第97回 ソフトイーサ株式会社 登 大遊

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

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第97回
ソフトイーサ株式会社 代表取締役会長 
登 大遊 Daiyu Nobori

1984年、兵庫県生まれ。小学校 2 年生の頃からプログラミングを行う。中高一貫の私立高槻高校から、筑波大学第三学群情報学類へAC入試で進学。現在は、筑波大学大学院システム情報工学研究科コンピュータサイエンス専攻博士前期課程に所属。2003 年12 月、「独立行政法人情報処理推進機構(IPA)未踏ソフトウエア創造事業未踏ユース部門」において開発したVPN ソフトウエア「SoftEther1.0」のベータ版を公開。2004年4月、大学発ベンチャー、ソフトイーサ株式会社を設立し、代表取締役に就任。同年、スーパークリエータ/天才プログラマー認定取得(IPA)。2005年12月、企業向けVPNソフト「PacketiX 2.0」をリリース。現在までに、約3500社が同ソフトを導入し、活用している。開発と戦略立案に専念するため、2006年からは代表取締役会長に。「ソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー 2006」(IPA, 2006 年)、「経済産業大臣表彰」(情報化月間・情報化促進貢献,、2007 年)など、受賞歴多数。

ライフスタイル

好きな食べ物

会社での鍋とか。
食生活はジャンクなものも多く、けっこういい加減です。ただ、数年前から会社の中でたまに鍋をしてるんです。ここ筑波は栄養価の高い食材が、海、山問わずたくさん取れます。近所のスーパーで材料を買ってきて、みんなでわいわい。お酒ですか、ほとんど飲みません。飲むと2日間くらい役に立たなくなります(苦笑)。

趣味

ゴルフです。
最近、ゴルフを始めてみました。仕事でお付き合いのある通信工事会社の方がゴルフ好きで、誘われたのをきっかけに。ほかのスポーツほど体力を使いませんし、初めてのラウンドもとても楽しかったですよ。これからも続けていこうと思っています。あとは、月に5、6冊、いろんなジャンルの本を読むことでしょうか。

行ってみたい場所

ヨハネスブルクです。
やはり外国ですね。アメリカ、中国、台湾にある取引先の光伝送装置メーカー……。ああ、これは仕事で行くべき国の話でした。プライベートでは、南アフリカのヨハネスブルクに行ってみたい。来年はワールドカップもありますし、とても危険な街といわれていますよね。普通じゃないところに好奇心をかきたてられるんですよ。

最近感動したこと

パッセンジャーズ。
ネタばれになりますから、詳細は言いません。飛行機事故がテーマの映画『パッセンジャーズ』をDVDで観たのですが、かなり面白かったです。お勧めです。最近、ブルーレイで昔の映画が観られるようになったでしょう。すごい高解像度だから、昔は認識できなかった背景の細かなシーンもすごい。週1本は必ず観ていますね。

25歳の天才プログラマーが開発した
VPNソフトが通信業界の常識を変える

 さまざまなメディアで、日本のビル・ゲイツ、天才プログラマーと紹介される、25歳の大学院生が筑波にいる。登大遊氏――。彼は大学院生でありながら、画期的 なVPNソフトを開発し、大学発ベンチャー、ソフトイーサ株式会社を設立した起業家でもある。現在、VPNソフト「PacketiX 2.0」を主軸とし、多くの企業に快適な通信環境の提供を続けている。「僕よりも先に生まれた人たちが頑張って、素晴らしい企業をたくさんつくってきました。でも人は、自分が生まれるタイミングを選ぶことができません。今という時間を使って何をすべきかを考えれば、やはり誰もやっていない新しい価値を世の中に残すこと。ソフトならそれが可能だと思うのです。」と、語ってくれた登氏。今回は、そんな登氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<登 大遊をつくったルーツ1>
小学2年生の少年が手にした中古のパソコン。自作ゲームをつくるためにプログラミングを開始

 僕が生まれたのは兵庫県の尼崎市です。父は普通の会社員でしたが、学生の頃から機械いじりが趣味だったようで、休みの日によくアナログ回路や半導体回路を組み合わせてラジオやスピーカーを自作していました。僕も小学校に上がった頃には、父と一緒に大阪の日本橋まで出かけていって部品キットを買ってもらい、電子回路で動くおもちゃをつくっていました。単純に、自分で手がけたものが動くのが嬉しかった。あれは小学2年だったでしょうか、近所に住んでいた方が、「パソコンを廃棄するからあげる」と。NECのPC-8001というマシンで、BASIC言語で住所録とか簡単なゲームがつくれるサンプルプログラムと解説書も一緒に。

 この時、初めてコンピュータに触れました。自分でゲームをプログラミングしては遊んで、その後にはまったのは、お決まりのファミコンですね。あと、放送委員会に所属していました。放送機材の中にはコンピュータがあって、ふたを開けて分解して、翌日までに元に戻す。表向きの機能はわかるのですが、どうやって動くのか? わからないことは何とかして知りたい。その好奇心が人よりも強いんですね。なぜかといわれても、それが僕の個性としか説明できないのですが。ただ、自分でもちょっと珍しいタイプの子どもだったとは思っています。勉強は理科が得意でした。小学4年以降は中学受験を受けるためにパソコンやゲームはやめました。

 中学受験では、大阪にある中高一貫の私立高槻中学を狙うことにしました。高校の受験勉強がないため、自由な時間をたくさん使えると思って。そして無事合格し、通い始めたのですが、とても自由度が高く、何をやっても怒られることのない学校で、思い切り遊びまくりました。部活は電気物理研究部に所属。コンピュータを扱える唯一の部でしたからね。マシンはNECのPC-9821。MS-DOSがOSで、今度はC言語を覚えなければと。1年くらい勉強して、だいたいのプログラミングが書けるようになりました。中3になった頃には、英語の解説書を読みながら3Dグラフィックを自由に描画できるまでに。その頃から、ちょっとした小遣い稼ぎを始めているんです。

<登 大遊をつくったルーツ2>
先生からの依頼で、校内にインターネット環境を構築。
“パソコンを自由に使える権利”がその対価だった

 性能のいいパソコンがほしくなるでしょう。そのためにはやはり、お金が必要じゃないですか。それで、工学社という出版社が発行する『I/O』という雑誌に、ページ1万円くらいで解説記事を寄稿するように。それが縁で、編集者の方々との縁が生まれたんです。そのほかにも、Windowsで動くビジネス系のユーティリティソフトを自作して、シェアウエアとして1本3000円くらいで販売したり。そうやって少しずつお金を貯めていきました。高校に上がった頃、付き合いのあった編集者から「本にしませんか」という話をいただきまして、「DirectX」関連書籍やWindowsの解説書など、3冊の本を書いています。その印税も、けっこうまとまった額の収入となりました。

 高校では放送部に所属。部には全校放送を流すための専用のデッキがありました。放送部の役目のひとつが、それを使って昼休みに生徒からのリクエスト曲を放送するというもの。けれど、そのデッキを使うと、Windowsのゲームができたんです。部員のみんなが昼休みに、放送そっちのけで「エイジ・オブ・エンパイヤ」にはまってしまいました(笑)。そこで、校内に「リクエストを携帯メールで受け付けます」と書いたポスターを張って、iモードで放送曲順を自動設定するシステムを構築。この時に初めて、通信ソフトの勉強をしたんです。振り返って考えると、この自動化ソフトの設計、テスト、納品、実装までの作業って、大手企業に頼んだら1000万円くらいはかかるものなんですよね。

 あとは、先生に頼まれて、校内にネット回線を引く作業を請け負いました。対価は、学校が購入する際に余ったパソコンを自由に使える権利をもらうこと。仲間4人くらいで、職員室からISDNに接続し、回線を廊下からつなげて校内LANを構築。そしてドメインがなかったので、サーバーを立てました。僕の自宅から、VPN(Virtual Private Network)を使って、リモートメンテナンスもできるように設定。そんな校内のIT環境整備だけではなく、成績処理のプログラムや、パソコン自体のメンテナンスも。すべて含んで、専門業者に頼む場合の10分の1程度の費用で、実現することができたと思っています。思えば学校には相当な貢献(笑)。で も、僕にとっては趣味の一環ですから。いいんです。

<高校時代の気づき>
誰もやっていない新しい価値をつくること。ソフト開発ならそれが可能だと思う

 もうひとつ、NTTdocomoのFOMAユーザーだった僕は、ある不満を感じていたんです。まだ契約者数が多くなかったこともあり、市販されている携帯ユーティリティソフトではFOMA端末はサポートされていなかったのです。だったら自分でつくればいい。FOMAのメモリ編集ソフト「PLUS for FOMA」を完成させて、2002年にシェアウエアとして公開しました。1本2000円で販売したところ、すぐに500人くらいに買ってもらうことができました。「PLUS for FOMA」は後に某企業に売却し、市販ソフトウエアとして世に出て行くことになります。売却価格ですか? それはNDA(秘密保持契約)があるので内緒です。

 高校時代に気づいたんです。ビジネスってひとりでできるじゃないかって。もちろん、たくさんの人が必要な、運送業とか飲食店とかのサービス業は無理ですけど。IT産業もある種のサービス業ではありますが、特殊なんですよね。受託開発はある意味、人がたくさん必要な形態ではあります。でも、マイクロソフト、シスコシステムズ、オラクルなどは、プログラミングから生まれたひとつのソフトからスタートして、大成功しているでしょう。プログラムをひとつ完成させるまでに、当然、たくさんの時間と資金がかかりますが、でき上がったあとは、ほぼタダ同然で儲かり続ける。もちろん、しっかりと人の役に立つソフトでないと意味がありませんが。ただ、やろうと思えばひとりでできるじゃないかと。

 僕よりも先に生まれた人たちが頑張って、素晴らしい企業をたくさんつくってきました。でも人は、自分が生まれるタイミングを選ぶことができません。今という時間を使って何をすべきかを考えれば、やはり誰もやっていない新しい価値を世の中に残すこと。ソフトならそれが可能だと思うのです。僕も本を出したり、シェアウエアを販売したりで、高校卒業までに数百万円のお金を得ることができました。もっとみんなもやればいいのに。理系に進む人たちも、高度物理学や生物学の世界で食べていけるのは10人のうちひとりくらいですよ。国も、そこにたくさんの人を集めてお金を使うより、小学生や中学生の時代にもっとビジネスのやりかたを教えるべき。いつかその道筋を、僕がつくってあげられれば。最近そんなことを考えています。

<AC入試で筑波大学へ>
公開講座やオープンキャンパスに参加し、多くの候補の中から筑波大学を選択する

 高校時代は、そんな小遣い稼ぎをしたり、放送部の仲間とゲームをしたりで、勉強はほとんどしていませんでした。でも、将来は、数百万円とか小さな成 功ではなく、数億レベルの成功を目指したい。人に役立つソフトウエアをつくって、多くの人々に使ってもらいたい。大学は、その思いに少しでも近づける活動 ができることを条件に選ぼうと考えていました。実は、大阪大学が面白いという話を聞いて、中学時代にすでに公開講座を聞きにいっています。レーザーやプラズマの研究は素晴らしいのですが、コンピュータの研究はいまひとつの感じでした。で、高校2年の末くらいから、他のいくつかの大学のオープンキャンパスに参加することに。そんな中で、一番自分のやりたいことができそうだと感じたのが、筑波大学だったのです。

 高槻高校を卒業した先輩が筑波大学に進学していて、その先輩から「面白いから一度遊びに行ってみろ」と勧められたのです。で、初めて筑波大学を訪れたのが、高校3年の春休み。2002年の話ですから、まだ「つくばエクスプレス」も開通していない。駅前にも何にもない。僕の筑波に対する第一印象は、「初めて来た、さびしい外国のような街」でした(笑)。苦労して大学までたどり着き、まずは入試科へ。暇だったのか、何人かの職員の方がいて、1日かけてキャンパスをあちこち案内してくれたのです。IT環境や設備も素晴らしかったですし、話好きな教授とOSの話題に花が咲いたり。「初めて来た、さびしい外国のような街」の第一印象がガラリと変わり、僕は筑波大学が気に入ってしまいました。

 その後2回遊びに行って、ソフトウエアをつくって広めていきたいことを話し、その方面に詳しい教授がいるかどうかを確認しました。あとは学生がIT関連設備をどのくらい自由に使えるか。ほかの大学も検討したのですが、筑波大学が一番自分の方向性に合っていると感じました。それで、AC入試で筑波大学を受験することに。AC入試とは、高校時代にどんなことをやってきたか自己推薦書を提出し、AC面接で自己解決能力や問題発見能力など、さまざまな角度から評価する入試方式です。要は、これまでどれだけ常軌を逸脱した特殊な活動を行ってきたかを見るという。お話してきたとおり、いろんなことをやってきましたから(笑)。幸い、僕はAC入試に合格し、筑波大学第三学群情報学類に進学することになります。ここ、筑波から僕の起業ストーリーが本格的にスタートするのです。

ソフトウエア開発で世の中に貢献し続ける!
筑波大学発のITベンチャー企業が目指す志

<未踏ソフトウエア創造事業に挑戦>
自分自身がほしいと思っていたVPNソフトを、半年かけて、たったひとりでつくり上げる

 2003年4月、筑波大学に入学。最初の1年は、どういう手順なら自分のやりたいことができるか、その方法調べ、環境を整える準備をしていました。まず、建前として、ひとりの学生がコンピュータ設備を占有することはできません。でも、会社をつくって大学との共同研究契約を結び経費を支払えば、それはクリアされます。ただ、ビジネスを大学ではやってはいけない。あくまでも技術の検証をするという目的で、です。大学の設備は素晴らしく、1.0Gbpsのインターネット回線が自由に使え、僕がやりたいネットワークの実験活況としては完璧です。当社の製品である、VPNソフトや、デスクトップ・リモートアクセス・ソフトを、個人や一般企業が研究開発したと仮定すると、初年度に1000万~2000万円の経費がかかると思いますが、研究目的で大学の設備を利用させていただくことで節約できます。

 ある教授から、「IPA(独立行政法人情報処理推進機構)という組織があって、未踏ソフトウエア創造事業・未踏ユース部門というものがある。ここにつくりたいソフトの申請をし、採択されれば、国から300万円の補助金がもらえる。応募してみてはどうか」という提案を受けたのが入学したばかりの4月。締め切りは5月。僕がつくりたいものはすでに決まっていました。VPNソフトです。高校時代に使っていたVPNソフトの使い勝手が悪かったこと。既存のVPNソフトでは、大学から自宅などのサーバーをリモートで操作したい場合、大学のファイアーウォールを超えられないこと。困っている学生がたくさんいることを知っていましたから、そんなVPNソフトを開発したら喜ぶ人がたくさんいるだろうと。それから一所懸命提案書をつくって、IPAに提出しました。

 7月に採択され、それからプログラミングを開始。VPNのアプリケーションは、Windowsの奥深く、コアな部分を理解しながら開発を進めていく必要があります。あまりに深い情報は公開されておらず、インテルの英語の解説書を調べながらプログラミングを進めました。大変だったのは、バグが発生してパソコンが落ちると、OS自体を再起動する必要があること。開発への苦労はそれほど感じませんでしたが、その再起動に思いのほか時間がかかってしまいました。その年の12月に、VPNソフト「SoftEther 1.0」が完成。IPAからの条件は、広くソフトウエアを頒布すること。そして12月17日、ホームページを立ち上げて、「SoftEther 1.0」のリリースを開始しました。

<大学発ベンチャー企業の誕生>
企業向け後継ソフト「PacketiX VPN 2.0」を完成させ、
外資系企業が牛耳るハード系マーケットの牙城を脅かす

 従来のWindows向けVPNソフトが有償だったこともあり、フリーウエアである「SoftEther 1.0」は、いっきに話題となりました。また、既存のVPNソフトの設定にはネットワークに関する知識が必要でしたが、「SoftEther 1.0」はインストールするだけで簡単に使えるというメリットも。使い勝手が良いと評判になって、ダウンロード希望のアクセスがホームページに殺到。当時使っていたネット回線は常に100Mbpsの高負荷状態を続けていました。これまでの「SoftEther 1.0」のダウンロード総件数は、数百万件くらい。同じユーザーがバージョンアップの際や、別のパソコンでもダウンロードしていますから、ユニークユーザーとしては30万人くらいでしょうか。そしてリリースの3カ月後、三菱マテリアルさんから「商用化したい」という話をいただき、ライセンス契約を締結しています。

 商品名と同じ社名である、ソフトイーサ株式会社を設立したのが2004年の4月。会社を立ち上げた以上、売り上げをあげなければなりません。ただ、個人のパワーユーザー向けには「SoftEther 1.0」で十分でしたが、企業向けとしては安定性の面で問題がありました。そこで「SoftEther 1.0」のリソースはいっさい使わず、ゼロから後継ソフト「PacketiX VPN 2.0」の開発を開始。開発を続けながらも、その間は、三菱マテリアルさんへのライセンス供給と、ソフトの受託開発などを請け負うなどしてしのいでいました。そして2005年の12月、「PacketiX VPN 2.0」をリリース。これまでに、約3500社にご利用いただいています。これでやっと、国内VPN市場全体で2、3%のシェア。できるだけ早く、シェア20~30%に持っていくことが今の目標です。

 ちなみに、VPNには私たちが提供しているソフトウエアVPNのほかに、シスコシステムズなどのハードウエアVPNがあります。今のところハードが90%のシェアを占めていますが、この牙城を崩したい。やはり、外資系企業に日本のお金が流れているのは悔しいじゃないですか。性能はまったく引けを取らず、ハードが50万円くらいだとすると、「PacketiX VPN 2.0」は1本10万円と5万円のパソコンで使えますので、70%のコストダウンになる。だから不景気はチャンスと捉えています。企業は 「PacketiX VPN」を導入することで通信コストを削減できる分、人をクビにせず、逆に雇うこともできます。これまでクチコミで販路が広がってきましたから、マーケティングにまったくコストをかけておらず、大規模な販売代理店の数はまだ少ない。どうやってこのシェアを埋めていくか、これが今後の課題であり、面白いと ころです。

<未来へ~ソフトイーサが目指すもの>
国内外のVPNマーケットシェアを伸ばし、無駄なコストや時間削減に貢献し続けたい

 2006年の6月、社長の座を譲り、私は会長となっています。それまでは、対外折衝から帰って来た後に開発をしていましたが、それがかなりの負担でした。今では戦略立案と開発に集中でき、また業績的にも社長に営業的役割に専念してもらったことで、当初3000万円ほどの売り上げが今では1億円を超えるようになりました。今後ですが、やはりどうやってユーザーを増やしていくかが重要。いろいろやり方はあると思いますが、できるだけリスクのない方法がいい。たとえば、アメリカにはリナックスを販売しているレッドハットという会社があります。ITリテラシーが高いユーザーには素人が扱えないような高度な製品を無償で提供し、逆にそうでないユーザーには多少のサポートが必要な製品を有償で販売するという仕組みです。販売代理店とうまく協力しつつ、また、ネットの仕組みをフル活用して企業内ユーザーに「PacketiX VPN 2.0」の認知を広げていきたいです。

 インターネット通信のプロコトル、TCP/IPは全世界共通です。国内市場も大切ですが、アメリカ、中国、ヨーロッパなど海外市場への進出もしたいと考えています。4年後には当社の売り上げシェアの半分くらいを海外で挙げるようになればと。「PacketiX VPN 2.0」を使えば、LANケーブルを少し延長するくらいの手軽さで、海外のオフィスに国内と同じ通信環境が実現しますから。また、今年の12月には、IPv6に対応した唯一のVPNソフトとなる、「PacketiX VPN 3.0」をリリースする予定です。本年度から物理的なギガビット広域イーサネット専用線サービス「HardEther」の販売も開始しています。指定した拠点間での通信を実現し、料金を他社サービスの半額以下に設定。東京などに、複数のオフィスを借りている会社などがメインのターゲットとなります。当社のようなベンチャー企業に専用回線を気軽に使ってもらいたい。そんな思いで始めた新規事業です。まだまだこれからの事業ですが、この市場もけっこう大きいと思っています。

 僕は、ひとり当たり収益の高さを重要視しています。スタッフ数は10名で、売り上げは1億円強。で、ひとり当たりの収益が1000万円くらい。この数字は人件費を含めたものですから、言わばひとり当たり付加価値でしょうか。だから当社は、家賃と設備・光熱費以外の売り上げを、ほとんどスタッフに配っているようなものなのです。各プロジェクトの収入と経費を透明化し、きちんと付加価値を残した人には、相応の報酬で報いる。そうでないと、できる人ほどモチベーションを落としてしまうでしょう。特に知能産業といわれるソフトウエア業界においては、それが常識にならないと世界に置いていかれてしまいます。当面の目標は、スタッフ数40人でひとり当たり収益が4000万円くらい。今、海外に向けたIT製品のマーケティングに強い人材を求めています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
起業の目的がお金儲けだけでは必ず失敗する。
得たお金の正しい使い道をしっかり考えておくこと

 ほかの人がこう言ったからやる、ほかの会社が成功しているからやるではダメです。基礎条件がすぐに変化していく世の中ですからね。たとえば、僕が起業したのは5年前ですよね。ソフトイーサはその時に始めたからうまくいったのであって、今日しゃべった話を鵜呑みにして今から真似してみたとして、うまくいくかどうかなんて誰も責任が取れないですよ。そもそも、成功者の真似をして成功できるなら、誰でもやってます。でも、そうじゃないから難しいんです。だったら、前例に従って失敗するより、自分自身の自由な考えでチャレンジして失敗したほうがいいじゃないですか。

 後悔しない起業をするための、全世界共有かつ、今後もずっと変わらない基本原則がひとつだけあると思っています。人間がたくさん集まってつくっている世界を、いかにして自分のアイデアや技術を使って、より面白く、より豊かな世界に変えることができるか。それをよくよく考えることで、次のステップにつながるヒントがあるのではないかと。どんな成功者の話を聞いてもみんなバラバラのことを言っているので、何が本当に正しいかなんてわかりません。迷った時には、この基本原則に従って考えてみればいい。何度も何度も迷って、迷いがない答えが自分の中に生まれた時に起業すれば、失敗する確率は限りなく低くなっていると思います。

 

 もうひとつ。「あなたの起業の目的は?」という質問の答えが、上場してお金儲けをしたいだけだと、その起業は必ず失敗するでしょう。ただ、「お金儲けをしたらそのお金を何に使うのですか?」という質問に、自分の考えでその使い方を理論的にしっかり答えられるのなら、その起業は成功するでしょう。そもそも、お金はただの紙切れなのです。これまで誰もが経験したことがないような変化を世の中につくりだすために使うのがお金の正しい使い方だと思っています。絶対に、世の中の変化を妨げるためにお金を使ってはいけない。たとえば、社会にはびこっている搾取、不平等、無駄を助長していくとか。逆に、これらを根絶し、そこで不満を抱いていた人たちにチャンスや変化をもたらすチャレンジ。そんな起業なら僕は応援したいですし、成功する確率は高いと思います。

 

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:刑部友康

現役社長 経営ゼミナール

Q.登会長は、日頃どのようにして思い付いたアイデアをまとめていますか? (愛知県 その他職業)

A.
役に立つアイデアには何種類かあると思います。
新しい製品やサービスのアイデアが思いついたときには、忘れないうちにできるだけ早くどこかにメモすることにしています。思いつく可能性が一番高いのは車 の運転や入浴していたりする時なので、後でテキストファイルに数文字でメモしておきます。
プログラムなどの設計やバグの解決などでアイデアを思いついた場合は、図に記すことにしています。ソフトウェアの内部構造などは、少し大きなノートにメモ しています。構造を図示する方法としては過去にUML等の色々な方法が提案されてきましたが、自分にとってわかりやすい独自の形で図に書いていきます。
その図を見直すことによってあまり迷わずにプログラムが開発できます。そうして開発したプログラムには、後になってもバグはあまり見つかりません。

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