お互いを分かり合いながら仕事を進めたいと思っても、そううまくはいかないのが実情でしょう。科学的な研究からは、むしろ分かり合えないことの方が自然と考えられています。それを踏まえれば、一味違ったチーム作りが可能になります。
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意思決定論から
長い間チームで仕事をしていても、なかなか分かり合えないという経験は皆さんお持ちのことでしょう。本人は、筋道を立て説明しているつもりでいても、相手にはそう思ってもらえません。不思議に思えるかもしれませんが、客観的に観察してみると、分かり合えないことはごく普通に起こっています。むしろ「それには本質的な原因がある」と考えてみた方が良いのではないでしょうか。
人間がものごとをどの様に判断しているかは、意思決定論と呼ばれる分野で扱われてきました。当初はギャンブルや保険の基礎理論であり、合理的判断(最大期待値)を見つけるというアプローチが主流でした(規範的モデルと呼ばれています)。しかし研究が進むにつれて、人間は必ずしもそのような合理的判断に従わないことが明らかになってきました(記述的モデル) 。
不思議に思えるかもしれませんが、それはむしろ当然です。人間が暮らす複雑な環境においては、時間をかけて最適解を探すことができることは殆どありません。通常は、大雑把でも良いから迅速な判断をせざるを得ないのです。このような判断方法はヒューリスティクス (Heuristic) と呼ばれ、普段の人間の意思決定に無意識的に使われています。人間はその人独自のヒューリスティクスを使い、あたかも合理的な判断であるかのように思い込んでいます。従って、ヒューリスティクスが違う人の判断や、真に合理的な判断に対して、「それは違う」と感じてしまうのです。
アジアの免疫問題
ヒューリスティクスは個人による差もありますが、人間を通して共通な傾向(これは偏り、バイアスなどと呼ばれます)があることが知られています。一つの例として、アジアの免疫問題を紹介します。以下を考えてみてください。
質問[1] 「あなたが対策責任者であり以下の二つの方法しかない場合、どちらを選択しますか?」
(a) 600人中200人が助かる方法
(b) 確率1/3で全員が助かり、確率2/3で誰も助からない方法
自分なりの答えが出たら、次の課題について考えてみてください。
質問[2] 「あなたが対策責任者であり以下の二つの方法しかない場合、どちらを選択しますか?」
(c) 600人中400人が死ぬ方法
(d) 確率1/3で誰も死なず、確率2/3で全員が死ぬ方法
二つの課題は、論理的に記述された内容としては同じですが、その表現が異なっています。Tversky & Kahneman(1981)は、前者では(a)、後者では(d)が選択されやすいことを見出しました。(a)-(d)という組み合わせは、論理的には矛盾しているにもかかわらず、そのように選択されやすいのです。「助かる方法」という利益焦点化表現では、リスク回避傾向となり確実な(a)が選択されやすく、「死ぬ方法」という損害焦点化表現では、リスク愛好傾向となり確率的な(d)の選択が増える、というのが彼らの解釈です。
論理でない何か
アジアの免疫問題が興味深いのは、その一般的な偏り傾向だけではありません。それを判断する人の心が見え隠れします。(a)-(d)と回答した方は、心の中でバイアスの存在を感じたでしょうか?
私の友人の一人は、質問[1] の回答が(a)でした。その方が質問[2]を答えているとき「頭では(a)と(c)が同じであることは分かる。でも(d)を選びたくなる。」と表現しました。この言葉は、人が物事を判断するときのプロセスを見事に言い当てています。論理でない「何か」が存在します。そして、その「何か」が勝ることが多々あるのです。このような自分の心の働きをみつめられることは、その人、その人のチームにとって決定的に重要です。
以下のチームメンバーを想定してみましょう。
1 ただただ自分の判断が論理的であると信じ、それを主張する。
2 自分の判断を主張するが、心の中に論理では割り切れない何かを感じている。
3 これに加えて、他者も自分と同じような心の働きがあるであろうと考えている。
4 これに加えて、人間の判断の偏りの傾向を熟知している。
チームが下す判断は、このようなメンバーの資質に大きく依存することは明白です。4。のメンバーであれば、例えば、こんなことを発言することでしょう。
『このテーマはpositiveな表現で書かれています。損害が明確に意識できる様なnegativeな表現に直して、もう一度考えてみませんか?』
ここで紹介したアジアの免疫問題は、枠組の効果(framing effects)と呼ばれるものですが、その他、確実さに対する偏好、損の回避、あいまいさの回避、現状への固執、基準率の無視など多くのバイアスが知られています。
この様なバイアスのかかり方は人によって異なりますし、個人特有の判断傾向もあります。「どうして?」という状況になるのはごく自然なことなのです。しかし、このような心の働きを熟知できたならば、判断のずれがあった場合でも、それを踏まえて、さらに話し合いを進展させることが可能になります。
次回は、「論理でない何か」についてもう一歩くわしく説明します。