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「自分もいつかは成功してやる」と決意して
ハンドボールとバンド活動に明け暮れた学生時代。将来の進路を真剣に考えなければならない大学4年生になっても、金丸は、人生の焦点が定まらずにいた。
「仕方ないからサラリーマンになろうかな、と。一般的に、文系は金融や商社、理系はメーカーに就職するのが普通じゃないですか。だから、理系だった自分もメー カーに、と思っていたんだけど、就職情報誌に載っていた業界別の年収比較というのを見たら、メーカーの給料の安いこと!それと、在学中にアメリカに旅行し た際、ビジネスで成功している日本人に出会った経験があって、その人の家に遊びに行ったら、これがすごい大豪邸。そういうのを見ると、火がついちゃうんで すよ(笑)。いつか自分も成功してやるという思いはありましたね」
もとより反骨精神が旺盛な金丸には、いい就職先=大企業という考えはまったくなかった。結局、選んだのは、名の知れた大企業ではなく、税理士や公認会計士向けの情報サービスを提供するTKCという企業だった。
「今後、コンピュータが注目されるだろうことは私なりにも認識していました。でも、コンピュータのメーカーに入ったら、給料は安い(笑)。じゃあ、コンピュータを使ってサービスを提供する会社なら大きく伸びる可能性があるんじゃないか、そういう観点でした」
ここでの仕事は、主にコンピュータ端末の開発だったが、80年代に入ってすぐの頃、世にインテルのCPUとマイクロソフトのOSが搭載された16ビットのパソコンが登場し、金丸は衝撃を受ける。
「も のすごい刺激でした。将来はパソコンで何でもできるようになり、パソコン同士をつなぐオープンシステムの時代になる。16ビットパソコンをこの手でつくり たい、と強く思うようになったんです。でもそれは、今の会社では難しい。やはりベンチャー企業に行かないとダメだろうと考えて転職したんです」
「セブン-イレブンの伝説」を生んだ第 2の職場
金丸が、16ビットパソコン開発のプロジェクトリーダーとして飛び込んだ先は、ロジック・システムズ・インターナショナル。後に金丸が、一躍、業界で名を馳せることになる「セブン-イレブンの伝説」は、ここで生まれた。
「流 通業界で一番進んだシステムを持つ会社に食い込めば、大きなビジネスになるに違いないと、セブン-イレブンにはかねてから注目していたんです。それで近く の店舗に足繁く通って、店員と仲良くなって問題点をこっそり取材し、本部のシステム担当部長に、新しいPOS端末と業務改善の提案を持ち込んだんです」
す るとそのうち、向こうから途方もない話が舞い込んできた。全国のセブン-イレブン 3,000店舗で使用するコンピュータを開発してくれという依頼だ。約20年前の当時、セブン-イレブンの店舗には、POSは存在したが、まだコンピュー タが導入されていなかった。そこで、POSデータの分析や商品の売れ行き状況などを瞬時にグラフ化できる専用端末をつくることになったのである。
しかし、求められた仕様がひどく厳しかった。16ビットのパソコン1台が100万円ほどしていた時代に、「ディスプレイとアプリケーションソフト込みで1台18万円以内」という条件-。
「18 万円の壁はとてつもなく大きかった。部下3人と2週間でプロトタイプをつくり上げたものの、いくらコスト計算しても予算オーバー。セブン-イレブンの担当 者に掛け合っても聞く耳持たず。電話で話している時、怒りがこみ上げてきて、受話器を投げつけたこともありました。本当に、お互い真剣勝負だったんです」
結局、部品メーカーや組立メーカーと何度も交渉を繰り返し、何とか仕様どおりに収めることができた。
「プロジェクトが成功した時、それはそれは嬉しかった。セブン-イレブンの担当者とも喜びを分かち合って……」
これによって、業界から注目を集めることになったのはもちろん、結果、金丸に将来の独立を強く意識させることになったのである。
満を持しての起業。“成功”を提供するITコンサルティング会社を
「最 先端のシステムを持つセブン-イレブンでさえ、外部に相談相手を求めている。システムコンサルティングを必要としている企業は山のようにあるはず。必ずビ ジネスになると実感したんです。それと、手がけるプロジェクトが常にコストとの戦いだったから、苦労のわりに報われなかった。だから、プロジェクトが終わ るたびに、部下が退社してしまう。成功体験を提供することはできたかもしれないけど、幸せにすることはできなかった。だから、若い人が責任を持ち、自分の 望んだことをできる会社、そしてそれに見合う報酬を手にできる会社をつくりたいと思ったんです」
89年11月、金丸は満を持して「フューチャーシステムコンサルティング」を旗揚げした。
「こ れからの経営はITを抜きにしては成立しない。でも、従来の経営コンサルティングは、経営戦略とITを切り離して考えていたんです。これでは顧客の本当の ニーズに対応できない。私たちは、これまでに培ったITの技術を軸にすることで、企業経営の本質に迫っていけるんです」
こうして同社は、日本石油、キリンビール、すかいらーく、エーザイなどといった大企業を相手に、高品質で未来価値のあるシステムを次々と構築、最適なソリューションを提供してきた。
フューチャーシステムコンサルティング自体、創業の精神である「変革」を重んじ、設立以来、増収増益を続けるという好調ぶりだ。
「提 供したいのは、ソフトやハードではなく“変革”そして“成功”なんです。我々の価値を認めていただけるお客さまと共に、その喜びを分かち合いたい。ただお 金になればいいという仕事は、絶対にしたくありませんね。目指すべきは、コンサルティングの分野におけるナンバー1です」
【金丸 恭文氏 プロフィール】
大阪府に生まれる。神戸大学工学部卒業後、公認会計士・税理士向けの情報サービスを手がける TKCに入社。
82年、16ビットパソコンの開発プロジェクトリーダーとして、ロジック・システムズ・インターナショナルに転職。
85年にセブン-イレブ ンの店舗用コンピュータを開発、3,000店に納入し、業界の注目を集める。
その後、 NTTPCコミュニケーションズの取締役などを経て、89年に「フューチャーシステムコンサルティング」を設立。最先端のITを駆使し、高品質かつ柔軟 性・拡張性に富んだシステムを構築、顧客に最適なソリューションを提供する。
99年 6月に株式店頭公開、次いで2000年6月には、設立以来、13期連続増収増益という結果をもって東証一部に上場した。