」と川崎に取って返した。
戻ってみると、東京電力から「料金不払いにつき送電中止」との知らせが。そうなると操業ができなくなる。永野は安田銀行に乗り込んですごんだ。
「俺はあなたのところから金を借り、同じ安田系の東京電力から電気を送ってもらっていりる。金も返せないし電気料金も払えないから夜逃げした。だか ら電気を止められても仕方ない。が、うちの連中が万一事を構えて安田善次郎さんはじめお宅の幹部に迷惑をかけるようなことがあってはすまないと思うので、 事前に注意するように言いにきた」
送電はついに止められることはなかった。この2年後、永野は銀行に借金を返済し、担保を抜くに至ったのである。
私 たちならこうする!
(株)リサイクルワン 代表取締役 木南陽介氏このエピソードで思い出したのは、ソフトバンクの孫社長が、総務省にADSL事業の認可を求めた時のエピソード。総務省は、光ファイバーの後押しをしてい て、孫社長のADSLには認可を与えようとしなかった。しかし、孫社長は加入の受付を始めて、200万人の申し込みを集めてしまった。それを持って、孫社 長は総務省の官僚に「あとは認可だけ。もし下りなければ、ここでガソリンをかぶる」と迫り、認可が下りたといいます。残念ながら私にはこれほどのことがで きるとは思えません。しかし、事業を運営していく中では、このような立ち回りが必要なことがあるのも確か。経営者には胆力が必要だと思っています。 |
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(株)カフェグルーブ 代表取締役 浜田寿人氏企業愛、社員愛が素晴らしく高い人ということが伝わってきますね。「エンターテインメント」と「IT」を基軸にネットメディアのプロデュースを行っている 当社では、まさに人材が命。そこで、あえて「一見無駄なコミュニケーション」を奨励しているんです。というのは、新卒で入社してきた社員は、学校でビジネ スの基本を教わっているわけではありません。だから、当社が学校代わりとして、みんなで新人に教えてあげなくてはならない。また、地方から上京して一人暮 らししている社員がいます。一人暮らしはさみしいですよね。だから、この会社の仲間が家族代わりにならなくてはならないんです。そのさみしさをどう喜びに 変えていけるか。それが社長にできる仕事ではないかと思っています。当社ではダイニング事業も行っていて、“COPON NORP”(コポンノープ)という完全メンバーシップ制のダイニングを本社ビルで経営しています。そこは、ランチタイムは社員食堂。最高の食材を使った料 理を食べてもらい、最高の仕事をしてもらいたいという願いと、一人暮らしでもきちんとした食事をしてほしいという気持ちを込めてやっていることです。 |
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(株)ワークスアプリケーションズ 代表取締役 CEO 牧野正幸氏当時は産業界全体がベンチャーだったと言えると思います。行政もベンチャースピリッツを発揮して企業を支援しないと国そのものが潰れてしまいかねない。そ んな古きよき時代であったことを感じさせるエピソードですね。 |