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土づくりから販路開拓まで。 自分で考えて自分で答えを出す楽しさを 追求しながら、「やりたい人がやれる農業」の スタイルを探しあてたい。 茨城育ちの富田さんが、縁もゆかりもない鹿児島の地で就農したのは2005年5月のこと。 拓殖学科で学んだ大学時代に、有機農法と出会い、青年海外協力隊員 としてアフリカで農業指導の実績を積んだ気鋭の研究者の横顔を持つ富田さんが、学者でも農業法人でもなく一人の農民として農業に関わることにしたのはなぜか。 選択の背後に息づく思いを聞いた。 - 目次 - 「自分の農業」を見つけ出すための10年農業を始めるなら、寒いところより暖かいところ。 そんな土地を求めて、名刺一枚を頼りに放浪の旅に出た富田さん。 縁あって鹿児島の一隅に居場所を得て、2005年6月から一人で農業を始めている。 「まだまだ収入というほどの額じゃない。これからですね」 バランス感覚を備えた自由人、とでもいうのだろうか。 「農業との関わりが始まったのは、海外協力隊に入りたくて拓殖学科を選んだ大学時代。自主研修といいますか、有機農法を実践している千葉の農家に押しかけて(笑)、野菜づくり全般を体験させてもらったんです」 この経験を、富田さんは大学卒業と同時に開花させる。 海外青年協力隊員としてアフリカ・マラウイ共和国へ飛び、野菜栽培指導を約2年。 「栽培指導とは別に、伝統農法の研究、加工食品の調査、農民組織の運営サポート…いろんな経験を積みました」 やがて大学院も修了。 「農業に関わる人生。方向性だけは定まっていましたが、どんなカタチがいいのか、正直わからなくて」 楽しさも可能性も、「多様性」の中に隠れているまず飛び込んだのが、米の裏作によるレタス栽培で、反収(10アールあたりの収入)100万円を稼ぎだす農業法人。 「広い田んぼに何十人もの“作業員”が入って、ひたすらレタスを収穫していました。 次に試したのは、2004年6月~12月にかけて(株)パソナが主催した農業インターンプロジェクトへの参加。結果的にはここでの体験が富田さんに就農を決意させることとなった。 「秋田県の大潟村でレタス栽培に取り組んだんですが、台風とは無縁のところなのにその年に限って台風が来てしまって…」 レタスが壊滅的な打撃を受け、卸業者への納入予定はすべてご破算。 「各地の産直センターや学園祭など、片端からアタリをつけて売りました。 この経験が、長年の研究と実践で膨らんだカオスをひとつの道筋の上に整列させた。 土づくりから始まり、丹精こめて育てた作物を自分で値段をつけて売りたい。 農業ほど自由で楽しい職業はない。だからこそ――
「耕作放棄地」。 「いやあ、ものすごい宝の山ですよ」 「都会の人が農業をやりたくても、何をどうしたらいいかわからないのが実情。 1年間は実験、のつもりでスタートしたという富田さん。 「とうもろこしで作るマラウイの主食“シマ”など、加工品の販売も考えています。まあ、見ててください!」 |
「自分の農業」を見つけ出す / 富田淳也さん
この記事はに専門家 によって監修されました。