地雷除去活動に情熱を傾ける / ジオ・サーチ

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

米国駐在時代に新規事業を提案、リーダーとして事業化に着手

021海運会社を起こした祖父の影響で、幼少より海や外国の文化に親しんで きた冨田が就職先に選んだのは「三井海洋開発」。海に縁があり、海外で仕事ができる、というのがその理由だった。石油開発のプラントエンジニアリング会社 である同社で、冨田は世界16ヶ国の掘削現場を転戦する日々を送っていた。

アメリカに赴任したのは28歳の時、1979年。第2次オイルショックの年でもある。

「そ んな時期だから、駐在員になったものの仕事がない。好きで入った会社ですからね、何とか少しでも手助けしたい、新しい商売のネタを探したいと思い、1年が かりで新規事業構築のためのリサーチをしました。構造不況のアメリカの中でどういう企業が生き残ってきたのか、新聞や雑誌の記事から面白そうなものをピッ クアップして、その資料を取り寄せて、中身と可能性を検討する。その中で『これは面白いぞ』と思ったのが、MIR (メンテナンス・インスペクション・リペア)という技術。構造物や設備を破壊することなく、外側から電波を使って欠陥部分を探査するというテクノロジーで す」

日本で事業化したいと考えた冨田は、この技術を開発した研究所にさっそくアプローチ。幸いなことに、快諾を得られた。提案した新規事業 計画は会社にも了承され、プロジェクトチームをつくって社内ベンチャーとして事業化することになった。リーダーは当然、言い出しっぺの冨田である。

2 年後には東京電力の協力を得て、日本で初めての「導水路トンネル診断システム」を実用化。水力発電所の導水路トンネルの空洞を非破壊検査で見つけ、亀裂な どによる崩壊を未然に防ぐものである。東京電力や官公庁からの発注も受け、新規事業がようやく独り立ちし始めたその矢先……思いがけない出来事が起きた。

会社の解散による起業。そして尊敬できる経営者との出会い

「三 井海洋開発が業績不振で解散することが決定したのです。その話を聞いた時には、足元に激震が走ったようなもので、真剣に悩みましたね。トンネル調査は継続 中でしたし、顧客に対しては契約履行の責任があるから、『会社がなくなりましたから』と放り出すわけにもいかない。だからといって、私に資金や経営手腕が あるわけでもない。気持ちは揺れ動きましたが、最終的には事業を引き継ぐことを決断しました」

顧客への責任を果たすことが何より大切。それが自分の選ぶべき道だと、冨田は結論を出した。しかし、資金はない。困っていた時、テニスの先輩が「俺の尊敬する人を紹介してやる」と、大学の大先輩である佐々木秀一氏(佐々木硝子会長)を紹介してくれた。

「佐々木さんは『本当に人の役に立つ仕事か、会社をつくったからには潰さない覚悟があるのか』の2点を確かめ、結果的に資金援助を快諾してくれたんです」

こ うして90年1月1日、「ジオ・サーチ」は三井海洋開発のメンバー4人を含む7人で出発した。翌年には、トンネル空洞探査の技術を応用した「路面下空洞探 査システム」の実用化に成功。この年の11月、即位の礼の3日前にパレードコースの青山とおりを試運転し、空洞箇所を発見したことで、ジオ・サーチは、その 存在を注目されるようになった。

会社は社会に貢献するもの。事業だけでなく NGO活動も

事業は順調に拡大していく一方、組織づくりの面ではつらい局面を迎えたこともある。

「94年頃、創業メンバーが考え方の違いを理由に次々に離れていったんです。一緒に頑張ってきた仲間だったのに、いつの間にか微妙な軋みが生じ、気づいた時にはもう溝を埋めようがなかった。一体、俺は何のために起業したんだろう、と毎日思い悩みました」

「ニュービジネス大賞優秀賞」を受賞したのは、そんな時期だ。

「受賞理由が『社会的な有用性』にあると知った時、もう一度頑張って立派な企業に成長しなければと痛切に思ったのです」

この受賞が縁で、京セラの稲盛会長の知己を得たのも冨田にとって大きな転機となった。

「稲 盛会長が主宰する盛和塾で経営のあり方を勉強し、何のために会社をやっていくのかを考えることが、会社にとってもっとも重要であることに気づいたのです。会社 の存在目的がはっきりしていなければ、そこに集まる社員のベクトルは自然にずれていってしまう。企業という人間の集団は家庭と同じで、価値基準が共有で き、考え方が合っているのでなければ、必ず離婚という結果に至ってしまうんです。企業は社会に役立つために存在し、社員を幸せにするためにあるんです」

そしてもうひとつ重要なのは、人として、企業として“正しい”かどうかを価値判断の基準にすること-冨田はそう語る。現在、ボランティア活 動として、海外のエキスパートと現地農民を起用した地雷除去チーム(約80名)による除去活動に注力、そして本業の事業拡大に向けての活動と、2足のワラ ジで奮闘中だ。

「ターニングポイントになったのは、94年に開かれた地雷除去専門家会議に出席したことでした。そこで、生まれて初めて オモチャ地雷というものを見せられて。これは、旧ソ連がアフガンの子供に拾わせて負傷させることを狙ったもので、子供の目を引くような、鮮やかな色や形を しているんです。これはヒドイと強い憤りを感じて、何とかしなくてはと思ったんです」

そんな冨田の夢は、できるだけ早く次の世代に事業を任せ、この NGO活動に打ち込み、自分の人生を楽しむことだという。

【冨田 洋氏 プロフィール】

兵庫県に生まれる。慶応大学理工学部卒業後、三井海洋開発に入社。
米国駐在員時代に、電波による構造物の非破壊検査を新規事業として提案、事業化に力 を注ぐ。
が、会社が解散することになり、89年、ジオ・サーチを設立。
90年、世界初の「路面下探査システム」を開発、次いで翌年には「舗装構造調査シス テム」を開発。
93年にニュービジネス大賞優秀賞を受賞した。
また、94年からは自社技術を応用した新型対人地雷探知装置「マイン・アイ」を独自に考案。
98年、現地人による地雷除去活動をトータルにサポートする NGO「人道目的の地雷除去支援の会」を設立、事務局長を務める。

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