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大阪プロレス(株) 社長兼エース
スペル・デルフィン
大阪といえば、やはりお好み焼き。彼女と二人で鉄板を囲んでもいいし、家族でワイワイやるのも楽しい。どんなシチュエーションにも合う「万能庶民料理」がお 好み焼きである。そんな大阪に「お好み焼きのようなプロレス」が旗揚げした。その名もズバリ、大阪プロレス。メジャー団体のプロレス会場を埋め尽くすのは 大半が若い人たちだが、大阪プロレスは違う。カップルもいれば、親子連れ、はたまたおじいちゃん、おばあちゃんの姿も見える。それがみんな総立ちで歓声を 挙げている。性差、年齢を問わずみんなが楽しめる。まさしく「お好み焼きのようなプロレス」なのである。
立ち上げたのは覆面レスラーにして、いまや大阪のスター、スペル・デルフィンさんである。とはいっても外国人レスラーではない。れっきとした日本人である。
「タ イガーマスクにあこがれて高校時代にレスリング部に入ったんです。以来、プロレスこそわが命という感じ。卒業後上京し、プロレス団体の入門テストを受けた んですが、ことごとく落ちました。なんせ、 身長170センチそこそこでは、どこも採ってくれません。それで、プロレスグッズの販売店で働きながらチャンスを待ちました。やがてビートたけしさんがプ ロレス団体を旗揚げするのを聞いて応募すると、これが合格。21歳の時に念願のデビューを果たしました。ところが、テレビ番組で何度か試合をしたんです が、いつのまにか団体は自然消滅。ホンマ、いい加減なオッサンですわ(笑)」
体力不足、そしてチャンスに恵まれなかったもののデル フィンさんはあきらめなかった。その後、大仁田厚氏が起こしたFMWに参加。本格派プロレスを夢みたが、リングの有刺鉄線を見て退散。地方発プロレス団体 の雄「みちのくプロレス」のオリジナルメンバーとして参加。この体験が後の大阪プロレス設立につながる。
「ここでプロレスの基本と、 地域に根ざした経営のあり方を学びました。生活も安定してきてこれでのんびりやっていけるなと思ったんですが、一方で自分自身がだんだんとサラリーマン的 になっていくのがわかった。はたしてこれが自分が目指していたプロレス人生といえるのかと、疑問がわいてきたんです。ならば自分自身でやるべきではないか と。そのうち大阪にプロレスを作れるのは自分しかいない!って一人で盛り上がってきて…」
東奔西走の末、2002年4月に大阪プロレ スを創設。毎週土日に、浪速区フェスティバルゲート内のアリーナで試合を開催している。所属レスラーは16人。K- 1ジャパンフェザー級王者の村浜武洋も登場する。本格派プロレスを志向しながらも、客席との掛け合いを得意とする「えべっさん」や、お菓子を配りながら入 場する「くいしんぼう仮面」など、大阪のノリは忘れない。
「うちの身上はエンターテインメントプロレスです。ちびっ子や女の子に来て もらいたいので、流血や器物破損は罰金。みんなが楽しめるために入場料も2980円に抑えています。夢は大阪プロレスを阪神タイガース、吉本興業に並ぶ大 阪名物にすること。そのためには、お好み焼きというよりは、もうちょっとおしゃれに『映画のようなプロレス』をめざしたいんですわ(笑)」
【スペル・デルフィン氏 プロフィール】
1967 年、大阪府生まれ。高校卒業後、上京しプロレス団体の入門テストを受けるが、体が小さくことごとく不合格に。その後、FMW、ユニバーサルプロレス、みち のくプレスなどを経て2002年4月に大阪プロレスを設立。社長兼エースとして活躍中。選手としてのデビューはオランダ・アムステルダム。得意技はデフ フィンクラッチ、大阪臨海アッパー、大阪御堂筋スタナーなど。リングネームの由来は、スーパー・ドルフィンのスペイン語。