エンターテインメント性のあるフードカルチャーをつくっていきたい / (株)SEED-TANK

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

(株)SEED-TANK 代表取締役社長 古里太志さん

(有)SMC 代表取締役 古里太志さん

1971年東京都生まれ。東京工芸大学工芸学部建築学科卒業後、グローバルダイニングに就職。在籍していた6年間、店長として数々の店舗の運営に携わる。
2000年8月、西麻布にダイニングレストラン「Furutoshi」、
2001年8月、麻布十番にレストランラウンジ「Pacific Currents」、
2005年11月、銀座のホテル内にレストラン「sky」をオープン。
店舗経営以外にも、飲食店のプロデュースやコンサルタントも手がけ、その活動は、病院や美容院など飲食店以外にまで広がっている。

●プライベートでよく行くお店
いろんな店に行きたいので、ここ、というところはないです。
店ではないですが、最近行ったところで、水上温泉の仙寿庵という温泉旅館はすごくよかったです。とくに若いスタッフたちのサービスには感動しました。

●これから店舗を開業する人たちへのメッセージ
精神力を鍛えよ! 僕のスタッフにもいつも言うことですが、精神力が強くないと、何をしても乗り越えられないし持続できない。
そのためには、今の自分がすべてじゃない、上には上がいるという危機感を常に持つこと。

独立したのは28歳のとき。
最初につくった店は、75坪90席のダイニングレストラン。
開業資金は9,000万円、借り入れ金額4,000万円。

個人が最初にスタートさせる店としては、何もかもスケールが大きい。

しかし、古里さんはあえてチャレンジした。
「大きい店のほうが自分は楽しめるはず」という理由で。

開店後、店は人気繁盛店となり、1年後には早くも2店舗目を開業させた。
そして4年後には、銀座にまったく新しい形態のレストランをオープンさせる。
飲食業界の風雲児は今、革命家になろうとしている。
 

会社初の大卒社員。入社10カ月後、最短最年少で店長に

 「建築家を目指していた僕が就職先に選んだのは、ゼストやモンスーンカフェといった
カフェレストランを多数経営している、グローバルダイニングという会社。

大学の建築学科を卒業したのになぜこの世界に? よく聞かれる質問に、僕はいつもこう答えています。
建築の世界ではトップになれないけど、接客の世界では トップになれると思えたから……と。

学生時代にアルバイトしていたのは、グローバルダイニングが経営するレストラン。
接客するのが楽しいし、お客さんに喜んでもらえることに喜びを感じる自分がいました。
自分には接客の才能がある、という確信も持てた。

この時に僕は、20代で独立し自分の店をつくる、という目標を持ったのです。

グローバルダイニン グは、年齢も雇用形態も関係ない、徹底した実力主義の会社。
この会社で実績と経験を重ねたら、目標は達成できる。
バイトをしていた大学生の時に、自分の進むべき道、やるべきことが明確に見えました。

グローバルダイニングだったからこそ、こんな目標を描くことができたと思っています。
でも、就職するときは、 親からずいぶんと反対されましたけどね(笑)。

僕が六本木にある店舗の店長になったのは、入社して10カ月目。
その時僕は23歳。
これは、この会社の最短最年少の記録でした。
以来、6店舗の店長を経験し、新規店の立ち上げや、不調店の立て直しにも関わりました。」
 

眠れないほど悩んで決断した75坪90席の1店舗目

「20代で独立することが目標でしたから、僕には時間がない。
そこで僕は、店舗運営に必要なノウハウを身につける、人脈を形成する、人を動かすノウハウとリーダーシップを身につける、お金を貯めるという4つの課題を自分に与えました。

資金がある程度貯まり、さらに後輩からの後押しもあって5年後に独立。
28歳だった僕が最初につくったのは、店舗面積75坪、席数90席、家賃180万円の店。

個人が最初に持つ店としては規模が大きすぎるというのはわかっていました。
それに、さすがの僕も、最初からこんな規模の店を持つつもりはありませんでしたから、
20坪か30坪の物件を探していました。

でも、物件探しを始めて3日目に、今の「Furutoshi」の物件に出会い、見た瞬間、
ここで店を出したいと思ったのです。
それは理屈じゃなく、ここなら自分が求めているお客さんが集まってくるだろうという直感。

ここに出店することを決断してからも、不安で眠れなかったですよ。

ただこれまでの経験で、自分にはお客さんの気持ちがわかるという確信があるから、
何をすればいいのかは見えている。

それを信じて決断し、イタリアンをベースにした国際色豊かな料理とサービスの質の高い
エンターテインメント性のある大人のためのダイニングレストラン 「Furutoshi」をオープンさせました。

結果的に、この決断は大正解でした。最初からあえてステージを上げたことで、
プレッシャーは大きかったですが、その分、自分もそしてスタッフも、必死になって
常に進化し成長する店づくりに取り組むことができましたから。」
 

もっとエンターテインメント性のあるフードカルチャーをつくっていきたい

 「1年後、麻布十番にコンセプトの違う、和の食材を洋食のスタイルで表現した50坪70席の店を出店しました。

それから4年後の2005年11月には、3店舗目とな る120坪120席の店を、銀座に新しくできる
ブティックホテルの中にオープンさせます。

町場のレストランがホテルのメインダイニングになるという例はほ とんどないはず。
うまくいけば、新しい形態として注目されるでしょう。
だから失敗するわけにはいかない。

今、「食」のカルチャーは、アートや音楽、洋服やビューティーなどとクロスする時代に入っています。

エンターテインメントのとらえ方や枠が、これまでと違ってきている。
僕は、そんなエンターテインメントの中に、フードカルチャーをつくっていきたいと思っています。」
 

1号店のPacific Currentsは2001年10月にオープン。
港区麻布十番2-20-7 TEL/03-5765-2356
 
古里さんがつくる店は、スタイリッシュな中にも、
東洋的テイストがさりげなく漂っている
Pacific Currents、1号店のFurutoshi
(港区西麻布1-15-10 TEL/03-575-1275)
とともに、外国人客の比率が高い
 
「支払った額以上に満足したとき、
お客さんはリピートしてくれる。
感動や感激を与える店づくりをして、
満足度で勝負していきたい」

 

Q:成功している理由は何だと思っていますか?

A: 繁盛店になる要因は、料理がおいしいこと、いつ行っても同じサービスが受けられること、
この2点だと僕は思っています。
簡単なことのようだけどこれがなか なかできない。
うちだって、最初から完璧なものを提供できていたわけじゃない。
お客さんの意見を取り入れ、いち早く修正し変化させていく。
この繰り返しを して、スタッフも店も常に成長し続けていたからお客さんはついてきてくれていると思います。
それともうひとつは、サービス。
どんな店にも、1人くらいはいいサービスをするスタッフはいる。
でも、1人だけいてもだめ。いつ行ってもどのスタッフでも同じサービスが受けられる店でなければ、
お客さんは離れてしま う。
おしゃれでおいしくてサービスがめちゃくちゃいい……
どれかに特化するのではなく、そのトータルのバランスを常に意識した店づくりをしていることが、
今につながっているのだと思います。
 

Q:これまでいちばん大変だったときは?

A:2店舗を出した後の、独立して3年目のころです。
店舗が増えればお客さんも、そして店のパワーも分散してしまうことは否めない。
しかも、この頃はまだカジュアルダイニングのブームで、競合店もたくさん誕生していた。
でも時代は変化する。時代の変化とともに進化していかなきゃ、という危機感を、
僕もスタッフも 全員が感じていたときでもありました。
じゃあどうしようか? スタッフといっしょに考えましたよ。
そこで僕らがしたことは、サービスや料理のクオリティを 上げて、
カジュアルダイニングからディナーレストランへとスタイルを変えたこと。
この時期は店舗展開を考えずに、スタッフのスキルを含め、店全体のクオリティを上げることに集中しました。
それによって、客単価6,000円の店から8,000円の店へと進化でき、
新たなお客さんを獲得することができたのです。
も しこの時、ブームに乗って店舗展開していたら、うちはつぶれていたかもしれません。
 

Q:オーナーとして、心がけていることは?

A: 店を持ち経営者になり、僕の世界は確実に広がりました。
東京の旬な人たちに出会うチャンスも増え、エネルギーやハッピーをたくさん吸収しています。
でも、 じゃあ、うちのスタッフはハッピーかな?
僕だけがいい思いをするのではなく、スタッフみんなが楽しく仕事をし、みんなが潤いハッピーになってほしい。
そ のためにはどうしたらいいのか?
いつでも僕はこのことしか考えていません。
 

1号店の開業データ
開業資金 9,000万円
物件取得費 2,500万円
内装工事費他 6,000万円

店舗データ
Furutoshi@西麻布
Pacific Currents@麻布十番
sky@銀座
 

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