女性が働き続けるには、たくさんの壁がある。中でも難関は、夫の転勤。意欲と情熱にあふれ、コツコツと積み上げてきたキャリアと技術が、夫の転勤で 一瞬にしてフイになる。もちろん、夫がリタイアして家事に専念するケースもあるが、現実にはまだまだ少ない。そのほとんどは女性が職場を去り、家事や子育 て中心の生活に切り替わることになる。でも、やる気があって、能力のある女性がそれで満たされるだろうか。かといって、仕事を続けるという選択肢を選び、 別居を考えたとしても、社会的に「どうしてついて行かないの?」と不思議顔をされるのがオチ。大仰に言うと、わが志と家庭をいかに両立するかというのが、 日本の働く女性の積年の課題だったのだ。
そんな女性の悩みに答えを出した一人がネットオフィスというワークスタイルを考案した田澤由利さん。田澤さんも、 5回に及ぶ夫の転勤、そして 3回の出産を経験してきた。
「大 学時代から興味を持っていた念願のコンピュータ関連の仕事に就くことができ、充実した会社員生活を送っていたんです。一方でつきあっていた彼との結婚も正 念場を迎えていました。彼は生命保険会社に勤める典型的な転勤族。でも私も仕事は面白い。悩んで悩んだ結果、結婚を選びました。私と結婚してくれる人はそ ういないだろうって(笑)。でも現実はやはり厳しかったですねぇ」
結婚式を 2カ月後に控えた日、彼に仙台への転勤辞令が降りる。その 1年半後に 2回目の転勤辞令。予想はしていたものの、転勤の嵐は容赦なかった。
「当 時、第一子を身ごもっていたこともあって、これ以上会社に迷惑をかけられないと、後ろ髪を引かれる思いで退職。で、無職になって考えたんです。夫がどこに 転勤しようと、赤ちゃんを育てていようと、できる仕事はないかと。私が選んだ仕事はライターでした。好きなパソコンに関する記事を書いて、メールで原稿を 送ればどこに住んでいても仕事はできる。履歴書と企画書を書いては出版社に送りました。実績もないのにね(笑)」
一社から連絡があり、な んと連載が決まる。田澤さんは持てる力と知識を総動員して原稿を書きまくり、着実に実績を積み上げていった。そして、この間も夫の転勤は止まず、仙台を振 り出しに、大阪→岡山→名古屋を経て北海道へ。ちょうどその頃、SOHOや在宅ワークのブームが起こった。
「SOHO、在宅ワークの草分 けとしてマスコミに取り上げられ、その中で痛感したのは、『会社に通勤できないというだけで、埋もれている能力がいかに多いか』ということ。そこで考えた のが、ネット上にバーチャルなオフィスを創り、SOHOが協力し合うことで、埋もれた能力を生かすビジネスでした」
98年に(有)ワイズ スタッフを設立。書類選考、実技試験、面接を行い、全国から能力のあるSOHOワーカーを発掘、スタッフとして組織していった。現在、スタッフの数は海外 を含めておよそ90人。デザイナー、プログラマー、ライターなどのほか、元警察官や元スチュワーデスまで幅広い経歴の持ち主が集う。プロジェクトごとに適 任のチーフを任命しチームを結成。地方自治体や大手企業のホームページ制作、マーケティング、ソフト開発など多くのプロジェクトを手がけてきた。
「イ ンターネットの普及と共に、SOHOという新しいワークスタイルが広がります。しかし、営業から納品まですべての業務をこなせる人はわずか。企業で培い身 につけたスキルを生かすことのできる「ネットオフィス」は、SOHOにとっては新しいワークスタイルに、起業家にとっては新しいビジネススタイルになるは ずです。そして、その恩恵を受けるのは、女性に限りません。親の介護で地方に帰らざるを得ない人、不当なリストラに遭った人、定年でリタイアした人、身体 に障害のある人……。何らかの理由で会社に勤めることができず、能力を生かしきれない人がたくさんいます。こうした人たちに、もう一度、自らの能力を社会 で発揮し、見合う収入を得て欲しいのです。私が好きな言葉に、Every moment is a starting point とうのがあります。新しいことを始めるのに遅いということはありません。『すべての瞬間がスタートポイント』なのです」
【田澤 由利氏プロフィール】
奈良県生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。シャープ(株)入社。コンピュータ関連の技術、企画、販売促進業務に携 わった後、91年に夫の転勤で退職。フリーライターとなる。以来、 3人の娘の出産と子育て、 5度にわたる夫の転勤を経験しつつ、98年にSOHOのネットオフィスを実現するために(有)ワイズスタッフを設立。常時、ネット上で50件のプロジェク トを遂行させる。
経営者、大学講師、母親と三足のわらじをはいて、超多忙な毎日を送っている。