永野 重雄(1900年 – 1984年)
新日本製鐵を設立し初代会長に就任、日本の鉄鋼業を世界に冠たる基幹産業に導いた、戦後日本を代表する経済人の一人。また、日本商工会議所会頭となり、経済界の雄として経済発展の牽引役を果たした。25歳で貿易会社から倒産した富士製鋼に身をうつし、その鉄鋼人生をスタート。同社再建に没頭した後、製鉄大合同により富士製鋼は日本製鐵に合併され、戦後、常務に就任した。GHQの方針により日本製鐵が八幡、富士両製鐵に分割されると、富士製鐵の社長に就任。1970年、八幡製鐵の稲山嘉寛社長とともに、八幡、富士両製鐵の合併にこぎつけ、新日本製鐵を誕生させた。73年には名誉会長に退く。その間、日本鉄鋼連盟会長、同名誉会長に就任。また経団連・日経連各顧問、日本生産性本部副会長などの要職を歴任。道州制を提唱したり、第二パナマ運河構想を唱えるなど、影響力を発揮した。長きに渡り財界に君臨し「財界フェニックス」との異名をとった。
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エピソード 3:新日本製鐵発足 | 年表 |