日本の住宅業界の常識を覆す / ユニバーサルホーム

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

仕事に矛盾を感じMBA 留学。FCの黎明期を肌で感じる

016約6年間務めた製薬会社を、トップクラスの営業成績をおさめながらも辞めたのは、仕事で感じ始めた矛盾が原因であった。

「たとえば、医師に『今月売上どう?』と聞かれたとします。『今月はちょっと……』と答えると、『そうなの。じゃあ、明日から2倍注射するよ (笑) 』 『ありがとうございます』 とお礼を言いながらも、私は釈然としない。薬は人の命に関わるものなのに、これは変でしょう」

そもそも、働くなら人の役に立ちたい、薬なら人の健康に役立つからという理由で製薬会社を選んだ加藤である。”体制”にもとづいた営業で成績が上がるほど、自分の中に違和感が膨らんできた。

そんな時に知ったのが、MBA の存在である。

「売ることに自信はあるけど、マーケティングや経営についての知識は不足している。このまま矛盾を感じているよりは、自分に再投資してみよう。一生に一度くらいキチンと勉強してみようと」

74年春、加藤は日本に妻子を残し、カリフォルニア大学経営大学院に入学した。その授業の厳しさは触れるまでもないが、留学時代を振り返って加藤はこう語る。

「活 気がありましたね。大学院でも成績のいい人は大企業を蹴り、ベンチャーを目指していた。独立したい、ビジネスで成功したい。そんなアメリカの学生たちが熱 く語る夢を聞きながら、当時の私は、『そんなものなのかな』くらいで (笑) 。経営者になろうという発想はなかったんですよ」

もうひとつ、留学中の加藤にとって印象深い経験となったのは、黎明期にあった「フランチャイズ」を身近に見たことだった。セブンーイレブンもマクドナルドも、グングン伸びていた。10年遅れで、この波が日本にも来るのでは、と思ったという。

マイホーム建築の体験が社内ベンチャーのヒントに

「日 本の産業の基盤は製造業にある。売る現場は製薬会社の営業で経験したから、今度はモノづくりの現場に関わりたい」との理由で、帰国後に就職したのは住宅建 材メーカーのトーヨーサッシ(現・トステム)。ここで、加藤はあるプライベートな出来事をきっかけに社内ベンチャーを起こすことになる。

「38 歳の時に父の家を建て替え、二世帯住宅を建てる計画が持ち上がりました。実は、趣味と言えるのかな、私は住宅を見て歩くのが好きで、週末になると売り出し のチラシを片手に、マンションや戸建ての物件をよく見に行っていたんです。だから、住宅を見る目は肥えている。建材メーカーの社員だから、ズブの素人では ないし、家を建てるといってもわりと軽く考えていたのです」

ところが、いざユーザーとして家づくりに向き合ってみると、びっくりするほど高価格、加えて価格表示があまりに不透明だったことに、加藤は納得できなかった。アメリカ留学時に、ホームステイで低価格で良質な住環境を経験していたこともあり、よけいにその思いが強かった。

「とにかく日本の住宅はあまりに高すぎます。古い慣行や枠組みを打破すれば解決策は生まれる。システムを変え、ムダを省けば、必ず低価格で良質な住宅が提供できる。それには工務店のFC化しかない。こう確信した時、モヤモヤが一気に吹っ切れました」

地 場の工務店のほとんどは中小企業で、営業力や情報収集力、資材の購買力に悩みを抱えているケースが少なくない。そんな個々の工務店をネットワークする。 FC化でスケールメリットとシステム化を実現し、工務店にとってはプラスになる経営、ユーザーには良質で低価格の住宅を提供する-それが、加藤の発想だっ た。

この新事業提案は社内のトップに承認され、84年、加藤は事業化のために発足した「アイフルホームテクノロジー」の取締役に就任した。

突然の社長解任劇、同じ業種で再び勝負をかける

アイフルホーム発足2年後、加藤は「社長」になった。

「厳 然と生きている業界の常識を覆えそうとしてるわけですから、最初は、工務店さんとの間に誤解が生じたり、対立したりということも決して少なくありませんで した。それでも 1年経つうちには、工務店の将来に危機感を感じていた30代、40代の経営者たちが徐々に賛同してくれるようになりました」

ま た、低価格で高品質な住宅は、ユーザーにも着実に受け入れられていった。こうして、業界史を塗り替えた「工務店のFC化」は、ゆっくりした離陸から急上昇 へと弧を描き始めたのである。創業10年の節目を目前にした95年には、売上高130億円の堂々たる企業に成長していた。

しかし同年4月、予期せぬ事態が加藤を襲う。親会社による突然の社長解任。が、もっと予期しなかったのは、元部下たちの行動であった。

「私が社長を辞任した直後から、社員が次々と辞めているという話は聞いていました。『一緒にやります』と言ってくれる人、『少ないけどカンパします』と送金してくれる人。人の情けがつくづく身にしみました」

結局、26人もの人々が安住の地を捨て加藤についてきた。

「正直、これは大変だぞと思いました。と同時に、責任の重さをかみしめながらも、これは絶対にいいビジネスができる、という確信がじわじわと沸き上がってきました」

こ うして、解任劇から約1ヶ月という猛スピードで「ユニバーサルホーム」が誕生する。良い商品をきちんとしたシステムで提供し続ければ、業績は必ずついてく る。この加藤の言葉どおり、ユニバーサルホームは初年度から黒字を計上、急成長を遂げ、99年9月にはジャスダックに株式公開も果たした。

「ア メリカでは、会社を追われた創業者が同じ業界で再びビジネスを起こす事例がかなりあります。ノウハウがあり、失敗も経験しているから、前よりいいビジネ ス、『一歩上をいくクオリティ』の追求がができるのです。これからは、そんな私の経験やノウハウを若い人に伝えていきたいですね」

【加藤 充氏 プロフィール】

神奈川県に生まれる。慶応大学法学部卒業後、外資系製薬会社に入社、営業を経験する。
しかし、薬営業のあり方に疑問を抱き75年に退社、MBA 取得のため自費で渡米。
帰国後、トーヨーサッシ(現・トステム)に入社。
83年、自身のマイホーム建設をきっかけに住宅産業の実像に触れ、工務店のFC化による省コスト住宅事業を立案する。
翌年、同社の子会社アイフルホームテクノロジーの設立に参画、86年に社長就任。
95年、親会社の方針で社長を解任。 同年、26人の部下と共にユニバーサルホーム設立。
初年度から黒字を計上し、99年、ジャスダックに株式上場。
2003年1月には、上棟棟数・累計2万棟を達成 した。

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