第87回 グリー株式会社 田中良和

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

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第87回
プロフィール グリー株式会社 代表取締役社長 
田中良和 Yoshikazu Tanaka

1977年、東京都生まれ。日本大学法学部政治経済学科在学中、仲間と共にインターネットサービスの研究を本格的にスタート。1999年に大学を卒業し、ソニー・コミュニケーション・ネットワーク(現So-net)に入社。2000年2月、友人の紹介で楽天に転職。オークションサイト、ブログサービス、アフェリエイトサービスなどの、企画、開発運営に携わる。2003年の秋、仕事のかたわら個人の趣味として、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の開発を開始。2004年2月、個人サイト「GREE」を公開。公開1ヵ月後に、会員数が1万人を突破。同年12月、楽天を退社し、グリー株式会社を設立。代表取締役社長に就任した。2006年に、モバイル版を本格稼働。ゲームを主軸としたコンテンツ提供により、順調に会員数を伸ばし、2008年12 月、東証マザーズ市場に上場。2009年4月、会員数は1000万人を突破した。現在、テレビCMなど、大量の広告宣伝活動を行い、GREE旋風を巻き起こしている。

ライフスタイル

好きな食べ物

タコスです。
最近、タコスづくりに凝っています。調味料とひき肉をいためて、チリビーンズ、キャベツ、チーズを市販のタコスの皮にくるんでがぶり。友だちを自宅に呼んで、ビールとか飲みながら。あと、カレーもよくつくります。お酒は、基本的に何でも飲めるクチです。

趣味

休養が趣味です。
いつも新しいインターネットサービスのことを考えてしまいがちです。なので、休日は無理やり考えるのをやめて、家でゴロゴロしています。休むことというか、休養が趣味かな(笑)。テレビつけて、ゴハン食べて、あとは寝る。そんな感じで休日をすごしています。

行ってみたい場所

地中海です。
昔はよくひとりでバックパックの旅に出かけていました。アジア各国をぐるぐる回ったり、ヨーロッパ大陸を一周したり。今、もしも長い休みが取れるなら、地中海一周の旅をしてみたいですね。これはさすがにひとり旅ではなく、友だちか彼女と一緒に(笑)。

最近感動したこと

世界の同業者との出会い。
新聞や雑誌、Webサイト、フォーラムなどで、インターネットサービスの開発に携わっている海外の経営者に出会った時、「僕と同じように頑張っている人が世界にはたくさんいる。僕ももっと頑張っていかないと」と刺激を受けます。インターネットでビジネスをやってて良かったと思える瞬間です。

ひとりの会社員が趣味でつくったSNS“GREE”。
リリースから5年で、会員数1000万人を突破!

 2003年の秋、26歳の会社員が、新しいアイデアをサービスとして生み出すため、SNS「GREE」の開発を開始した。会社の業務ではなく、あくまでも趣味としてだ。翌年2月に小さな産声を上げた「GREE」は、5年後の2009年4月、1000万人の会員数を誇る国内トップクラスのSNSに成長。また、自社で制作するクオリティの高い無料ゲームを集客やコミュニケーションの活性化に生かしながら、月間のページビューも100億台を突破。趣味を売り上げ128億円のビジネスに変えた男、それがグリー株式会社の代表を務める田中良和氏である。「インターネットの世界でも、誰かが面白いと感じたものが、大きな波となり、ビジネスベースに乗るには、5年くらいの歳月が必要なのです。2006年にモバイル版に舵を切ったのも、僕が考える2010年のイメージを信じてのことです」と語ってくれた田中氏。今回は、そんな田中氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<田中良和をつくったルーツ1>
要領よく勉強をこなし、自力で自由を手に入れる。
すべてはゲームを思う存分楽しむために

 生まれは東京の三鷹市です。家族構成は、父と母、妹がひとりの4人家族。父親も経営者か? いいえ、普通の会社員ですよ。僕の性格は、子どもの頃からどちらかというとわがままなタイプかもしれませんね。学校の先生の言うことをほとんど聞かなかったりもしましたし。両親も普通に勉強してれば、「あれやれ」「これやれ」なんて言わない放任主義。テストの点をある程度取っていれば、基本的には何をやっていてもいいと。そんな感じです。社会と理科が得意科目でしたが、一夜漬けで要領よく、すべての科目の合格点をクリアしていました。通知表も小学校から中学校まではずっと5点満点で、全科目4・5くらいのレベルを維持。スポーツにはあまり関心がなかったので、学校と勉強以外の時間は大好きなゲームに没頭していましたね。ファミコンで「スーパーマリオブラザーズ」とかF1ゲームとか。

 朝起きてゲーム、学校からから帰ったら友だちとゲーム、夕ごはんを終えたらゲームというように、本当にゲーム漬けの毎日。「少年ジャンプ」や「コロコロコミック」など、はやりの漫画を読むことも好きでした。中学では、卓球部に入部しています。それでもで、やっぱり毎日ゲームして、よくゲームセンターにも行きました。「ストリートファイター」とかが人気で、友だちと対戦したりするわけです。この頃は、大人になったらゲームをつくる人になりたいって、本気で思っていましたね。ちなみに、小中は公立の学校です。やっぱり要領良く一夜漬けで、幸いにもトップクラスの成績を維持することができていました。

 でも、高校からはそうもいかなくなってきました。進学したのは、日本大学の付属校です。ここを選んだ理由は、まず共学ということ。それに加えて、大学受験の勉強をしなくていいことと、自宅から近いので通うのが楽だったから。そして、部活は弓道部でした。ただし、私立はやっぱり勉強のレベルが高かった。最初のテストは600人中500番台でしたからね。で、一夜漬けでは無理ということがわかったので、どうしたかというと、一週間漬けに変更。この作戦変さらにより、結果的には20番くらいの成績を取れるようになりました(笑)。

 

<田中良和をつくったルーツ2>
ゲーム以外の趣味に、読書と新聞が加わった。
高校の終わり頃、インターネットの存在を知る

 ゲームもよくしましたけど、中学の頃から、本を読み漁るようになりました。ゲームで知った「三国志」などの歴史モノに始まって、漫画やゲーム雑誌までいろいろ。夕方4時くらいに学校から帰宅して本屋に直行。夢中で気付いたら夜になっていたことも。あと、親に頼んで日本経済新聞を取ってもらっていました。新しいゲームの発売情報が出るのが、「ファミ通」よりも断然早いから。もちろん、その記事だけではなくて、ほかの記事にも目を通すでしょう。あれは高校の終わり頃だったか、アメリカではインターネットというものが登場していて、マーク・アンドリーセンが「ネットスケープ」をつくり、ジェリー・ヤンが「Yahoo!」を立ち上げようとしている。そんな記事を読んだんです。

 それで中学生の時に読んだ、アルビン・トフラーの「パワーシフト」を思い出した。あの本の中に書かれていた、情報化社会というものが現実に近づいている。そんなことを思ったんですよね。あと、ゲームへの情熱がだんだん冷めてきた。「ダービースタリオン」という競馬ゲームで、友だちと遊んでた頃、競走馬を購入した事業家の話が話題になった。「多くのゲームは、実際にできないことを仮想世界で楽しむためにつくられている」という本質に気づいてしまった。あと、ずっと親しんできたゲームですが、当時は進化のスピード感が衰えているように感じて。それよりも現実として、「自分も競走馬を買えるように頑張ったほうがいいのでは?」と、高校の終わり頃には思っていました。

 昔から機械が好きで、テレビとか、パソコンとか、世の中がアッと驚くような、未来のマシンの登場を待っていたんです。でも、いつになってもそんなものは発売されない。だったら、それを自分でつくる仕事に携わることができるんじゃないか。漠然とそんなことを考えていました。で、トフラーの受け売りなのですが、「情報化社会とは、政治や経済など、いろいろのものが渾然一体となった社会である」と。それで僕は、法律、政治、経済が学べる、日本大学の法学部政治経済学科に進学したんですよ。大学生になったのはいいのですが、まだ目的が明確に定まっていないでしょう。入学してからもほとんど無目的で、友だちと一緒に学食に入り浸っては、意味のない会話をしていたんですよ。

<インターネットの世界へ>
インターネットは確実にくると感じた1995年。
自分の中に、初めて明確な夢が生まれた散

  さすがにこのままじゃマズイと思い、ゲームセンターでバイトを開始しました。変な話、座っているだけで時給850円がもらえる。でも、自分の時間を切り売りしながら、ただお金を得ることを目的に働くことに違和感を感じ、早々に退散することにしました。将来の夢がない自分……。悩んでいた大学1年次に、アメリカへ1カ月の語学留学に行く機会を得ました。この時に僕は、パソコンを使って、インターネットに初めて触れたんです。これは、言葉に表せないほどの衝撃でしたね。やっと「Windows95」が発売された頃でしたが、インターネットは確実に「くる!」と確信。インターネットの世界で仕事をしよう。初めて僕の中に、明確な夢らしきものが生まれた瞬間でした。

 帰国してからパソコンを購入し、早速インターネットについて調べ始めたんです。当時はインターンシップという概念が浸透していなかったので、ネットエイジ(現ngi group)や、ジョブウェブなど、面白そうなインターネットベンチャーを見つけては、「どんなことをやっているんですか?」と訪ね歩きました。ある意味、ひとりで国内インターネット業界のフィールドリサーチを始めたという。そんな活動の中で出会ったのが、現在当社の副社長である山岸広太郎、はてなの副社長の川崎裕一さん、ミクシィのCEO笠原健治さんなどです。そんな彼らと、アメリカのIT業界誌を通販で買ってきては、ネットサービスの未来を論じ合う勉強会を開催したり。僕個人も、メーリングリストや掲示板を運営したり、自分のホームページをつくったりと、どんどんインターネットの世界にのめり込んでいきました。

 早く大学を卒業して、インターネットのサービスをつくる仕事に携わりたい。そんな思いが高まっていました。僕が大学を卒業した1999年は、国内でやっとインターネットがブームになりかけていた頃です。まだまだネットだけをドメインにした会社が少なかったんです。それで、入社したのがソニー・コミュニケーション・ネットワーク(現So-net)。経営戦略セクションに配属され、海外企業とローミング契約とかの業務に就いていましたが、すぐに僕が求めているものがここにはないことに気づいた。ある意味ここは、ソニーという大手企業の子会社、普通の会社なんですよね。僕が夏休み、休暇を取って出かけたアジアひとり旅の最中に、「会社員になる前、ホームページや掲示板をつくっていた毎日のほうが、今よりも楽しかったな」と思ったんです。そもそも僕が行きたかったのは、インターネットを扱う会社ではなく、インターネットベンチャーだったはずじゃないかと。

<楽天へ!>
念願のネットベンチャーに転職し、忙しく働きながら
趣味でつくったSNSが、1月で1万人の会員を獲得花

 その頃、大学時代に知り合った友人が楽天で働いていることを思い出して、話を聞きに行ったんです。当時の楽天は、まだ社員数が50人くらいの、まさにネットベンチャーでした。結局その友人の紹介で、2000年の2月、楽天に転職することに。最初は営業として入社する予定が、入ってみたら、「個人間売買のネットオークションサービスを立ち上げる。田中君はインターネットに詳しそうだからやってみて」と。そういう経緯で、個人向けサービスの開発に関わるように。その後、エンジニアが足りなかったのでプログラミングを覚えながら、ブログサービスやアフェリエイトサービスを立ち上げるなど、僕自身が求めていたインターネットサービスづくりに没頭できる、忙しくも楽しい毎日が始まりました。

 サイトの仕様を決め、企画書をつくり、アライアンスをまとめ、弁護士と相談しながら、仲間と一緒に仕事を進めていくわけです。当時はまだまだ国内ネットサービスの世界は未成熟でしたから、「そういえば、ヘルプページがあったら、問い合わせが減るんじゃないかな?」とか(笑)。自分たちでさらなるユーザビリティの向上を考えながら、一所懸命サービスの精度を高めていきました。そして2003年頃、情報収集していく中で出合ったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の将来の可能性を考えるように。当時、日本のネットコミュニティサービスは、「2ch」を代表とするように、匿名性のものが多く、現実社会とかけ離れた感じがしていました。でも、アメリカではやっていたSNSは、ユーザーが実名で投稿するなど、世の中の生活としっかりリンクしている気がしていたんです。

 楽天の中でも、「ブログですらまだ儲かるかどうかわからない」と言われていて、これは自分が個人で取り組むしかないかなと。独学で勉強しながら、後に産声を上げる「GREE」の開発に着手したのが、2003年の秋。本当にメルマガや掲示板をつくるくらいの趣味のノリで始めたんです。だから会社も止めようがない(笑)。会社の仕事をしっかりこなしながら、夜や休日を使って自宅で作業するわけです。時間的制約が多いことはつらかったですが、それよりも趣味としての面白さのほうが勝っていました。2004年2月には、アルファ版として個人サイト「GREE」をリリース。広報は、友人に「こんなのできたので、使ってみて」とメッセンジャーで伝えた程度だったのですが、クチコミで評判がいっきに広がって、1カ月後には会員数が1万人を超えました。年内に会員数が10万人を超えそうだということがわかった頃、管理者である僕宛に、あるメールが届いたんですよ。

誰もが揶揄したモバイル版への転換を決め、
ゲームを武器とし、新マーケット創出を実現!

<生き残ったGREE>
サービスを安定的に提供していくために、
楽天を退社し、友だちを誘って会社を設立

 そのメールの内容はというと、「個人で運営している田中さんが、もし死んでしまったら、“GREE”はどうなるのですか?」。カスタマーサポートも僕自身がやっていましたから(笑)。本心は、「趣味でやってるんで、死んだら終わりなんだよね」と思ったんですけど(笑)。しかし、そう言われてみればそうだ。正直、あまりの大変さに「GREE」をやめようかと考えたこともありました。でも、無料サービスとはいえ、10万人ものユーザーに役立っているわけです。やめるなんて、ユーザーに対して申し訳ない。継続しなければと。当たり前ですが、いいサービスをつくり、安定して提供し続けるためには体制が必要ですよね。それで2004年の10月に、楽しく仕事をさせてもらった楽天を退社し、ネットニュースサイト「CNET」の編集長を務めていた現副社長の山岸を誘って、12月にグリー株式会社を設立したのです。

 翌年の2005年2月に最初のオフィスをオープンして、自分たちで広告を売り始めました。代理店を入れることすら想定してなかったですから、すべての作業が暗中模索の見よう見まねです。起業当初は、別の商売で稼いででも、「GREE」を続け、数人で食っていければそれでいい。そんな感覚だったんですよ。でも、会社設立から2、3カ月もすると、「2、3人でこのサービスを提供し続けるのはとても無理」ということに気付いてしまった(笑)。人が足りないわけですから採用を開始。それでも、「面接って何聞くの?」「雇用契約の結び方は?」「机はどこで買うのがいい?」とか、知り合いの経営者に聞きながら、ちゃんとした組織にしていこうと。グロービスから1億円ほどの出資を受けた後、ようやく20人くらいの組織が出来上がったのが2006年の初めくらいです。

 そして、これからも継続的に成長していく会社にするために、どうすればいいか考えてみました。その際のアプローチとして、任天堂の戦略を参考にしていました。ちょうどその頃、ニンテンドーDSがブレイクしていて、友だちと「マリオカート」をやっていたんです。昔、ファミコンは自宅のテレビでプレイするのが常識でしたが、DSは小さな画面でも楽しめ、しかも、どこでもすぐにプレイできるようになった。任天堂から、そんな柔軟な発想を教えてもらった気がしています。そこでモバイル市場に目を移してみると、2006年時点の総務総の統計で、パソコンよりも、モバイルでインターネットにアクセスしている人口のほうが多いわけです。周囲からは、「SNSをモバイルで使わせるなんて無理だ」と揶揄されましたが、僕は勝算が必ずあると思っていました。

<自社制作のゲームが大当たり!>
2009年の4月には会員数が1000万人を突破!
売り上げも前年度実績の約4倍に急拡大

 僕は、楽天で2001年頃にブログを開発しています。僕自身、面白いサービスだと思いましたが、当時、「日記は公開するものではない」という声が大多数を占めていました。でも、その5年後には多くのユーザーがブログを活用する世の中になったわけです。インターネットの世界でも、「誰かが面白い」と感じたものが、大きな波になり、ビジネスベースに乗せるには5年くらいの歳月が必要ということです。2003年に「GREE」の開発を始め、2006年にこれからの国内SNSの方向性を考えた時、5年後をイメージしてみた。僕が出した答えは、きっと2010年には、一般ユーザーのほとんどがモバイル経由でインターネットを使うようになるということです。そして、2006年の秋にKDDIと提携を結び、それまでパソコンSNSのサブ的な立場ではなく、モバイルで完璧に使いこなせるSNSの開発に舵を切り直したんですよ。

 同時に考えたのが、目指すべき規模の問題です。最初に僕がSNSの開発を始めた頃、アメリカでは100万人のユーザーが使っている規模のサービス。「日本だったら10万人くらいか」、というイメージだったんですよ。でも、2006年に国内モバイルマーケットの成長性を鑑みた結果、数千万人規模のユーザーに使ってもらえることを想定すべきだと。そうなると、今あるSNSの基本機能だけでは難しすぎる。もっと大衆受けする楽しくて簡単なサービスを使ってユーザーを取り込むべきと考え、ゲームとか占いのコンテンツを付加していったというわけです。コンテンツは基本的にすべて自社で内製していますが、そもそも自分がゲーム好きだったこともあり、クオリティを自分たちのものとして高めていきたかったというのが理由でしょうか。

 今、小さなflashゲームが約100種類くらいあって、ペット育成ゲーム「踊り子クリノッペ」、釣りゲーム「釣り★スタ」など、大型のものは4種類です。ちなみに、2008年12月に東証マザーズに上場を果たし、2009年の4月には会員数が1000万人を突破しました。パソコンユーザーをメインにしていた2006年の段階で、総会員数が約35万人程度でしたが、今年の3月には、わずか1カ月で85万人の新規ユーザーを獲得しています。2009年6月期の売り上げが、128億円と昨年の約4倍で、経常利益は73億円。売り上げシェアでは、広告が3割、アバターやゲームに使用するアイテムなどのユーザー課金が7割といった感じです。利益率の高さに驚かれる方が多いようですが、SNSのビジネスモデルがうまく回り始めた結果としては、普通なのではと思っています。当社の社員が今100名ちょっとですが、任天堂は社員ひとりが1億円の利益を挙げています。だから、うちはまだまだかなと(笑)。

<未来へ~グリーが目指すもの>
コミュニティサイトとして日本最大規模を目指し、
多くの人が楽しめるサービスをどんどん届けたい

 僕は楽天にいたじゃないですか。だから、ベンチャーとしては毎年5倍とか10倍の成長をしてかないとダメなんじゃないかと。そんな洗脳を受けているんで(笑)。グリーの成長も、何となく普通なのかなと思っています。これからですが、僕たちはポータルサイト路線ではなくて、コミュニティサイト路線でいくことを決めていて、コミュニティサイトとして日本最大の規模を目指していくことが第一のステップ。会員数でいえば、2000万~3000万人を目指しています。で、基本的にはSNSをプラットフォームとして、今はゲーム、中長期的にはゲーム以外にもチャレンジしていきたい。ただ、ゲームは意外と可能性の大きなビジネスだと思っていて、たとえば任天堂でいえば、ゲームでも「脳トレ」とか「辞書」とか、いわゆるこれまでゲームとは呼ばなかったようなコンテンツで市場をつくっていますよね。そういった意味で、ゲームはかなり拡張性の高いビジネスだと思っています。

 事実、ゲーム市場って、音楽や映画よりも大きな世界最大のエンターテインメント産業なんですよ。今でも拡大し続けていますし、これからもその成長可能性は大きいと考えています。アメリカで好調なSNS「フェイスブック」を見ても、ゲームのアプリがはやっていますし。結局、今のところSNSに一番親和性があるのがゲームなんじゃないかと。ただし、会社としてはSNSだけにこだわっているわけではないです。基本的にはインターネットのサービスをいろいろつくって、そのサービスを提供することで世の中を変えていったり、より多くの人を楽しませたりできたらと考えています。僕自身、楽天でブログやアフェリエイトをつくってきましたからね。中長期的にはいろんなチャレンジをしていくつもりです。ただ、今でいえば、モバイルSNS、ゲームが、世の中が僕たちに求めてくれているものですから、ここに集中していこうと。

 新規事業開発室なんてセクションはまだなくて、みんなで話し合いながら方向性を決めています。たとえば、ソニーという会社が誕生してラジオをつくっている時代に、「もう少ししたらテレビをつくるかも」とは言えても、将来は映画産業、ゲーム産業、生命保険も手がけますなんて誰も予測できなかったはず(笑)。僕らも、今から2、3年後のことなら具体的に語れますが、10年、20年先のことを製品レベルで考えてもしょうがないなと。同じように、任天堂であればゲーム、ソニーやアップルならエンターテインメント向けの最新エレクトロニクス機器とか、方向性はぶらさず、製品は時代時代によって変えていく。僕たちもそのスタンスでいいと思っています。あと、基本的には会社をできる限り大きく成長させていきたい。良いサービスをつくっているならば、ひとりでも多くの人に使ってもらいたいと思うのは自然でしょうし、そこで働いている人も会社の成長と一緒に成長することができますからね。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
手がけていることを、より好きになる努力をする。
それを継続していくプロセスを大切にしてください

 こんな話をすると、このインタビューの企画趣旨から外れてしまうかもしれないんですが、僕自身、起業家になりたいと思ったことがないんです。ただ、いいサービスをつくりたかっただけ。今も僕はサービスをつくることができますが、それよりもサービスをつくる人をサポートする仕事をしたほうが、世の中の役に立っていると思えるから、経営者をやっているといった感覚です。経営者になりたい、経営のプロを目指したいと思ったこともありません(笑)。僕以外にやれる人がいないんだったらやるしかないわけで。楽しいことをやりたいという気持ちも大きいのですが、やらなければならないことをやることも大切だと思っています。ただ、間接的にやりたいことにつながっていますけどね。

 僕よりも若い人によくお話しているのは、「もっと頑張ったほうがいいよ」ということです。最近の若い人たちは僕も含めてですが、あんまり頑張っていないなと思うんです。今の日本って豊かだし、犯罪も少ないでしょう。これって今から50年位前、僕のおじいさんやおばあさんたちの世代が、プライベートもほとんどなく、子どものために好きか嫌いかもわからないような仕事で頑張ってきた結果として生まれた、幸せな社会でしょう。にもかかわらず、それを僕らが食いつぶして、借金も増やして、次代に渡そうとしている。そんな僕らは、50年後の日本人にどう思われるんだろうと。だから、僕らは今よりももっともっと頑張らないといけないと思うんですよ。

 起業するか否かということは、瑣末な問題だと思っています。世の中にはいろんな生き方がありますから、それぞれの生き方を否定はしません。ですが、選ぶ道が何であれ、常に前向きに努力し、それを楽しいと思って継続していかないと、グローバル化が進む世の中で生き残ることは厳しいでしょう。一瞬だけ頑張ることは、きっと誰でもできる。始めたらやり続ける。頑張り続ける。そのためのセルフモチベーションを保ち続けることはとても難しい。でも、これがすごく大事。人間って、結果も大切ですが、頑張り続ける姿に輝きが宿ると思うんですよね。「好きになり続けるように努力する」。これも僕が自分に課しているテーマです。そもそも好きなものなんて、そう簡単に見つかるわけがない。少しでも好きになりそうなことを見つける。そして、より好きになるための努力をする。結果なんてそもそも誰にもわからないのですから、そうやって頑張り続けるプロセスを一番大切にしてほしいと思っています。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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