新鮮な魚と酒を主体にした和食店 / 三ニ六(さぶろく)

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

有限会社ディナーラッシュズ 代表取締役 木下三郎さん
食品関連会社を経営する一家に育った木下三郎さんにとって、飲食業はとても身近な存在。

 

「いつかは外食産業で独立したい」という夢が「35歳までに独立する」という具体的な目標となり、最低資本金規制特例制度を知って 1円で法人を設立、和食店を開業するにいたった。

【夢が生まれた瞬間】

実家が食品関連会社でアルバイトも飲食店。
飲食業独立は自然の流れだった。

実家が学校給食やお弁当の調理・配送、企業の社員食堂の運営などを行う会社を経営している木下さんにとって、
飲食業はとても身近な存在。
学生時代から割烹料理店でアルバイトをしていたし、高校卒業後も板前として3年ほど修行を積んでいた。

「その後、実家の事業を拡大するというので、父の会社に入ったんです。
企業の食堂で調理をしたり、配膳車両のコントロールをしたり、スタッフの指導をしたり。
いろいろな業務を経験しました。
親の会社だからといって、特別扱いされたことなんてありませんでしたよ(笑)」

そんな環境にいた木下さんにとって、飲食業を一生の仕事と考えるようになったのはとても自然な流れ。
「父の会社を継ぐのではなく、自分も独立しよう」と考え た木下さんが目指したのは、外食産業での独立だった。
理由は、父親の事業内容にはない分野だったから。
そして、期限を自分の心の中で35歳に設定した。

【起業への第一歩】

2003年、31歳の時に木下さんは父と兄に頭を下げてその決意を打ち明け、父の会社を退社した。
しかし、和食店で3年程度の経験では通用しないことはわかっていた。
そこで、外食産業で一から経験を積むことに。

「外食産業で成功をおさめチェーン展開している、
『グローバルダイニング』、『際コーポレーション』、『ちゃんと』の 3社で働くことにしました。
グローバルダイニングでは接客を、際コーポレーションでは経営を、ちゃんとでは盛り付けの感性を学び、
大いに参考になりました」

なかでも、木下さんの印象に残っているのが際コーポレーションの中島社長の言葉。

「私が『1店目を始めるとき、何を中心に見据えて店を作ったのですか?』と聞くと、
社長からすぐに返ってきたのは『お客様だ!』という答え。
開眼しましたね。この言葉は、今でも常に心に留めています」

木下さんが最低資本金規制特例制度のことを知ったのは、知人の税理士を通じて。
35歳を目前に資金繰りのめどもたち、個人事業主で店を始めようと思っていたが、
この制度を利用して法人を設立することにした。
資本金は最低額の1円だ。

「法人にすることで、自分の中に『すぐには辞められない』という覚悟ができましたね。」

こ うして、2003年7月、有限会社ディナーラッシュを設立。
同年12月に新鮮な魚と酒を主体にした和食店「三ニ六」をオープンした。
木下さんが出店場所に 選んだのは、自分の生まれ育った埼玉県所沢市。
駅前圏内にある人とおりの多いにぎやかな一角だ。
この周辺にはなかった落ち着いた店づくりを心掛けたので、客 層は30~50代が中心。
客単価4,500円程度と、この地域では高価格帯だ。 

【その後、夢は育ってる?】

将来は海外への出店と木下さんの夢は広がる。

「自分が雇われていた頃は気楽でしたよ。
でも、今は自分の店だし、スタッフの生活も担っている。
だから、自分に厳しくなりました。
『自分がスタッフだったら、 どんな経営者についていきたいだろう?』って考えると、気が抜けません。
自分がきちっとやれば、スタッフもついてきてくれると思っているので、
まだ自分が 休みをとろうという気にはなりません。
開店以来、無休で1日約14時間近く働いていますけれど、不思議と苦痛じゃないですよ」

「三ニ六」の月商は当初の事業計画を上回り、原価や人件費もシビアに読んだおかげで経営は良好だという。
そんな木下さんに将来の夢を聞いた。

「いつかは海外進出したいです。
広い視野で物事を見れば、もっといろんなものが見えてくると思うんですよね。
今、メジャーリーグでも日本人選手が活躍しているでしょ。
料理の世界でも、日本人が世界でどれだけ通用するのか、チャレンジしてみたいですね!」

 

【事業概要】
有限会社ディナーラッシュ
所在地 :  東京都東村山市
設立 :  2003年12月
業務内容 :  和食店経営

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