第69回 株式会社ティーサーブ 池谷貴行

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

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第69回
株式会社ティーサーブ 代表取締役社長
池谷貴行氏 Takayuki Ikeya

1963年、山梨生まれ。高校卒業後、早稲田大学社会学部に進学するが、6年間在籍の後、中退。大学時代は数え切れないくらいのアルバイトと、仲間たちと の遊びに明け暮れる毎日を過ごす。24歳から始めた外資系PR会社のメッセンジャーボーイのバイトをする中、効率化を目指し自分で自転車を購入。この経験 がきっかけとなり、1989年、個人事業としてバイシクル・メッセンジャーの仕事で独立。屋号を「東京メッセンジャー・サービス」とする。その後、高校時 代からの悪友を誘い、事業を拡大し始める。1992年、有限会社ティーサーブ設立。1994年、株式会社に組織変更。業績を順調に伸ばし、メッセンジャー ビジネスの本場、アメリカから買収の声がかかる。現地の視察に赴くが、自社のシステムのほうが格段に優れていることがわかり自信を深める。同社をモデルに した1999年公開の映画「メッセンジャー」のヒットで広く認知され、その地位を不動のものとした。2004年、ティーサーブの活動自体がグッドデザイン 賞の新領域デザイン部門を受賞。

ライフスタイル

好きな食べ物

しゃぶしゃぶかな。
本当に何でも食べるんです。ファストフードはもちろん、コンビニ弁当でも。ただ、新しい話題の店ができたら田中と一緒によく出かけます。それでオペレーションを見ながら、「俺たちならこうする」とか、「採用はどうやってんだ」とか、議論するんですよ(笑)。

趣味

仕事です。
経営者ってみんな趣味が仕事なんじゃないですか。自分が考えた思いを実現に向けてプロデュースすることってすごく楽しいですから。趣味は仕事として、息抜きでいえば自転車に乗ること、車も好きですからドライブ、あとは家族や愛犬と遊ぶことですかね。

行ってみたい場所

世界遺産でしょうか。
「で、世界遺産の中でもどこに行きたいの?」と聞かれると答えに窮しちゃいますが、エジプトのピラミッドとか(笑)。行ってみたいですよね。あとは自転車で日本一周してみたい。いきなり全行程制覇は無理なんで、少しずつ時間をかけながらゆっくりと。

最近、感動したこと

父の死に際して思いを新たに。
親父が亡くなったんですよ。感動といえば不謹慎かもしれませんが、次代のためにこの人は頑張ってくれたんだなと。僕たちが今、幸せに生活できるのも先人が頑張ってくれたから。だから祖先への感謝を忘れちゃいけませんよ。年金も当然のごとく、支払うべき義務です。

東京で新しいカルチャーを立ち上げたかった。
エコカッコいいメッセンジャー事業は現在も加速中です!

 1989年に、バイシクル・メッセンジャー(自転車便)事業を立ち上げた池谷貴行氏。大学時代に、数え切れないくらいの業種でバイトを経験し、常に「俺な らこうする。こうすればもっとお客さまから喜ばれる」と考えながら仕事を続けていたという。この事業を思いついたきっかけは、外資系PR会社で経験したメッセンジャーボーイのアルバイト活動にある。ちなみに、自転車を使ってやってみようと思ったのは、電車やバスを使うより早い、交通費を浮かすことができるというふたつの不適切な理由からだったのだそう。その後、独立し、彼が立ち上げた東京メッセンジャー・サービス(後のティーサーブ)は試行錯誤を続けながらも順調に成長を続け、バイシクル・メッセンジャーというカルチャーを日本に定着させることに成功した。今回は、そんな池谷氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<池谷貴行をつくったルーツ.1>
何よりも東京生活を夢見ていた青春時代。1浪後に無事、早稲田大学へ進学する

 僕が生まれたのは山梨県の甲府市で、小学校1年の時、母の実家があった長野県茅野市に家族で引っ越しています。ちなみに、ひとりっこです。父は、53歳まで現役を続けた息の長いプロの競輪選手でした。有名な中野浩一選手とも勝負していましたね。母に聞くと、ずいぶんな高給取りだったそうです。今、僕はバイシクル・メッセンジャー事業を手がけていますけど、父の仕事が影響しているかと聞かれたら、それはまったく関係ありません。ただ、自宅には競輪用のローラーなどさまざまな練習マシンが設置されていて、いつも父がトレーニングする姿を見ていましたけど。

 もの心ついた時から、「俺が! 俺が!」で我が強いというか、我がままというか、いわゆるガキ大将タイプですよ。自然と仲間の中心に居座って、リーダーシップを発揮していました。何でそうなったか説明のしようがない。生まれ持った性格なんでしょうね。ちなみに自転車にはほとんど興味を持ちませんでしたが、自動車など、美しくデザインされた乗り物のプラモデルが大好きな子どもでしたね。あと、モデルガンとかも。

 勉強もまあまあできたこともあって、中学時代は3年間ずっとクラス長。自分から長をやりたいと手を挙げるのではなくて、周りが「やっぱり池谷だろ」と。これも何となく自然な流れで。あ、部活は陸上部に所属して走り高跳びをやっていました。でも、仲間との遊びやブームを追いかけるほうが断然大事。その当時は、DCブランドが注目され始めるなど、メンズファッションにとても勢いがありましたからね。『ホットドッグプレス』、『ポパイ』、『メンズクラブ』などのファッション誌を読み漁っては、いつか絶対に東京に行くって思っていましたよ。

 高校では陸上部からサッカー部にくら替えしますが、やはり部活動はそこそこで、仲間たちと遊んでばかり。現在、当社の副社長である田中彰という悪友と出会ったのもこの高校。思えば16歳からずっと、何かにつけて彼とつるんでいるんですよ(笑)。で、田中ともよく「早く東京に行きて~な」って話していました。しかし、僕は現役での受験は失敗し、結局、予備校に通うために東京へ行くことになるんですよ。そして1浪後、早稲田大学社会学部に無事合格することができました。ちなみに、例の悪友・田中は明治大学文学部に進んでいます。2浪後に(笑)。

<池谷貴行をつくったルーツ.2>
「俺ならこうする。そうすればさらに喜ばれる」。いくつものバイト経験で得た顧客ニーズ獲得術

 というわけで、大学に進学した目的は、東京に行きたかったからなんです。予備校時代もバイトと遊びに明け暮れて、ほとんど勉強していなかった。入試の直前、12月のお歳暮シーズンも配送のバイトしていたくらいですからね(笑)。で、僕は結局、6年間早稲田大学に在籍したんですが、その間はほとんどバイトと遊びの毎日。何たって、6年間で取得した単位がたったの38単位(苦笑)。大学在籍中、バイトに関してはサービス業を中心に数え切れないくらいの仕事をしています。まさにバイト王ですよ。

 なぜそんなにバイトをしたかというと、社会とか仕事とか世の中の仕組みって、いったいどうなっているのか。そこにすごく興味があったから。ファストフードはほぼ制覇しましたし、今では風営法で禁止されていますが、歌舞伎町で歩合制のポン引きをやってみたり、モルモットみたいに薬を飲む治験をやってみたり。いろんな仕事をしながら、「お客さんって本当はこう思っているんじゃないか?」って、顧客ニーズの所在を考えてばかりいました。「俺だったらこうする。こうすればもっとお客さんに喜ばれるのに」とか。たとえば、今はガソリンスタンドで女の子が働いていても普通ですが、当時は男のスタッフばかり。立教大学近くのガソリンスタンドで働いていた時、店長に「時給を少し上げてでも立教の女子大生を雇ったらどうですか。絶対にその娘目当てにくる男性客が増えますから」なんて提案していました。

 稼いだお金ですか? 当然、遊びに消えていきます。自分の車も持っていましたしね。何とか時間をやりくりしながら、夏はウィンドサーフィン、冬はスキー。昼はパチンコにスロット、夜は仲間と飲んだり、合コンしたり、ディスコでナンパしたり。どうやったら気に入った女の子を口説けるのか、トークをいつも磨いていましたね。今考えても最高に楽しかった時代ですね(笑)。でも、そうこうしているうちに、僕は大学5年生……。そんな頃、悪友の田中が外資系の証券会社でバイトを始めるんです。聞けば、外資系企業はバイトとはいえ給料がべらぼうに高いし、おまけに深夜のタクシーチケットも使い放題だとか。だったら俺もと、東京の麹町にあった外資系PR会社に潜り込んだ。そこで僕は、コピーを取ったり、クライアントに資料を届けたりするメッセンジャーボーイをすることになるのですが、当時はその仕事が将来の起業につながっていくなんて、これっぽっちも考えていませんでした。

<20万円のロードレーサーをローンで購入>
ニューヨークでは3000人、東京では自分だけ。独立のきっかけは自分の意思ではなく偶然に

  PR会社のスタッフたちから、「池谷、これを丸の内のクライアントに急ぎで届けて」と指示されて、バスや電車を使って届けるというのがメッセンジャーボーイの主な仕事でした。この仕事を24歳くらいから1年半ほど続けるのですが、ある時、ふと気づいたんですよ。クライアントの多くは都心に固まっていて、PR会社からだいたい直線距離で3㎞以内。わざわざ電車を乗り継いで行くよりも、自転車で届けたほうが断然早いということに。そうすれば空き時間が増えてこれまで以上にサボれますし、おまけに、交通費もちょろまかすことができます(笑)。それで僕は、20万円もするイタリア製のロードレーサーをローンで購入するんです。基本的にかたちから入る性質なので。もちろん、浮いた交通費と給料ですぐにローン返済できるという計算もしていました。

 自転車を使ってメッセンジャーの仕事をしていることをPR会社の中でひとりだけ打ち明けている小倉さんという社員がいましてね。ある時、「池谷、これ見てみろ」って、日経新聞の記事を見せてくれたんです。「ニューヨークでは3000人のバイシクル・メッセンジャーが活躍している」という内容でした。びっくりしましたね。「俺と同じようなことやってる!」って。当時は1988年、国内ではちょうどバイク便が増え始めた時期です。バイク便はどんな感じか調べてみたら、3㎞で3000円も取っている。さらにびっくりしましたよ。わずか10分で終わる仕事で3000円ももらえるのかって。この頃、僕は大学6年生になっていました。卒業できる見込みもなく、将来展望もまったく見えず、かなり焦っていたんですよね。何たって38単位ですから(苦笑)。

 独立決断のきっかけは、小倉さんの転職にあります。彼が転職した会社でもバイク便を使っていたのですが、僕のことを気遣ってくれたのでしょう、「俺の専属メッセンジャーになってほしい。PR会社のバイトの空き時間でいい。ポケベル持ってくれ、そこに連絡するから」と。それで、価格をバイク便の半額の3㎞1500円に設定して、PR会社の仕事を続けながら、副業的に小倉さんからの仕事もお受けするように。するとその安さが評判になり、小倉さんが勤務する会社の別の社員たちからもどんどん仕事を頼まれるようになってきた。そして数カ月後、PR会社の仕事に支障をきたすようになったタイミングで、退職する旨を会社に伝えたんです。「社長、お世話になりました。でも、バイシクル・メッセンジャーの仕事で独立するので引き続き仕事はください」と営業も忘れずに(笑)。

<お前は金融、俺はマスコミ>
悪友を誘い、事業を本格始動させる。夢は東京で新しい文化を生み出すこと

 事務所なんて構えられませんから、日比谷公園でポケベルひとつ持って、自転車で待機するというスタイル。東京メッセンジャー・サービスという屋号もつけました。忘れもしない1990年の3月。僕は25歳になっていました。価格は副業時代と同じく3km1500円です。これが予想を超える大反響でして、多い日は1日15~16件をこなしたでしょうか。3カ月後にはもうひとりでこなしきれなくなり、例の悪友・田中に声をかけたんです。先ほども話しましたとおり、彼は外資系証券会社でメッセンジャーボーイのバイトをやっていて、この時、バックオフィスの正社員になっていました。すでに、けっこうな給料をもらっていたはずです。

 もともと田中と僕とは、田舎から東京に憧れてやってきた悪友で、折につけ、「いつかこの東京で新しいカルチャーを立ち上げることができないだろうか」って話し合っていたんですよ。それで、「自分の力を使って、クライアントの大切なものを全力で届けるこの仕事は尊い仕事だと思う。しかも、バイシクル・メッセンジャーはカッコいいし、スマートだ。一緒に自転車便のカルチャーを育てていかないか」と誘ってみたのです。すると、ほぼふたつ返事で「よし、一緒にやろう!」となった。せっかく社員になっていたのに(笑)。「じゃあ、田中は金融系のクライアントを頼む。俺はマスコミ系を担当するから」。これがティーサーブの本格的なスタートといえますね。

 経費を切り詰めるために20万円くらいの中古車を買って、これを本部としました。新橋あたりの100円パーキングにその車を止めましてね(笑)。そのうちにハンディフォン(携帯電話)が登場し、「これはいい」とふたりで購入。1台10万円、基本料金月3万円という時代です。その携帯電話に、ばんばんオーダーが入ってきましたよ。当時、携帯電話の通話料は3秒10円でしたから、電話会社にもけっこう貢献したと思います。この状態を3年ほど僕と田中のふたりきりで継続し、ティーサーブはいよいよ仕組み化、効率化に向けて動き始めるのです。その手始めとして早稲田大学と明治大学に張り紙をしてバイトを募集しました。それはそうと大学はどうなったかって? 僕はもちろん、田中も中退しています(笑)。

「全力で届ける」この事業のふたつの強み。
それは効率化とブランド力向上へのたゆまぬ努力

<シンプルだけど複雑>
始めてみたからわかった自転車の強み。継続で更なる差別化がどんどん浮かぶ

 なぜここまで創業したてのティーサーブにオーダーが集まったのか? それはやはりバイク便との価格差と、ほかさまざまな差別化要因があります。まず基本的にバイク便は集荷も配達も全エリアを対象としますが、僕たちは効率を最優先したことで、まずお客さまの登録制を行い、千代田、中央、港、渋谷、4区内の限られたエリアに所在するお客さまのみをターゲットとしました。過去の実績を解析していくと、これら皇居周辺エリア間の集荷、配達のやり取りが約8割を占めていたのです。もちろん、この4区内のお客さまからのオーダーであれば、千葉・埼玉・神奈川など、関東近郊まで集荷も配達もしますよ。

 そしてサービス内容は、基本的に15分以内集荷、1時間以内でお届けの「1時間便」、30分以内集荷、2時間以内でお届けの「2時間便」の2本が柱。ちなみに、創業当初に僕が直感で決めた3km1500円という価格は、今でも業界のスタンダードのようです。そして現在、当社では250台の自転車と、100台の高速スクーターが稼働していますが、自転車を使ってもスクーターを使っても料金は変わりません。お客さまにとって重要なことは、何を使って運んだかではなく、お預かりしたものをいかに大切に、早く運ぶかですからね。今でも料金に関していえば、バイク便最大手のS社さんと比べて、600円くらい当社のほうが安いのではないでしょうか。

 そもそも、この配送ビジネスにおける自転車自体のメリットがたくさんあるんです。まずは交通渋滞が頻繁に起きる東京に非常に適しているということ。また、入り組んだ道や一方通行の道も、自転車であれば乗ったままスイスイ進めます。さらに、到着した際、バイクだとエンジンを切って、ヘルメットを外してと、以外に時間がかかってしまいます。ほかにも挙げ始めるとキリがありませんが、バイク便に比べるとロスタイムが格段に少ないということが自転車便の最大のメリットであるといえるでしょうね。

<ふたつの差別化ポイント>
効率化の仕組みとブランディング。これらを進化させれば負ける気がしない

 1999年、当社の起業ストーリーをモデルとした映画「メッセンジャー」が公開されました。SMAPの草薙剛さんや、飯島直子さん、ナイナイの矢部浩之さんが出演し話題となったので、ご記憶の方も多いかと思います。その翌年の2000年までは自転車便マーケットはほぼティーサーブの独占状態でしたが、大手バイク便会社が自転車便を導入したり、うちをスピンアウトした卒業生が独立したり。だんだんと競合が増え始めたんです。それでも10年間試行錯誤しながらサービス提供を継続したことで、どこにも真似できない強みがふたつ生まれていました。

 ひとつはメッセンジャーたちの動きを最大限効率化する、ディスパッチャー(運行管理者)の存在です。現在14名のディスパッチャーがそれぞれ1チームを担当し、18人くらいのメッセンジャーを管理しています。彼らは、当社のメッセンジャーの中でも6段階あるトップクラスのマスター・メッセンジャーを経験した中から厳選された、頭の回転がとても早く、東京の道を熟知した優秀なスタッフです。たとえば、港区から新宿区に向かう便が出た直後に、通過点あたりにある渋谷区のお客様さまから「新宿区のクライアントに届けたい」というオーダーが入ったとしましょう。ディスパッチャーが全員の動きを管理していますから、先に出たメッセンジャーに後から入ったオーダーを無線で伝えることで途中ピックアップさせ、新宿の2カ所に届ける指示を出します。メッセンジャーはひとり二役、さらに時間も10分は短縮できます。これは一番単純なやり方ですが、チームワークを駆使した複雑な効率化の仕組みがいくらでもあるんです。これまでもさまざまな業務をシステム化してきましたが、自分で走った経験から最適効率化の組み合わせを瞬時に判断する、ディスパッチャーの頭脳と判断だけはシステム化することはできませんね。それに仕事を重ねれば重ねるほど、この強みはどんどん進化していくんです。現在でも僕は週に2、3回、状況を把握するためにディスパッチャー業務に就くようにしています。

 もうひとつは、約20年かけて大切に育ててきた、ティーサーブのブランド力です。バイシクル・メッセンジャーのカルチャーを広めていくために、効率化、スピードアップの追求と同じくらい力を注ぎ、仕事スタイルのカッコよさやファッション性にこだわってきました。デザインされたジャージに、ヘルメット、ロゴマークなどなど。自分自身もそう思ったのですが、かなりの体力を使う大変な仕事ですから、カッコよくないと誰もやりたがらないですよね(笑)。おかげさまで、映画のモデルになったり、2004年のグッドデザイン賞の新領域デザイン部門を受賞したりするなど、大きな社会的認知を得ることができました。ティーサーブに集ってくれたすべての人に、誇りを持って仕事してほしいですから。効率化の仕組みとブランディング、このふたつが当社にとって最大の価値であると思っています。

<未来へ~ティーサーブが目指すもの>
基本は、A地点からB地点までものを運ぶこと。手がける事業領域は無限大に広がっている

 創業してから19年間、ティーサーブは新規顧客獲得のための広告をほとんど打っていないんです。ちなみに、社内に営業部隊も存在しません。これまでずっと価格差と、サービスのクオリティをお客さまによる口コミで広げていただきながら、スタッフが10人の時も、100人になっても、200人になっても、同じやり方で成長し続けてきたんです。ちなみに、1日の平均オーダー数は3500件で、昨年度の売り上げは約11億円。毎年10%くらいの成長率が続いていました。これが僕にとって自慢だったんですが……。昨年の秋くらいから状況が急変してきたんですよ。

 当社の登録お客さま数は約3000社。その半分が金融系企業です。そう、サブプライムローンの破綻によって、金融系企業からのオーダーが激減していったと。さらに先日、150年の歴史を誇るアメリカの大手証券会社、リーマンブラザーズさんが破綻しましたよね。当社サイドの問題ではなく、外部要因によってここまでの窮地に立たされるとは……。想像すらできませんでしたよ。そこで今年に入って、私と田中のふたりで、メッセンジャーが集荷先などから得てきた競合情報を用いながら、新規顧客獲得の営業を始めています。さらに、この8月には「500円便」という新しい低価格商品を投下。過去を振り返ると、毎月平均130件の新規顧客が増加していましたが、これらの施策により8月の新規顧客は180件の増加。今後も、一部メッセンジャーの自給を歩合制に変更しモチベーションを高めるなど、業績リカバリー対策をどんどん講じていく計画です。

 新規事業に関しても常にマーケットを見ながら検討を重ねています。バイシクル・メッセンジャー事業の基本は、A地点からB地点までものを運ぶこと。たとえば、レンタルビデオ、コンビニエンスストア、クリーニング店、書店、調合薬局などなど、各種の法律をクリアすることが前提ですが、それらサービス業(A地点)を対象とした地域密着型の個人向け(B地点)デリバリーサービスができないだろうかと。さらにデリバリーサービスにより地域の家族構成が把握でき、一種のデータベースマーケティング事業も視野に入れられます。うちは1日3500件ものオーダーをこなしているわけですから、やろうと思えばいつでもできるんです。ただしどこでそのデリバリーフィーをまかなうかが問題。周囲の人のほとんどが「無理だよ」と言いますが、無理を実現することが一番面白いじゃないですか!

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
世界のどこにも負けない自分自身のオリジナルブランドをつくってほしい

 ティーサーブのメッセンジャーとして働きたいと希望する人たちは、学生とフリーターが半々くらいです。自転車が好きな人が当然多いですが、厳しい仕事をしてみたい、自分を鍛え上げたいという人も多いですね。3カ月間の研修を行い、6つある職級の上のクラスを目指し、チームメンバー全員が無線でつながって、チームワークを駆使しながら働くわけです。日々鍛えられ、充実感が得やすい職場環境といえるでしょうね。しかも毎日毎日、外資系企業やマスコミなどなど、これまで知らなかった世界の会社を訪問できる。それによって、いろんな刺激も得られると思います。

 当社のメッセンジャーには優秀な大学の学生もたくさんいますが、高卒のフリーターに抜かれたり、社会人としてのマナー不足や字の書き方で怒られたり、自分に足りないものがどんどん見えてくるようです。就職先が決まってティーサーブを卒業する時、「本当にここで働けてよかったです。ありがとうございました」とだいたい感謝される。彼らにはもちろん給料を払っていますが、正直、こっちは授業料がほしいくらいですよ(笑)。そのうち当社の教育メソッドを仕組み化して、学校ビジネスをプロデュースしようと考えています。これは本気です。30歳までの若い方なら、起業する前にティーサーブで働いてみるのも手だと思いますよ。

 実は僕、昔、グッドウィルグループ創業者の折口さんと同じ雑誌で一緒にインタビューされたことがあるんです。社長のビジョンや価値観って、本当に人によって違いますね。僕は、はやりのビジネスモデルや、必死で増資して上場するなんて、まったく興味ないですから。ただ、サービスや製品を市場に投下して、お金に変えていくというものさし自体はどんな会社も同じ。であれば、自分オリジナルで考え出したもので勝負したいと思いませんか。ある程度やりたいことを念頭に置いて、仕事現場の第一線に立ってお客さまのニーズを考えれば、きっと「こうしたらいいのに」「俺ならこうする」というアイデアがいくらでもわいてくるはず。本気であれば、その実現のために動けばいいんです。今でも「池谷、明日からお弁当屋をやれ」と言われたら、誰も思いつかなかった最強のお弁当屋をつくる自信がありますね。いずれにせよ起業して勝負をするなら、夢は大きく。世界のどこにも負けない自分自身のオリジナルブランドをつくってほしいと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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