“お母ちゃん”の声で住宅業界を動かす! / 株式会社ミセスリビング

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

教師から主婦に、そして夫の一言から起業の道へ

京都市左京区の閑静な住宅街に、ちょっと珍しいオープンハウスがある。
パネルヒーターで温められた玄関、
段差なく連なるトイレ・バス・洗面所、
居間と会話が交わせるキッチン……。

「一般の工務店や建築士の男性なら、
『こうするのが当然』という業界の常識を優先するでしょう? 
私は『お母ちゃん代表』だから住む人の声を聞き、
満足を売ってみたかったのです」

と語るのは、(株)ミセスリビング代表取締役の宇津崎光代さん。

自宅を兼ねた検証住宅「お母ちゃんの家」には、育児や親の介護を通じて知り得たアイデアと体験が凝縮されている。

短大を卒業後、尊敬する父親と同じ教職の道に進んだが、子育てのために退職し、
夫が経営する工務店を手伝うことに。
男性中心の建築業界、現場の後片付けと事務処理くらいしか任せてもらえなかったが、
現場に足を運ぶたびに住宅への興味は高まり、頭に浮かんだ疑問を口にせずにはいられない。

「キッチンの間取りが使いにくいわ」
「このインテリアは子供には危険よ」
「もっと住まいに温かさが欲しいな」

そんな宇津崎さんに対して夫は、

「ド素人は黙っとれ!」

この一言が、彼女の闘志に火をつけた。

「素人と言われないためには、自分も建築の知識をしっかり身につけよう」
と考えた宇津崎さん。家事と育児をこなし、仕事も続けながら、
建築やインテリア関連のスクール3カ所に通い基本を学んだ。
あまりの忙しさに通学電車の中で何度も泣いたが、
幼い3人の子供たちとの交換日記の中に「ママ、頑張れ」の文字を見ると、後にはひけなかった。

しかし、年輩の職人たちに認めてもらうためには、机上の知識だけでは不十分。
ひとつでも多く現場経験をこなして実績をつく りたいと、積極的に現場に足を運び、
知人の会社でもボランティア同然で働いた。

海外の建築も参考にしようと、夫の支援を受けて視察に出かけた。
その数なん と24ヶ国。そして、日本とは異なる建築物の美しさとともに、
街並みと一体化するたたずまいの魅力を知ることができたのだ。

そうして自分が 実際に学んだことを、ひとつひとつ現場で試す日々。すると施主の妻たちを中心に、
宇津崎さんの提案を支持する顧客がじわじわと増えてきた。
とくに、キッチ ンや水まわり、リビングなどに、主婦としての経験を生かしたアイデアが採用されるケースが目立ってくると、ついにはあの夫までもが宇津崎さんを「先生」と 呼ぶようになったという。

会社設立後に夫が死去。周囲の支えに励まされた

017_b

こうして、彼女の「応援団長」を買って出た夫の協力を得て、86年に(株)ミセスリビングを設立。
主婦たちの悩みや要望を吸い上げたいと、住まいづくりに関する講演で全国をまわる。

「宅建の資格も取り、設計から施工まで自社で請け負えるようになりました。
やっと夫にお返しができると思ったのに……」

99年6月に突如夫が他界。
宇津崎さんは連帯保証で多額の借金を背負い、自宅、会社、別荘、外車など、形あるものすべてを失ってしまう。

どん底から救ってくれたのは、これまでの仕事や研修を通じて知り合った、友人、取引先や業界の著名人、そして同じ建築・インテリアの世界を歩み始めていた3 人の子どもたちだった。
知人の協力により、中京区に新事務所を構えて再出発。
翌年には、冒頭の「お母ちゃんの家」を完成させた。

「ただいま」と帰りたくなる家づくりが話題に!

ミセスリビングでは、リフォームや新築の相談を始める前に、どんな暮らしがしたいのかを自由に書き出していく「マイホーム夢シート」への記入を勧めている。
宇津崎さんたちが、間取りを決めたり、資材を選んだりする時の判断材料にするための小道具だ。

「リウマチで半身不随の母親に教えられ、優しい空間づくりに他人事としてでなく真剣に挑むことができました。
家というモノを売るのではなく、暮らしを売っていきたい。
心がゆったりする住まいを得て、お客さまが喜ばれる顔を見るのが、私の喜びですから」

宇津崎さんの思いが新聞や雑誌などで紹介されるたびに、全国の主婦から問い合わせが殺到。
個人住宅にとどまらず、有名ホテルの客室改装や商店の内装を手がけるようになり、年商1億円を超えた。

また、昨年 6月に著書『お母ちゃんの住まい誕生』を出版すると、商品開発のほか、建設コンサルティングの話が舞い込むなど、産業界からの注目も高まってきた。

「素人なりに、本当に必要な仕事だと見極めていたからこそ、苦労を乗り越えることができました。
また、自分がどん底に陥った時、金銭的なことではなく、真の意味で力になってくれる人、
『あとは上がるだけ』と励ましてくれた人脈が私の財産です」

宇津崎さんは、今年10月、かねてから目標としていた NPO法人「次世代の家と社会をつくる会」を設立。
温かみのある家づくり、街づくりから、安心して暮らせる社会や環境ができることを、広く提唱していきたいという。

「たったひとりのお母ちゃんの声が、ロシア、モンゴル、中国など世界規模で広まっていくなんて、
今までは考えられなかったこと。
これからは仕事とともに、この NPOの活動を活性化させたいんです!」

【宇津崎光代さん プロフィール】

兵庫県生まれ。
短期大学を卒業後、小学校の先生に。
育児のため学校を辞め、夫が経営する宇津崎建設株式会社に入社。
建築の基礎を学ぼうと、3つのイン テリア関連スクールに通い、海外視察にも出かける。
主婦の代弁者となるべく、86年、(株)ミセスリビングを設立。

住所   京都市中京区室町御池下ル 円福寺町342-1 VOICEビル1階
連絡先   075-252-6522
開業   1986年11月
業務内容   住まいの総合企画・設計・デザイン、建築・施工

起業、経営ノウハウが詰まったツールのすべてが、
ここにあります。

無料で始める